巫女と公爵令嬢
ティキがアストラストに勝てると考えている理由。それは、ティキとシーヌの二人で多少の兵力差を覆すことが出来るから、ではない。
もちろん、ピオーネが用意した二万人程度の軍など、シーヌとティキなら半日かけずに殺しつくすことは出来るだろう。だが、敵にはピオーネがいた。
“復讐”に生きるシーヌは必ずピオーネの相手をする。そう考えると、ティキは一人で二万の大軍と相対することになる。
可能か不可能かで言えば、可能だ。勝てるか勝てないかで言えば、勝てる。
だが、極力敵を逃さずに、となると、ほとんど不可能に近かった。
とはいえ、ティキの目論見通りに事が進んでいるならば、既にブランディカ軍はアストラストを蹂躙する用意を終えているだろう。今から一万かそこら帰ったところで、敗戦の報が届き士気が落ちるだけだ、大局的には影響はない。
だが、タイミングが問題だった。もし仮にティキとシーヌの武威だけで兵士の大半が戦意を喪失したとして、彼らが逃げて行ったとして。
「もしブランディカが攻め込む前であれば、意味がない。」
そういう致命的な問題があったのだ。だからこそ、彼女はここで切り札を一つ、切った。
敵が、アストラスト軍が山を登る。引き返しても麓にはすぐに帰ることが出来ない、そういう位置まで侵入してきたとき、彼女は虹色の光球を空へと放つ。
それは、山の中にあっても煌々と輝いた。高く昇り、すっかり暗くなった山に大きな明かりとして多くの目を惹き。
「ウオォォォ――ン!!!」
まず、敵の後方から、一頭の狼が躍り出た。その後ろには、襲い掛かる狼の取り逃がしを喰らおうと壁のような心構えで腰を据えるもう一頭。
そして、軍の右側からも、もう一頭の狼が。正面からはフェーダティーガーが一頭、躍り出る。
ティキとシーヌが生かした、『神獣』たちである。アレイティアの先代天才アギャンから奪い取った、ティキの神獣である。
この山が恐れられていた理由は、兵士を蹂躙することのできる『魔法を使える獣』が何百何千といたからだ。そして、彼らが侵攻してきたのは、それら獣が、そしてその統治者がほとんど死んだという報告を受けていたからだ。
「嘘……だろ?」
兵士たちのうち、誰かが呟いた。たった20年とはいえこの山に君臨し続けた、この一帯を支配し続けた恐るべき獣たちの残滓。
だが、それがあくまで残滓でしかなく、この四体しか残っていないという事実を、兵士たちは知らない。
不完全な情報は不安定な恐怖を呼び込む。即ち。
「まだ……神獣は、いるんじゃ……。」
兵士たちは二万。対する神獣たちはたったの4。
しかし、先日まで、神獣一体を相対するのに千人は必要、あの山を狩るには国の全軍を挙げ、全滅覚悟でやらねばならないとまで思われていた獣だ。
もしも、もっと出てくるなら。そういった恐怖を感じて、兵士たちの心が怯えで止まる。
それは、ティキにとって好都合だ。いくらティキの手駒とはいえ、魔法を使える獣とはいえ、二万人の兵士と相対させるにはどうにも四体では足りないためだ。
アストラスト軍を見下ろすティキはほくそ笑んで
「しずまれぇぇい!」
兵士たちの動揺を押し飛ばすかのように叫びをあげたピオーネの声に、すぐさま次の手に打って出た。
認めた。ピオーネは、舐めていた。
ティキ=ブラウを、舐めていた。
ピオーネは神獣を操るティキを見て、彼女の正体についておおよその確信を得る。
ティキ=ブラウと名乗る冒険者組合員の女は、ティキ=アツーア・アレイティア公爵令嬢だ。噂程度に耳に聞いたドラッド=ファーベの死亡報告。あれに不審を覚えて、彼の軌跡を追わせたときに、その痕跡だけは得ていた。
ティキが、アツーアの姓を持っているのか否かは、ピオーネにはわからない。
だが、ドラッド=ファーベがアレイティア公爵から何かしらの指示を受けていたのは、間違いない。
そして、暗黙の了解で囁かれているアギャン=ディッド=アイの正体と、彼の神獣を操るティキという少女。それさえあれば、ティキの正体について確信するのは、容易だった。
ティキ=ブラウは罠を張って、勝てると確信した上で、ここにいる。彼女にとって計算違いがあったとしたら、自分の指揮官としての能力が彼女の想定を超えていたことだろう。ピオーネは静まった己の軍を見ながら、そう感じた。
「我が“未来予見”にこれ以上の神獣なし!軍うち一万はフェーダティーガーへ、残り各三千ずつは狼を相手しろ!」
既に先制の利は敵に取られた。既に千の兵は屍と化した。
「しかし、ピオーネ様!」
副官が何か言いたげにした。わかっている、フェーダティーガーを一万の軍で相手するより、ピオーネ一人で相手して、残りを三頭の狼に回した方が被害が少ないことくらいは。
「させてくれんさ、あそこにいる少女がな。」
口の中で小さく呟く。副官しか聞き取れなかったそれは、しかし副官に意を決させるには十分だった。
「全軍、指示に従え!!」
ピオーネの周りから兵士が去る。ティキとピオーネ、たった二人が夜の山の中で相対する。
「どうする。この状況では、神獣たちは死ぬぞ?」
「構いません。あなたが死ねば、全て終わる。」
「数の利はこちらにある。私は生き延びれば、後は兵士を捨て駒にしてでもお前を殺せばいい。」
「出来ますか?……出来るように、見えますか?」
ピオーネの思考は随分と高速で回っていた。
ピオーネにはわかっている。捨て身の彼女が攻撃をせねば、ティキを殺すことは敵わないと、わかっている。
全力で打ち合って、相打ち。ピオーネはだからこそ、すぐさま攻撃してこないティキの思惑がわからない。
「一つ、手札は切りました。」
ティキ個人の持つ二つの切り札。一つは、神獣。四体の、神獣。
そして、もう一つは。神獣討伐を行ったときから仲間と呼べた、切り札。
「まさか!」
振り返った彼女が見たもの。それは、後方六千人の兵士が挑む二頭の神獣と肩を並べて戦う、“凍傷の魔剣士”。
「オデイア。」
彼は神獣二、三頭分程度にしか該当しない。狼の神獣より、多少強い程度、ピオーネに辛うじてついてこられる程度の実力しかない。
死者が増える。屍が増える。
当然だ、狼とともに戦うのはオデイア=ゴノリック=ディーダ。
訓練を数年程度積んだ兵士より、はるかな高みにいる、剣士なのだから。
「そして。」
オデイアという札を切って、残る団員たちは敵軍の退路を塞ぐように配置されて。
「最後の、そして最大の鬼札が、今、ここに。」
ピオーネの頭上、3メートルくらいの位置が、歪む。
とっさに彼女は弓を掲げて、弦を引くが早いか、射放った。
矢と短剣が衝突する。歪みから抜け出た影は、しかし少し軌道を変えてティキの側に降り立つ。
「紹介しましょう、“災厄の巫女”ピオーネ=グディー。私は『小七国家同盟』結成者にして一時的に指揮官として座っています。冒険者組合所属、ティキ=アツーア=ブラウと申します。」
はじめて、ティキはピオーネ相手に、慇懃に礼をしつつ、名乗りを上げて。
「隣におりまするは我が夫、この戦争を起こす理由となった復讐者。」
「シーヌ=ヒンメル=ブラウ……シーヌ=アニャーラと言った方がわかるか、“災厄の巫女”?」
その問いに、彼女は初めて顔を歪めて。
「シーヌ。……シーヌ、アニャーラ。アニャーラ……アニャーラ。そうか。そうか。」
壊れたように同じ単語を繰り返した後、言った。
「殺す。殺す、クロウの亡霊よ!貴様を!殺す!!」
何かトラウマでも突かれたかのように、半狂乱になって、シーヌに飛びかかった。
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