暴虐
魔法概念“奇跡”。その区分は“復讐”。冠された名は“仇に絶望と死を”。
隣の家に住んでいた騎士のお兄ちゃん、僕の異母兄。彼が死ぬ三日前に解放された魔法。
騎士団の壊滅を聞いて、僕は怒り狂った。世の理不尽に。世界のあらゆるものに。
それでも、この時はまだ仇はシキノ傭兵団だけだった。敵は多くもあるが、少ない。
「何が起こっている?」
「気分はどう?」
「奇跡の解放条件はわかったか?どういう奇跡が開けたんだ?」
騎士団が壊滅したというのに、研究者たちは煩かった。
「今はそんなときじゃないでしょう。仇をとらなきゃ。」
僕はそう言って立ち上がった。そうしないとすぐには仇をとれないと、僕の頭に響いてきていた。
「そんなことはどうでもいい!ええい、騎士団なんぞ後回しじゃ。必要なのは、奇跡の情報だ!」
ああ、ふざけるな。ああ、こいつらは!
これのために、騎士団は殺されたのか。これのために、僕たちは殺されそうなのか!
何もせずにここを去れば、僕はこいつらへの復讐を果たせる。絶望の底に落とせるし、勝手に死んでいってくれる。
僕はそれを聞いて、まっすぐに扉へ進む。他の研究者たちが僕を阻もうと寄ってくるけれど、無視してまっすぐに進めばいい。途中で足元にあった紐を、足のつま先に引っ掛けて数歩進む。
僕が通り過ぎたところの隣の書類の山が倒れ始める。慌てて何人かの研究者が抑えにかかったから、転がっていた丸まった紙を拾い上げて、コントロールを魔法で制御して崩しにかかる。
見事に崩れた。自分を後押ししてくれた何かに感謝しつつ、崩れた書類の山を整える研究者たちを感知しながら、その研究所から外に出た。
「シーヌか。“奇跡”を使えるようになったんだって?」
自宅に帰ると、ギュレイが寝台の上で声をかけてくる。
「うん。どういう理屈かはわからないけれど……多分、研究者たちが言ってた通り、意思や想念の問題らしいね。」
騎士団副団長の父さんの死が引き金になったのは確かだろう。騎士団には仲のいい人たちもたくさんいたから。“復讐”の想いが強くなるには十分すぎる理由だった。
「未来の選択がわかるようになったよ。その奇跡を起こすための。」
つまり、僕の奇跡は“復讐”を“必然的に”起こすための未来を選び取るためのもの。ある意味では確かに奇跡で、ある意味ではただの必然。それが僕、シーヌ=ヒンメルの奇跡だ。
シーヌが村の多くの人たちを巻き添えにした研究者たちに復讐するために取った方法は、何もしないことだ。
何もしないという選択が、その復讐のための正しい道だと、“奇跡”が告げていた。
結果として、シーヌはその選択によって街を完全に滅ぼしたのだと思っている。もしも“復讐”に逆らっていれば、シーヌはあの研究者をその時に殺せない代わりに、多くの街の仲間たちを守れた。
“復讐”の対象を、増やさずにいられたかもしれない。
“復讐”の対象に、自らが加わることは、なかったのかもしれない。
シーヌは最後、すべての復讐の対象を殺した後。結婚してしまったティキを置いて、自刃することになるだろう。
それが、“復讐”の奇跡が辿る道だと、そして彼自身への免罪符だと、シーヌは信じて疑わない。その思考を変えられるのは、おそらく同じ道を辿り、同じ業を背負い、その先へと至れたもののみ。
シーヌはあの時に“復讐”の声にすべて従うのは悪手だと知った。復讐のために、復讐すべき敵を増やすことも厭わなかったあの“奇跡”は、今もシーヌの中で声をあげ続けている。
先日、まずその奇跡に逆らった。試験に出るための出発時間を遅らせた。
次に、最初の戦闘での殺戮を控えた。もしあのタイミングで“復讐”の全力行使をシーヌが許容していたのなら。
ドラッド=ファーベ=アレイはここにはいない。元シキノ傭兵団も皆殺しになっている。
「まあ、これからみんな、死ぬんだけど。」
瞬間、そこからシーヌは掻き消えた。
魔法概念“苦痛”。その本質は、その想念に触れたものに自らの心の嘆きと同質の痛みを与える概念。その心の嘆き、痛みが多ければ多いほど、相手に与える痛みが強く、あるいは長くなる。
魔法概念“憎悪”。その本質は、その想念に触れたものに感じてきた憎悪の念を有りったけこめた、完全な現象を引き起こすこと。起こせる現象は、憎悪の念に左右される。抱く憎悪が多ければ多いほど、現象はよりはっきりと実を結ぶ。
シーヌはシキノ傭兵団の死を、この苦痛によって長引かせた。十分な苦しみを与えるまでは死ねない、という“苦痛”で。十分痛まないと死ねないという絶望で。
フェーダティーガーの死を、その憎悪によって巻き起こした。憎しみが、心臓を直接潰すという現象を引き起こした。
“復讐”はかつて教えた。オデイア=ゴノリック=ディーダは復讐の対象ではないと。
“復讐”はかつて教えた。冒険者組合に入って情報収集することが、最も復讐を果たすのに近道になると。
“復讐”は、一度も教えなかった。試験への時間を遅らせることが、ティキに出会うきっかけになることを。
“奇跡”を持つシーヌにとって、“奇跡”の蚊帳の外の出来事は、ただの日常生活であれどもすなわち奇跡だ。
“奇跡”は必然を生み出すものである以上、そこに付随しなかった偶然は、つまりは奇跡だ。
“仇に絶望と死を”にとって、ティキ=アツーアとは奇跡であった。
思考が逸れたな、とシーヌは感じた。この状況に、シーヌは少しばかり浮かれているらしい。
消えたシーヌが使ったのは魔法概念“願望”冠された名を“有用複製”。
“復讐”という“願望”以上の魔法にとって有用な魔法を、復讐現場に限り模倣する能力。
使用したのはアゲーティル=グラウ=スティーティアの“不感知”。その場の自分の位置を、五感によって察知されないようにする魔法概念。
それによってシーヌはドラッド以外のシキノ傭兵団の無力化、絶望と死を与えるために動き出す。
ああ、あの時のグラウとの最初の邂逅。グラウがこの復讐の場にたどり着くために必要だったからか、“復讐”が取るべき行動を教えてくれた。
シーヌは一人目の傭兵の体を弱火で焼く。“苦痛”がその体の火を鎮火させることを許さず、じりじりとその身を焦がしていく。
「ぎゃああぁぁぁぁぁ!」
炎で炙られた傭兵が悲鳴を上げる。シーヌは大したことをしていない。ただ苦しめという願望をもって、その体に炎を纏わせただけ。
想像力と意志力。それが優れているかが、この世界の能力の基本。その両者が揃っていれば、魔法を扱うものも、あるいは魔法を扱えないものも、基本的な能力に差が出る。
死ぬことを想像できないものは死ににくい。生き残るために受け身を想像することさえできたら、たとえ崖から落ちても体が勝手に動いて生き残ることが出来る。
その想像と意思を思うがままに操ることが魔法の基本。
しかし。その基礎のすべては。
ただ一つ、願望や信念、妄執や欲念。怨念、想望、希望。それらが加わることで、一気にその価値を暴落させる。
“苦痛”の炎が肌を焼き切り、肉を焦がす。そんな中、傭兵はもはやない喉で叫びをあげる。
彼は骨を超えて心の臓が止まるまで息絶えられない。シーヌの心が抱き続ける痛みは、その程度ではない。
二人目には足下から暴風を吹き荒れさせた。高く上空に打ち上げられる。“絶望と死を”は彼に、気絶と恐怖による死を許さないようにした。脳がその高さから落ちると確実に死ぬと判断しても、事故防衛のために気絶することが出来ない。
二人目の傭兵は、地面に接地してその身を無惨に散らすその瞬間まで、死の恐怖に怯えることを義務付けられた。
三人の傭兵が固まって、背中合わせでシーヌを探す。彼は近くの樹を蔓に変えて、その傭兵をまとめ上げた。
「……殺さないのか?」
傭兵が呟く。簡単には殺さないのは、炎に焼かれる味方が物語っている。それにしてもすぐさま殺さないのは、彼は見せしめなのかとその傭兵は思った。
「まさか、殺すとも。」
声だけ聞こえた。どこにいるのか、“不感知”は悟らせることを許さない。しかしシーヌは確実にそこにいた。
今度は第三の魔法概念も必要ない。三人まとまって、別々の方向を向いているからまっすぐ歩けない。
ただ足元を底なし沼にするだけで、勝手に沈んで死んでいく。それがわかるからこそ、シーヌはその選択をした。いつ沈み切って、いつ窒息死するか。それは傭兵たちには選べないし、それまで死んでいく絶望が深くなるばかりだろう。
シーヌはドラッド以外の傭兵も、思い付く限りの残虐な手段で殺していく。手足を完全に拘束した上での炙り、土壁の中での煙の燻し、遅効性の毒での徐々な意識の喪失。
シーヌには絶望させるための手段を多く知らない。しかし、“仇に絶望と死を”が知っている。
ドラッド以外が苦痛に呻く。それをドラッドは、何もできずに見ているだけ。
止めたくてもシーヌの位置がわからない。止めたくても次に誰が狙われるかがわからない。
どうすればシーヌを止められるのか、どうすればシーヌの魔法を解除できるのか。それすらもドラッド=アレイにはわからない。
「さあ、ドラッド。最後はお前だ。」
気がつけば、皆死んでいた。シキノ傭兵団、ドラッドが再起するための土壌となるためのメンバーはもうなかった。
ティキとファリナが驚いたように遠巻きからシーヌたちを見ている。あまりの圧倒的さに、手を出す間もなく終わってしまった。
少しだけ近くでガラフとデリアが激しい剣戟を鳴らしている。デリアはやはり、門前の戦闘時よりも強い。
ガラフは最初から本気で戦っていたようだ。強者の礼儀というやつをデリアに対して示して見せていた、らしかった。
「はぁぁぁ!」
復讐を果たすべく、シーヌがドラッドとの戦端を開いた。幻想のナイフの乱舞。いくら幻想のものとはいえ、刃は刃に変わりなく、当たればドラッドもただではいられなかっただろう。
「くそっ!」
ドラッドが幻想上の盾を作る。“無傷”の追加効果として、防御を意図した魔法の性能が上がる。
幻想のナイフは、同じ幻想であるがゆえに盾に阻まれた。それを読んでいたシーヌは、衝撃を強く意識した魔力弾を大量に精製して放つ。
それを、新たな足を生やしたドラッドがスイスイと躱しながらシーヌに迫る。シーヌは駆けてくる敵を見て、足元から多数の杭を放って仕留めようと図った。
今彼には、何をしてはいけないかということが“復讐”によって教えられている。つまり、やってはいけない未来の選択のほうがやっていい未来の選択よりも圧倒的に少ない。
「喰らえぇぇぇ!」
木々が生き物のようにシーヌに迫り、氷の槍が雨のように降り注ぎ、風が竜巻となって追いかけてくる。
「喰らうかぁぁぁ!」
“有効複製”。複製するのは“無傷”。全ての攻撃はシーヌに一つたりとも傷を与えず、ドラッドは苦々しくも杖を向けた。
「爆破!」
至近距離で、杖の先端にある球体が爆発するイメージを描く。ドラッドの最初の奥義。
爆発の衝撃、爆風はシーヌとドラッドの距離を再び離す。ドラッドの自爆まがいの爆発は、“無傷”があるから行える無謀。
「それはギュレイ副団長のときに見たぞ!」
叫び声をあげたシーヌが風の槍を複数放つ。同時に空中に、圧縮空気の足場を展開、空を駆けつつ下の戦場に水を溜め、池のように変える。
「ブググググ!」
風の回避に追われたドラッドが、水の奔流に沈む。近くでそれを察知したデリアとガラフが争いそっちのけで逃走を図り、失敗して流される。
「シーヌ!邪魔をするな!」
デリアの叫び声。しかし、シーヌは全く反応せずにドラッドへの攻撃を続けた。
「聞こえていないのか!」
「無理だろうよ。“奇跡”を起こすほど、あいつは復讐に取りつかれてるんだろ?」
ガラフの声が、流された先で再びガラフに斬りかかろうとしていたデリアの足を止めた。
「取りつかれていても、人の声は聞こえるのではないですか?」
流された先は、ティキとファリナが何もできずに突っ立っていた場所。水に流されたドラッドは、沈んだまま氷漬けにされかけている。
「無理だろうよ。奇跡能力は、それ以外の何も見えなくなるくらいまでの執念の先にあるもんだ。」
ガラフの物言いは残酷だ。そして、彼が知りうる限りの事実であった。
「俺は一度だけ奇跡を発動させたことがある。仲間とともに生き延びたいという一心で。」
周りで動けなくなった自分の部下たちを眺めつつ、ガラフは言う。
「俺の奇跡区分は“生存”。冠された名は“友と共に明日を”。一度きりしか発動したことがない。」
あの日。シキノ盗賊団と争うとして、どうやっても全滅に近いことになると悟ったあの日。
「あの覚醒が、冒険者組合にガラフ傭兵団が所属した最たる理由かもしれない。まあ、どうやって奇跡を使ったのを知ったのかは知らないが。」
自分で奇跡を使ったあの日を思い出して、続ける。
「ようやく“復讐”が叶うんだ。他の声など聞こえるか。」
だからこその懸念事項も、ガラフは思い出している。
「俺は明日を掴むためだけの奇跡だったから、奇跡に呑まれはしなかったが……あの小僧が、あの奇跡と一生付き合っていくなら、これが終わればすぐに次の仇を討ちに行くかもしれねぇな。」
その声は、その言葉は、結婚したところのティキを困らせる。彼女はそれが困りながらも、どうすればいいのかはわからない。
「“奇跡”には、過去も未来も現在も関係ない。結果がただあるだけだ。」
つまり、復讐を果たすためなら過去の約束など、奇跡にとって縛りにもならない。
「ティキ。よく聞け、いいか。もしかしたらお前とシーヌがともにいるための方法は一つしかないぞ。」
“復讐”に、シーヌが呑まれない方法。ティキが昨日望んだ、シーヌの日常に戻るための楔として活躍できる方法。
ドラッドが氷を割って、怒りのうちで外に飛び出し、シーヌとの二人の争いが最終局面に入る直前に、ティキは行動を始めた。
俺が負けるものか。俺がやられるものか。
俺は“無傷”のドラッドだ。苦戦はしても、勝機が見えない戦いなんてあるものか。
傷を負わないということは、すなわち負けないということだ。先に相手の疲労が来るということだ。
相手の疲労の結果勝ったなら、それは俺が長時間無傷で戦い抜いて勝てる強者だったということだ。
しかし、どうしてシーヌは、あのガキは俺に傷を与えられるのだ!
(勝てるはずがありません。シーヌの魔法は、仇にだけは致命的なまでに最強です)
声が、聞こえた。
(どういうことだ!)
(そのままの意味です。シーヌの概念魔法“奇跡”“復讐”“敵に絶望と死を”。それがある以上、仇であるあなたに勝機はありません)
(どうすればいい!お前はそもそも誰だ!)
ドラッドはギリギリの回避をくりかえしながら心の中の何かと会話を続ける。
(私はあなたの奇跡です。概念魔法“奇跡”。その区分は“復讐”。冠された名は“仇の力を弱めてしまえ”)
彼の傭兵人生で、ずっと抱き続けた抱負だ。相手が弱まり自分が変わらないなら、自分が勝つ。そういう想いで生きてきた。それが魔法として、この危険極まりないタイミングで奇跡として実を結んだようだ。
(一度、死にましょう。幸いそこには動けぬ傭兵たちの体が転がっている。死ぬ直前にそちらに意識を映します。)
ドラッドが聞いた奇跡は、彼が本当に理解できないことを言い始めた。
すぐに一章終らせるつもりだったんですけど、思ったよりも熱が入ってしまい……
もうしばらくお付き合いください




