撤退と追撃と
メラーゼが伝令に本国が攻撃されているという報を聞かされたのは、アストラストの目と鼻の先まで軍勢を進めてからだった。
事前に時間があったからか、小国家同盟はいくつもの罠を置いていた。しかも、それらすべてが、時間稼ぎを目的としたようなものだったのだ。
重い騎士鎧を着たままだと明らかに進攻速度が鈍るような、泥沼があった。急作りであることが簡単に見て取れる、不規則に配置された落とし穴があった。
一番面倒だとメラーゼが感じたのは、高さ五メートル、幅五メートル弱の大堀だ。その底には木の杭が隙間なく敷き詰められ、落ちれば足の一本は生涯使えないことが伺える、そんな堀だった。
「今すぐに樹を伐り倒せ!」
突破方法は二つ、橋を架けるか、堀を埋めるか。メラーゼは即座に前者を選択、巨木を伐り倒して橋に変えることを狙った。
問題は、そう対処するであろうということを、小国家同盟もよくよく承知していたことだろう。その堀の周囲には、人一人が楽々と折れるような太さの樹は残っていなかった。一つ残らず、杭にするために使われてしまっていて、メラーゼたちは複数の樹を向こう側に倒すことで堀を超えようとするしかなかった。
そこで時間がかかる。時間がかかり、さらに堀の向こう側にはアストラスト軍。
斥候を見つけることが出来ても、弓の名手がいるわけでもないブランディカ軍は、みすみす斥候が帰るのを見ているしかない。
「アストラストが迎撃に出てくる前に、急げ!!」
メラーゼの叫びは、だがその重い鎧のせいでうまく進まなかった。
折れるのだ、樹が。絶対的に頑丈な樹を伐り倒されてしまっていたがゆえに、数本の樹を束ねることで臨時の橋を作るしかない。だが、上手にバランスよく乗らなければ樹一本にかかる重さは百五十キロを超える。向こうに渡るために鎧を脱ぐわけにもいかない、なぜなら攻め込むために利点を放棄するわけにもいかないからだ。
そこで時間を稼ぐことが小国家たちの目的だったのだろう。だが、メラーゼはすぐさま対策を打った。
具体的には、軽装にした何人かの兵士を堀の向こう側へと跳躍させ、向こう側の巨木を伐り倒させることで橋にしようと試みたのである。
「時間をかけ過ぎたか……バルデス!」
「ああ、いいぜ。軽装部隊!先鋒を迎撃する!」
だが、アストラストは愚国ではない。報が入った瞬間に、迎撃のために兵士を出していた。
そも、ブランディカの失態は地形を先に調べておかなかったことだ。先遣隊でも出して一通り調べてから全軍出陣していたら、ここで足が止まることもなかっただろう。
慢心していた。小国家同盟を油断ならない敵として認識しながらも、ちょっと不利になる程度だと高をくくっていたのだ。
それに、進軍したルートにしか罠が敷かれていなかったのもまずかった。三大国における戦争は、山頂をどの国が取るかという戦争だと思っていた。
すでに山頂が占領されていて、積極的に奪取しようとすれば背後をアストラストに突かれる、という状況になっていることすら、ブランディカにとっては予想外でしかない。
「私も動揺していたか……。」
その事実を冷静に受け止めると、メラーゼは倒された巨木を渡ろうとする兵士を押しとどめた。
「撤退準備!!」
「向こう側にいる兵士たちは!」
「撤退の銅鑼だけを鳴らせ、間に合わないものは置いて帰る!」
「伐り倒した樹はいかがいたしましょう!!」
「堀の中にでも放り投げておけ!」無理なら放置だ!」
あわただしく撤退の準備に入る、そんな最中。ここまで来るのに三日かかったうえで、急報が入ったのである。
「申し上げます!おそらくクティック軍と思しき騎馬兵団!我がブランディカの領土を荒らしているということです!」
この軍では、馬はほとんどない。重装兵たちを乗せる馬の量産はコストがかかりすぎるためだ。
例外が伝令兵。糧食を運ぶ車でさえ、荷台に乗せて押し引きするタイプのもので、馬車ではない。
言い換えると、動きが鈍重。背後の無防備なところを突かれると、引き返すのに時間がかかる。
「本陣の半数を出撃させて鎮圧にあたれ!我々も撤退を開始する!」
だが、メラーゼは簡単だとは思っていなかった。来た道を戻るということは、泥沼や落とし穴の道に帰るということだ。
「まだ本格的にぶつかってもいないのに……!」
初手から随分といいダメージをもらった。……戦わずして、メラーゼは敗戦気分を味わった。
その様子を、バルデスは遠目から眺めていた。指揮官としては自分より遥かにすぐれた、メラーゼという男。
その男が、悔しそうに歯噛みしながら撤退の合図を出し、着々と撤退を始めている……その光景そのものに、違和感を抱いた。
“破魔の傭兵”。優れた武人である彼は、その違和感に、すぐではなかったが、気づいた。気づけてしまった。
「……チィ、失意の男にゃ話が面倒だ、軽装兵部隊!」
橋のこちらにいる自分の部隊を、彼らは一気に呼び止め、纏めあげる。
その数は五千。バルデスの才覚で指揮できる、ギリギリ限界の範囲。
「これから俺らは殿を努める!重装兵から楯を奪え、やつらはこちらを飛び越えてくるぞ!」
ブランディカ軍が撤退をはじめて、20分。必死に堀の向こう側で抵抗を続けていた最後の兵士が討たれ、こちらに対して牙を向き。
アストラストの誇る騎馬兵団は、五メートルしかない堀を易々と越えた。
人間は動揺すれば失敗しやすい。失敗すればまた動揺し、さらに大きな失敗を招く。
今回のメラーゼは、その代表例と言ってもよかっただろう。進軍するのに斥候を欠き、動揺して撤退をしたはいいものの、殿軍を忘れた。
さて。ブランディカの誇る重装兵団は対騎馬特効を言ってもよい力を持っている。
大楯を用いて馬の勢いを阻み、止まった騎馬の脚を切り落とす。重装兵たちはその鎧の重さと相まって、勢いのある騎馬に押し負けることはない。
だが、それも、正面を向き合って戦っていればの話である。敵に背を向け、逃亡の途中……そんな状況では、どれだけ鎧が硬く重かろうが圧し負ける。
それをいやというほど理解しているからこそ、バルデスは騎馬隊の足止めをしようとその場に残った。
「軽装じゃあ、楯があっても騎兵に負ける。正面から攻撃を受けるな!」
指示に従った兵士たちが、滑り台のように楯を傾ける。聞こえなかった兵士たちも、周りの兵士に従って同じように傾けた。
重装兵たちはその重い鎧があるからこそ正面から騎馬を受け止められる。重要なのはその重量。
であれば、軽装の彼らは何で騎馬を受け止め、避けるか。
「一つの楯に3人入れ!必要なのは受け流すことだ、決して正面から受けとるな!」
肩と腕で楯を支え、斜面状の楯をもって受け流す。力を自分達よりさらに後方に流して、そして。
「取りつけぇぇぇ!」
兵士たちは後方に流れていこうとする馬に飛び付き、背にしがみつく。
ある者はナイフを、ある者は剣を。その背に刺して、馬を奪う。
「5歩、退避、構え!」
バルデスの指示に応じて楯を持つものたちは5歩、下がる。いくつかの楯が放棄され、変わりに彼らが楯を支える。
3巡した。その瞬間、バルデスは馬を奪った軽装兵たちに向けて、「突撃!」と叫ぶ。
馬と馬、兵士と兵士が、正面切って激突した。
四日後、ブランディカ本陣。
バルデスの軽装兵部隊が帰ってこなかったことで自分の犯した失態を自覚したメラーゼは、何度かの自責と自嘲を繰り返したのち、冷静さを取り戻した。
「まず、本国を攻めている敵を追い払う。……『神の住み給う山』に帰すだけだ、あえて殲滅する必要はない。」
その指示にしたがって、五万の軍が出陣する。
一つの指示をするたびに二度の深呼吸を挟みつつ、メラーゼは決定的な一言を告げる。
「出陣した五万が帰ってきた2日後、山に向けて進軍する。徐々に徐々に押し潰す。」
なんとしても、堅陣を崩さぬように。メラーゼは敵の首を少しずつ絞めるように、『七ヶ国同盟』を倒すと、決めた。
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