アレイ兄弟
その気配は、山を挟んだ反対側まで感じ取ることができた。
「クロウの生き残りか?」
「だろうね、兄さん。……どうするの?」
「どうもせん。どうもできんよ。」
戦えば、必ず負ける。そんな気配を、ヒリヒリと感じる。
「これが、あの冒険者組合員の夫だって?そりゃ、三大国に勝てると信じるのも頷ける。」
「そうですね、恐ろしいと感じます。ですが、だからこそティキ様を最後までお守りくださるでしょう。」
アルゴスとブラスの会話に、少女たちが声をかけた。
まさか話しかけられるとは思っておらず、兄弟は驚いてそちらを見つめる。
「やはり、知っておられたのですね?」
「伯爵令嬢方。ええ、知ってはおりましたが、それがどうかなされましたか?」
何を、がおおよそズレているのは兄弟も理解している。令嬢たちの『知っている』はクロウの生き残りとティキ=ブラウとの関係、そしてそのクロウの生き残りがシーヌ=ヒンメル=ブラウであることだ。
対して、アレイ兄弟の『知っている』は違う。彼らの『知っている』は、シーヌ=ヒンメル=ブラウがわが父を殺し、そしてその父は生きていること。だが、なんとなくティキと繋がりの深そうな彼女たちに父ドラッドのことを話す必要はないと即断した。
「恨んでいますか?」
「いいえ、エル様。どこの世にも因果応報という言葉はありますとも。」
それは、シーヌ=ヒンメルにも。そう彼は内心で呟く。
「なんというか、割り切っているのですね。」
「現実を、よく知っていますから。」
そう言って彼らは下を見る。
そこにひしめいて見えるのは、非常に頑丈な鎧兜を着た騎士の数々。それが、二十五万人もいるというのは、脅威以外の何物でもない。
「寡兵で大軍に勝つ。夢物語であると、信じて疑わないのが現実主義というやつですが。」
次に信じられないのが、個で軍を圧倒するというものだが、噂に聞く“十神”なら個で世界を破壊できるため、そこは疑えないのが欠点だ。
「ですが、地の利がありますから。」
「あとは士気ですが……シーヌがいるなら、話は一気に変わってきますし。」
復讐対象だけを厳選した侵略軍。そんなもの、大将を殺してくれと言わんばかりだとブラスは息を吐く。
「勝てない戦いはしない。それが俺たちの結論だ。」
「シーヌとティキさんが勝たせてくれるというなら、素直に勝たせていただきますよ。」
何せ、父と違って国仕えなもので、という兄弟の言葉に、二人は納得したように頷いた。
「ところで、話は変わるのですが。」
フェルはこんな井戸端会議でするような話題でないものを、振った。
「あなた方は、勝利後どのように政策を振る予定で?」
アレイ兄弟はその発言に言葉を失う。確かに、彼女らがそれを問うのは当たり前だ。
兄弟が……クティックとニアス両国が勝利を前提とするのならば、勝利後の国の政策について語り合うのは妥当なところだ。
「クティックでは、アストラストへの侵攻を予定している。」
「ニアスも同様だよ。ブランディカに攻め込むさ。ケムニスもだろ?」
見透かすような一言に怒りを覚えるものの、その通りなので何も言えない。そんな感じの表情を張りつかせた彼女は、その後苦笑いを浮かべようとして、失敗した。
その何とも言えない空回りさに親しみを覚えること、一瞬。ニアス王国のブラスは、なら、組める、と速攻で判断を下した。
「ここで同盟?」
「早すぎますね。暗黙の了解で、侵略軍同士の相互不可侵。それくらいが妥当でしょう。」
「ああ、僕もそう思う。ブランディカを二つに割って、半分ずつ分けようか。」
「ああ、一気に侵略しすぎたらだめですよ?」
「なんで?」
どうも、ブラスとフェルは馬が合ったらしい。護衛と共に二人を残して、いたたまれなくなったエルはアルゴスと共に席を立つ。
ワルテリーに所属しているエルは、ケムニス。クティック、ニアスのどの国とも立地上隣接しない。強いて言うなら、『神の住み給う山』を七ヵ国で分割統治した場合は隣接することになるだろうか。
「ワルテリーは、グディネへの侵攻か。」
「ええ。ケルシュトイル公国がベリンディスを迎合せざるを得ない以上、グディネに攻め込む余裕はなさそうですし。」
「なぜだ?」
アルゴスは首を捻った。政治屋がベリンディスを迎合するなら、軍はグディネに攻め込めばいいじゃないか、とその目が語っている。
「ベリンディスを迎合した後、その地の政治は誰が行うのですか?」
エルは純粋な疑問として、それをぶつけた。
土地が違う、統治者が違う。つまりそれは、土地に住む者たちにとって、生き方が変わることを意味する。
「そのやり方に素直に従うなら、問題ありません。しかし、ベリンディス。賢民政策を実施された国です。民からの反乱という考えたくもないことを、容易にやってのけられる国民性を持つ国です。」
ゆえに管理は容易ではない。エルは正直、そんな国を支配したくなどない。
「国は間違いなく生き物です。ですが、だからこそ。頭の指示を聞けない腕や足では困ります。」
政治に干渉する力を持つ、国民。それは、頭では『前に進もう』と意識しているのに、体は勝手に右や左へ曲がっていくようなものだ。
それは、生物として終わっている……ので、国としても滅ぶためにあるようなものだ。
「まず国を『真っ当に』したいのなら、国民から政治に干渉する権利を取り上げなければなりません。そこからやっていくのですから、ミラの苦労は、慮るだけでも苦しくなります。」
貧乏くじということだろう。確かに、国を挙げて新領土の統治に尽くさなければならないのなら、新たな土地を抱えている暇ではない。
「しかし、それではその後グディネが攻めてきたとき、ケルシュトイルはどうするのだ?」
間断なく攻めてくる、ということが、あの国にはできる。それをアルゴスはわかっているからこその問い。
「簡単ですよ。だからこそ、ティキ様は新生グディネ帝国軍の全潰を狙っているのです。」
即ち、軍勢に与えられた打撃が酷すぎて、第二波が送れない状況を作ろう。そういう意味だと理解して、アルゴスは恐怖で身を震わせる。
「だが、本当に」
それで第二波が止まるのかという純粋な疑問に、エルは口角を上げて答えた。
「だって、三大国全て、今が決戦とばかりに精鋭を出していますから。」
ブラスは唖然とした顔でその説明を受けた。
自分の下にいる、あの重そうな騎士鎧たちが、精鋭。度重なる外敵侵略によって鍛え上げられた、自分たちの数十倍の軍力を持つ国の、精鋭軍。
「な、なぜ?」
「ブランディカ、グディネは言うに及ばず、この同盟のことを知るアストラストも、戦争の要はそれぞれが敵対する大国だと認識しています。」
小国が同盟を組んで醜くあがくなど、どの大国も想定していない。アストラストとて、漁夫の利を狙った抵抗だろうと踏んでいるだろうとエルは言う。
「自分と同レベルの軍を保有する大国が、三つ。三つ巴でそれぞれにらみ合う状況。」
しかも、今まで決して破られることのなかった“神の愛し子”が破れ散った戦場で。
エルは大国の視点に立って、政治的分析を交えながらに話す。
「手を抜く余裕はありません。『神の住み給う山』を実質占領した国が、三大国の中で一歩先に抜きんでる。」
ここは三国どこにしても、重要な立地なのだ。ここを占領されるということは、どの国にとっても喉元に刃を突きつけられたような状況。
逆に言えば、この山さえ占領すれば、自分以外の二国の喉元に、刃を突きつけることができる。
「絶対占領しなければならない土地、絶対に占領させてはならない土地。精鋭を……全力を出さない理由がない。」
ゆえにこそ、とミラが、そしてフェルが笑う。
それは、とても活き活きとした笑み。そして、政治家のごとく腹黒さを秘めた笑み。
「今来ている軍さえ打ち倒せば、殺しつくせば、最強の軍さえ倒しきれば。第二波を送るにしても、あるいは小国に標的を向けるにしても。」
簡単に決断は下せない。そして、周辺国への防備も削れないからこそ、軍を容易に派遣できない。
ブラスは納得したように首を振る。
「俺たちが侵攻しすぎちゃいけねぇのは政治屋が大変だから。俺たちを護るのも、敵さんの政治屋がいっぱいいっぱいになっちまうから。厄介だな、おい。」
どちらかと面倒くさいのだろうな、という言葉を、エルは飲み込む。
この男は完全に前線指揮官向きの男だ。元帥にはなれない、せいぜい佐官どまりか、前線にでる将軍といったところ。
「だからこそ、でしょうか?」
「どうした?」
いえ、何も。ミラはそう言いつつも、高鳴る鼓動を抑えることは出来なかった。
自分にない資質を持っている。ミラは、ブラスとアルゴスに、その片鱗を見つけていた。
二人の令嬢が去った簡易テントの中で、兄弟は顔を見合わせる。
「アルゴスにはやっぱ、合わなかったか。」
「面白いが、惹かれるわけではなかった。むしろ、あの女騎士の方が好みだったな。」
「しかし王様も無茶言うねぇ。よりにもよって、『身を固める相手を探してこい』たぁ。」
戦場でそんなもの見つかるわけないだろ!と言っていたブラスが一番、戦場でミラに惹かれているのではあるが。
「政治屋が面倒くさそうだなあ。」
「その前に男女の仲を意識させる方が大事だぞ。」
「いや、無理無理。俺がどんなけ箱入り息子だと思ってんの。」
寡黙な兄と、陽気な弟。繕わないでいいからこそ、二人は完全に兄妹としての会話ア興じる。
「それに、な。」
言おうとしたセリフを、アルゴスは右手を上げて制した。まるで、分かっている、と言わんばかりに。
だが、それでも止まらず、ブラスは続ける。
「シーヌの妻に縁ある娘が、シーヌの仇の息子を迎える?なんの冗談だってぇ話だよ。」
ブラスの、もしかしたら初恋になるかもしれなかった奇縁は、実にあっさりとした理由で幕を閉じる。
そんな恋愛沙汰より、彼らにはずっと重要な懸念事項があった。そう、とんでもなく、考えるだけでも嫌になるような、特級の懸念事項が。
「親父、アレ、無理だろ。」
「秘策があるとは言っていたが。……やはり、怖いな。」
二人にも感じられる、シーヌ=ヒンメル=ブラウの脅威。それはその正体を知っているから、それが自分たちには向かないと理解しているからの、冷静な分析。
シーヌと未だに会っていないマルスなどは「これがアギャンを討ったなら、可能だろうな」程度にしか考えていない。
それをシーヌだと認識しているからこそ、アレイ兄弟は思うのだ。
「“復讐鬼”。これが、それに人生を懸けたものの、脅威度か。」
父は、彼らは。なんというものを世に放ったのだと、二人は呆れと恐れで重苦しい息を、吐きだした。
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