ティキと公女
全ての準備は終えた。ティキは手元に集った、『小国七ヵ国同盟』に呼応する手紙を見ながら、チェガの方を見る。
チェガももう理解したかのように、ティキに指示を求めに来た傭兵たちの方を向いた。
「建物が必要です。」
チェガが話し始めた内容が、自分の意図するものと同一であることを確認して、ティキはその場をあとにする。目指すはケルシュトイル公国の大使がいる一室。
ノックをする。それに対して答える女性の声。
「冒険者組合所属、ティキ=アツーアです。入室させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いません。エムラス、ここで待機を。ティキ様、こちらへどうぞ。」
ケルシュトイル公国公女ミラ=ククル。リュット学園にティキが通っていた時、ティキと親交のあった、数少ない少女である。
ミラはティキを自室に案内した。てずから紅茶を淹れ、彼女の前に差し出す。
「毒見は必要ですか?」
「いえ、必要ありません。」
そこまでは挨拶だった。ティキが少し大きめに息を吐くと、その雰囲気も一変する。
「ミラさんがいるとは思わなかったね。」
「私は知っていました。夫さんとはいつ会えるのですか?」
ケルシュトイル公国、怖い。公表しているわけではないシーヌとの関係性を言及されて、ティキは素直にそう感じた。
そんな気持ちが表情に出ていたのだろう。ミラは微かに頬に笑みを見せながら、理由を言う。「国政に携わるもの……あるいは商人などは、冒険者組合というのは強大な組織ですよ。あるいはティキ様のように、貴族のしがらみから逃げることすらできるほどに。」
アレイティア公爵家ほどの大貴族ともなると、前例がなさすぎますが。ミラはそうぼやきながらも、ティキの目をじっと見る。
「私はアレイティア公爵家令嬢ティキ=アツーアではありません。冒険者組合員所属、ティキ=アツーア=ブラウです。」
「それを断言できるのなら、きっと大丈夫でしょう。ですがティキ。アレイティア公爵家は、躍起になるでしょう。あなたを捕まえることが、彼らにはどうしても必要です。」
「どうして?」
貴族家の先輩として、ミラはティキに講釈を垂れている。正直なところ、誰でも知っているから、ティキが知ろうと思えばいつでも知れることでもあった。
前提。本来アレイティア公爵家は、『ビレッド=ファムーア』が後継する予定だった。それに足るだけの絶対的な才を、ビレッドは有していた。
そしてその才ゆえに、ビレッドは出奔した。己が信念を貫くために。祖が願った形でなくとも、『神獣』を得るために。
そんなことは誰も知らない。知っているのは、将来の栄光が約束された少年が、なぜか栄光の道から外れた。ただそれだけである。
「でも、ビレッド様がいなくなったのが、アレイティアにとって最悪の事態をもたらした。……あなたの父、ティレイヌが、アレイティア家の当主を継いだ。」
ミラ曰く。それが普通の貴族家であれば、ティレイヌはむしろ優秀だった。最高だった。ちやほやされて育てられてもおかしくないくらいに、天才と称されてしかるべきほどに。
「ティレイヌ公爵は悲しいかな、アレイティア公爵でした。一般的に天才と呼ばれる程度の才では、せいぜい『秀才』がいいところです。その上、比較対象が、その……。」
「ああ、兄が『天才』だったから。」
「ええ。そこまでは良かった。兄と比較されて公爵家内では貶されつつも、他からはやり手の貴族として間違いなく認知されていた。あれほどやり手の男でも、アレイティア公爵家では『最低限の基準』にすら達していないのかと、周りからは家に対する恐れまで抱かれるほどです。」
相当優秀な貴族だったのだろう。父は。
ティキが『父』の一言を頭に思い浮かべると同時、ミラが「だからこそ」と続けた。
「あくまで『秀才』だからこそ、『凡才』の息子には呆れを通り越して諦念を抱きました。」
天才の弟は、天才になれなかった。アレイティア公爵家において、『秀才』は『落第』と同義だった。
そして、落第生の息子もまた、落第生だった。アレイティア家に属する人間は、先代も含めて全員、アレイティア公爵家の終わりを幻視してしまった。
「そんななか、あなたが生まれた。……男しか爵位を継げないボレスティア王国の貴族にあって、『天才』の資格を持つかもしれない、女児が。」
それゆえに。だからこそ。
「血脈婚。滅びに向かうアレイティア公爵家を救う最後の手段として選ばれたそれは、あなたが『天才集団』の一員になることによって、潰えました。同時に、アレイティア公爵家は嫌でも理解することになります。」
ティキ=アツーアは、天才であった。なんとしてでも、家に繋ぎとめておくべきだった、と。
そこまで話して、ミラは沈黙し……絞り出すように、言った。
「ティキ様……私たちは、あなたのために生き、あなたのために死にたい。」
愕然とした。それは、ティキにとって聞き逃せない言葉だった。
「あなたが不憫だから。あなたが天才だから。貴族として、公女として……確かにそんな理由もあります。私にとって、あなたはあまりにも、眩しい。それと共に思うのです。」
そこで彼女は言葉を切り、目を細めながらティキを仰ぎ見て。
「いえ、思っていました。あなたは、あなたの眩しさは、あまりにも儚かった。」
「今は、違うの?」
もう体面を気にしなくなったミラの告白に、ティキも誠意で答えた。即ち、学園時代から崩さなかった敬語を外すということで。
そのことにミラは瞠目しながらも、全く動揺を見せずに、続きを言った。
「ええ。地に足がついている。今にも消えそうな輝きではない。そう見えます。」
「それでも、ミラは私のために生きたいって?」
「……はい。でも、そうなる時はそうなるとわかる気もします。」
今はその時ではないということなのだろう。ティキはわかったようなわからないような、そんな気がした。
「だからこそ、私は、あなたを変えたあなたの夫に会いたいのです。」
「私を変えた?シーヌが?」
ティキは微かに頭を捻って……
「シーヌは何もしなかったよ。私を変えたのは、シーヌ以外の、会った人たち。シーヌはただ、私をそこへ連れて行っただけ。」
ティキがこうしてシーヌの隣を歩き続ける決意を固められたのは、セーゲルの聖人会が手を貸したからだ。
ティキがこうして政治に足を踏み込んだのは、シーヌにとってそれが必要だったからだ。
ティキがこうして自我を強く持てたのは、“永久の魔女”という、意思の怪物がいたからだ。
「シーヌと旅して、シーヌの敵を倒して、同盟者や利害が一致した人がいて。みんな、自分らしく、自分の望みを貫こうとしていた。」
聖人会は与えられた目的を。ティキの出会った強者たちは、皆が皆、自分の生き様を。
「強くなるには、自己中でなければならない。魔法を使うための必須条件。……ミラ、あなたは、どう生きるの?」
ティキの問いかけに、ミラははっきりと、ティキの目を見て答えた。
「私は、ケルシュトイル公女として……ケルシュトイルの女王として、“神の愛し子”なき『神山』の側を支配する。国のために、そして、いつか来るであろうアレイティアとの戦争に向けて。」
たとえ何があっても、自分は自分の生きるレールに沿ったまま、それでもティキを助ける。その姿勢に、ティキは感心しつつ、笑った。
「そう。じゃあまずは、ベリンディスを滅ぼさなくちゃね。……ミラにお願いがあるの。」
ティキは、ケルシュトイル公国を大国にするべく、策を考えている。そうして、ティキとミラの悪だくみは始まった。
それから三日。ティキはミラに、馬車を借りてもいいかと聞かれた。
「もちろん。でも、シーヌのだから、ちゃんと返してね?」
「わかっています。……お願いします、ティキ様。」
「お願いするのはこっちだよ、ミラ。厳しい役割だと思うけど……。」
「ティキ様と私の関係は、多分バレません。冒険者組合員ティキ=ブラウとアレイティア公爵家ティキ=アツーアを一緒にする人なんて、絶対いませんから。」
そう言うと、ミラは貸し与えられた馬車を見る。
「また、豪華な……。」
「見るの初めてじゃないだろ。」
「何度見ても驚きますよ、これは。中規模の国の国王並みです、これは。」
「あんたはこれから、この上を目指すんだろうが。」
チェガは少し口悪く、言う。
ティキと関わる中で、シーヌと、その友であるチェガとの関わりは、断ち切れない。
どころかティキは、自分たちがもつ、自分たち以外の最大のカード、“奇跡能力者”を、友の護衛に宛がった。
「チェガ。……本当に、お願いします。」
「わかってる。大丈夫だ、俺が死ぬまで、ミラは死なねぇ。」
馬車の上に飛び乗る。そこで、チェガはミラの身を護る。
敵は大国。三大国を相手取るために、ティキはもう、準備のほとんどを終えていた。
「さて。ミラさんが出発したら、皆さんも行きましょう。すでに準備は終えています。」
『神の住み給う山』に七ヵ国の首脳陣が集うまで、あと一週間。すでに、三大国の気配は、近くまで近づいてきていた。
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