化かし合いはまだ序盤
辺境の村から流れて行った、『神の住み給う山』にいる神獣全滅の噂。
それが真実か確認するため、ベリンディスでは少人数の兵隊が派遣されていく彼らが『神の住み給う山』に入ったのと時を同じくして、ティキはベリンディス王都に入っていた。
「申し訳ありません。ここにベリンディスの元首がいらっしゃると聞いたのですが、間違いはありませんか?」
巨大な白い建築物。だが城とは呼べないレンガ造りの建物。
そこの前に立つ兵士に声をかける。
「ええ。その通りです。ディオス元首に面会をご希望ですか?」
「ええ。『獣を裸足で蹴ったもの』が会いに来たと。」
隠語ですらない隠語。だが、彼はわからなかったらしい。
一度だけ言葉を繰り返して確認すると、別の兵士を呼んで見張りに入れ替えつつ、建物の中へと踵を返す。
ああ、やはり出来が悪い、とティキは思う。よく教育された兵士であれば、この程度の暗号の意味は理解できるし、その時ティキをこんなところで待たせるようなことはしないだろう。
「一つのことを十年以上にわたって勉強する。それをしなくなればこうなるのも当然ですね。」
「辛辣なことを言ってくれますね、ティキ=アツーア=ブラウ。……ですが、その意見には全面的に同意します。」
話しかけてきたのはティキの後からこの建物についた男。貴族然とした立ち振る舞いの中に、わずかな苛立ちをティキは見つけた。
この男、政治家だ。ティキはそんな感慨を抱くと同時に、表情と意識から甘さを取り去る。
衆愚政治の長なら警戒を甘くしていてもよかった。人気者など取るに足らないと思っていた。だが、政治家が相手であれば話は別だ。
ティキの読みと同じ動きをするのか、しないのか。おそらく、誘導は出来ても完璧な『予定通り』は出来ない。ティキはこの男からそれだけの政治手腕を読み取る。
「さて、見張りの兵士よ。彼女を中に入れますよ。」
「いいえ、元首から許可をとっていないのにここを通すなど言語道断であります。」
「私が言っても、ですか?」
「はい。素性もわからないのに、許されることはありません。」
頭の固い。男はそう舌打ちして呟くと、懐からいくつか碧く輝く石を渡そうとする。
「不必要であります。そのようなもの、国家運営に必要ありません。あなたは政治を何だと思っていらっしゃるのです?」
プ、とティキは笑う。男も笑った。
それを見て、門番の兵士は何が笑われたかわからないまま、それでも笑われたことだけは理解する。
「何を笑っておられる?」
「賄賂もない?潔白政治?……政治をバカにするにもほどがありますね。」
「これが我が国です。あなたはどう考えました、冒険者?」
「愚か者でしょう。……カネという報酬なく、肩書の丈でうまく生きる?それを政治家に求めるのですか?」
「当たり前でしょう。政治家は、聖職ですから。」
話す価値もない。ティキはそう感じて押し黙る。
「どうして黙るのです?自明の理を説いただけでしょう?」
「それを自明の理だと勘違いしている時点で、この国に未来はありませんよ。……まあ、あなたにはわからないでしょうね。」
兵士の顔に血がのぼる。だが、その兵士が手に持つ槍をティキに向けることはなかった。
それは、彼がここの見張りの兵士であるということの意味をよく理解していた、という意味である。また同時に、ここの主がティキを迎えに出たからでもある。
「どうしたのだね?」
「あ、元首様。この女が、賄賂のない潔白政治などバカバカしいと。」
「ふむ。……よく自制した。まずはありがとう。」
「ありだとう、ですか?」
「ああ、彼女と今問題行動を起こしたくはなかったのだ。」
「しかし、どう考えても」
「この国ではわからないかもしれないけどな、潔白政治なんて少ないのさ。学のない国から来た少女に怒っていても意味がないだろう?」
そう言葉にしながらも、元首と呼ばれた男はティキの顔色を窺うようにこちらを見る。
この兵士を宥めることが先決と判断はしたものの、ティキの怒りを買わないか警戒もしている。そんなところだろう、とティキは感じた。
何しろ彼の前にいるのは、今までこの一帯の恐怖と平穏の象徴であった神獣たちを一掃したと思われる少女だ。……その気になれば、もしかしたら国一国程度なら破壊できそうな、そんな少女である。
出来る限り心象は悪くしたくない。そんなところだろう。……ティキがここに来た目的も、この元首はおおよそ想像がつかないに違いない。
「しかし!」
「それに、であるが。……人間は利益がないと行動しない、というのも、事実であるよ。」
「元首殿でもですか?」
「ほら、私は君たちに頼られているではないか!それが嬉しくなければ、こんな職には就けないとも!」
気苦労も多いからな、と男は言う。背負う期待が大きいというのは彼も自覚しているのだろう。だからこそ彼は、国民の期待を背中に背沿い続けるという道を選ぼうとするだろう。
ティキはその元首の目に宿った、狂気的とも呼べる栄光への飢えを見て取った。これは使える。というより、この国の制度を考えた場合、ほぼ確実に戦争にするには彼の……元首の力が必要だ。いや、彼を利用すれば、ほぼ確実に戦争を起こすところまでは持っていける。
ティキは内心ほくそ笑んだ。ほくそ笑み、それから、チラリと宰相の方へと目を向ける。
彼と対談する機会は作らなければならない。だが、同時にそれが戦争を起こす前であってはならない。
でなければ、このやり手の政治家は何が何でも戦争を止める方法を考えさせられかねない。
自分はもしかしたら政治の才自体はあるかもしれないが、間違いなく経験に乏しいのだ。今すぐ彼と渡り合うには、明らかに実力不足だと思われた。
「……元首殿がそう言われるのであれば構いませんが……。」
渋々というように兵士が下がる。それでようやくティキは元首邸へと案内される。
ことこの期に及んで、ようやくティキはもう一つの兵士の至らなさに気が付いた。
(人を案内する段階になって、それに難癖をつけるなんて……出来の悪い。)
父の政治風景。ティキは『貴族として』の英才教育は受けていなかったが、それでも何度か父の政治風景は見せられていた。
それは、ティキが兄の子を産んだ後のことを考えての措置。
いくらなんでも、母が貴族のやり方を何も知らないというのは不味い、という考えから盛り込まれた、必要最低限の貴族社会での礼儀。
親が息子に教えるため、ではなく、親が息子に恥をかかさせないための教育であったが……それが平民にとってはちょっとどころではない教育内容であった。
それとは別に、ティキはリュット学園に通っている。事情が事情であったために学園側も腫物に触れるように彼女を扱いはしたものの、それは貴族のお嬢様学校。どんな行動をするにしても、あるいはどんな行動も起こさないにしても、嫌でも政治というものに関わる。
リュット学園とは政治家の魔窟。貴族の、王家の妻になる、愛妾になる。あるいは坊ちゃん嬢ちゃんの教育係を担当するような高位の侍従になる。
そんな者たちが通う学園に通えば、嫌でも政治的関係性は目に映る。
ティキとて例外ではなく……それがゆえに、『貴族として』必要な最低限度の常識が出来ていない……それを必要としていないこの国の在り方には、苛立ちがあった。
明らかに執務室と思われる部屋に置かれた机。ティキはそこの上座に腰を下ろす。
下座には、男二人。年齢・性別・威厳。どれをとっても異様と言わざるを得ない、そんな現状。
「“神の愛し子”アギャンは我が夫“空の魔法士”シーヌ=ヒンメル=ブラウが討ちとりました。」
挨拶もそこそこに、ティキはそう言い放つ。それを聞いて、やはりと思っていても元首と宰相は動揺を隠しきれなかった。
「同時に、残る神獣たちは元シキノ傭兵団オデイア隊、オデイアの息子チェガ=ディーダ、そして私、冒険者組合所属ティキ=ブラウが殲滅しました。」
その数は十万近かったと予想される。丁寧な口調で、それでも選ぶ言葉は乱暴に吐き出すと、彼女は彼らの動揺が収まるのを待つ。
わずか一分。宰相がまず口を開いた。
「シーヌ=ヒンメル=ブラウという名に聞き覚えはありません。何か名のある戦士でしょうか?」
「半年前にあった冒険者組合員試験において合格した二組四名。その『青』の片割れです。」
そこまで情報を提示されて、宰相は初めてその少年の名を、そして出回った人相書きを思い出す。
「あなたと、同じくらいの年の頃でしょうか……。」
「20は超えていません。直接会ったときに聞けばよいでしょう。」
16である。だが、そのことについては語らない。年齢とシーヌという名前で、もしかしたらクロウにたどり着くかもしれない。それを警戒してのことである。
だが、宰相は年齢を知られることで完全に舐められることへの対策であるとみて取った。ティキ=ブラウと名乗る目の前の少女は明らかに警戒の対象である。だが、その夫まで、警戒する必要はない。
宰相はその事実を読み取る。政治は彼女が、戦闘はシーヌが。どちらかと言えばそういう役割分担なのだろうと彼は感じた。
「しかし、まだ合格して一年の20以下の少年が、あの怪物を仕留められるほどの腕があったとは思えんのだが。」
「我が夫の師は“次元越え”です。それなりの戦闘の場数は踏んでいます。」
次々と爆弾情報を明かす。
だが、爆弾情報を投げおろしながら、致命的な爆弾は投下しない。
絶対に吐いてはいけない情報。一つは、シーヌがクロウの生き残りであること。二つは、シーヌが殺してきた人間たちの名前。最後に、ティキの実家の『アツーア』の姓。
ゆえに、それを聞かれる前にティキは最後の爆弾を投下した。
「『神の住み給う山』の異変。もしグディネ、アストラスト、ブランディカが知ったら、山の所有権を巡って争いが起きるでしょう。間にあるあなた方の国はその争乱に巻き込まれるはずです。」
宰相が目を見開く。今まで、山に住まう小国家が滅びないための抑止力が消えたとだけ考えていたのだ。
大国三つによる戦争。そのために滅ぼされる我が国、という構図は読めていなかった。
「属国化するか、上手く敵を退けるか。それだけを考えていたというのに。」
「両方あり得ません。それぞれの大国が、おそらく超大軍をもってこちらへ攻めてくるでしょう。蹂躙されるか、撃退するか。……あなたたちには、その二択しかありません。」
「属国化は出来るのではないか?」
「不可能です。大国三国、どの国がどれだけの領土を確保したとしても、間にあるこれらの小国は邪魔でしかありません。」
ティキは意識的に断定口調で話す。決して、「もしも」や「かも」という言葉は使わない。
そうやって意識を誘導しながら、思う。大国三つによる戦争。それをこの宰相が予想していなかった。
前提としてのこの条件は、彼の思考を大きくかき乱している。おかげで、ずっとティキのペースで話が進んでいる。
「この近隣の秩序を乱したものとして、近隣小国諸国に私は提案します。元シキノ傭兵団、および新人冒険者組合員二名。護国のために力を借りる気はありますか?」
冒険者組合の理念。乱れた秩序を正しく戻す。
それを聞いて、元首の顔色が少し明るくなる。
だが、宰相の方は悩むように口を開いた。
「冒険者組合員が手を出す理由が、私には、分かりません。」
その言葉を聞いて、ティキは内心にやりと微笑む。
この質問は比較的理想的な質問だった。
なぜなら、彼は。「この程度の質問しかできないほどに、頭が回っていない」のだから。
ゆえに、ティキは堂々と、おそらく冒険者組合が抱える悩みを吐き出した。
「大国三国。どれがどういう勝ち方をしても、『冒険者組合』に近づく戦力になりえます。それを避ける。そうなるのを防ぐ。『冒険者組合員』が動くのに、これ以上ない理由でしょう?」
これで、本来の目的である『復讐』を隠せる。ティキはそう確信した。
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