民衆の国の上層部
ティキが愚かと称した国、ベリンディス。
その主たる方針は、国民全教育。そして、その力により多大な発展と利益を得ること。
戦争のない国で、教育による利益は大きい。特に、文化の発展という意味では他国よりも一歩先を行っているかもしれない。
だが、そこでかつて『全教育』の触れを出した政治家たちは、思った以上に低い成果に苛立っていた。
魔法は込める意志力によってその威力が大きく変わる。実を言うと、個人の生活や私闘には非常に向いている反面、戦争など、出来る限り全員で同じだけの規模の能力を行使してほしい時には非常に向いていないものが、魔法なのだ。
それに代わるもの……味方全員、一律で同じ効果を期待できる武器。それの作成を国家は望んでいたが、武器防具の作成は一向に進まなかった。
彼らは忘れていた。いや、気付いていなかった、という方が正しいだろう。
古来、文明とは戦争と共に発展してきた。
文化は退屈は平穏の中でしか発展しないが、文明は休む間のない騒乱の中でしか発展しない。武器防具、そして建築……。それらは、需要に応じてのみ発展するもの。
戦争がない退屈な日常では、たとえ技術力的に銃が生み出せるようなレベルに達していて、必要な素材がすべて発見されているとはいえども。
『必要のない物は発明されない』。兵の練度すらをも必要のなくなった『神の住み給う山』の周囲に生きる者たち全てが負った、大きな弊害であった。
そして、その弊害は、国を統べる中枢にも出始めている。
政治をする勉強をできるのは貴族だけ。そういう風にして貴族社会を辛うじて繋いできたこの国は、ただ情勢をうまく見ることが出来る民が増えたというだけで、その不安定な基盤を完全に壊そうとしていた。
「……この状況は、願ったり叶ったりであるな。」
ベリンディス宰相、クロム=ガデラン=ネリシャス・アリナス旧伯爵。彼の呟きに、元帥、宰相共に大きく頷く。
手に入った情報は、大きなもの。そして、扱いが非常に慎重にせざるを得ないもの。
「どちらにする?」
「一択だろう。大国に勝れると思っているのか?」
彼らの会話は、暗黙の了解のもとで成り立っている。だが、その元帥と宰相の会話に、民衆から選ばれた国家元首は存在しない。
「一つ、疑問があるんだ。」
「どうした、クロム?」
「その冒険者組合員の目的は、なんだ?」
その元帥の言葉に、宰相は口を噤む。
「“神の愛し子”が死んだ。殺した。それが事実だとして、大国三国ではなくベリンディスに伝える意図は?」
「……呼び寄せる必要がありますね。」
「向かってきている、とは聞いたな。」
そう聞いて、クロム宰相は慌てて座っていた椅子から腰を上げる。
「この情報は元首には?」
「いっていないはずだ。が、どうしてそう焦っている?」
「会わせるな!彼なら民衆に情報流出をしかねない!!」
それを聞いて、元帥は純粋に首を傾げる。
「何が悪い?」
その言葉に、宰相は苛立たし気に地団太を踏んだ。
どうせ理解できない。この元帥は“黒鉄の天使”と違い、完全な軍事領分の人間だ。政治の話は理解するまい。
それが表情に出たのだろう。元帥は何も言わず、こちらの表情を窺うように見た。
「ベリゲル伯。その冒険者組合員の言動を統制したい。有難いことに子供らしい。私の言うとおりにしてくれ。」
「わかった、アリナス伯。……政治の領分はわからない。任せた。」
そう言うと、元帥……ブレディ=ストール=アデウス・ベリゲル旧伯爵は、国家の命運を彼に託した。
一方そのころ、国家元首にして民衆から絶大な支持を持つ騎士、ディオス=ネロ旧準男爵は、自分の持つ情報網からその情報を手に入れた。
「今こそ、世界に教育制度を拡げるときである。」
ティキが聞いたら激怒するだろう。そんなセリフを彼は平然と言ってのけた後……。
「教育制度の普及を目指すのであれば、大国を飲み込むのが最適である。幸いにして、我が国は文化レベルが非常に高い。これらの製品の製法を元手に、山向こうの大国から軍を借りるのが最適解である。」
元帥にも、宰相にも、そのようなことを相談せず……というわけではない。あとで話すと決めているし、反対されるという予想もある。
口論になれば、ディオスはクロムに勝てない。だが、この国は最高の……本当に最高の、制度がある。
国民投票。要は、『政治に関して特別教養を得たわけではない人間が』、『本職の政治家がまとめ上げた利点と欠点を聞きながら』『己の感情のみで投票を行い政治制度を決める』という、世界でもまれにみる愚かな制度である。
これなら、口論をせずとも制度を決めることができる。大国グディネを支配下に置き、教育制度を流通させるという目標を果たすことができる。
クロムが優秀な政治家であるのは間違いない。それはディオスでも認めるものである。
だが、彼には致命的に人望がなかった。そして、非常に現実的な政治家だった。
頭が良かろうが、どれだけ非現実であろうが。民衆というのは、圧倒的なカリスマと理想についていくものだ。派手な制度や派手な行動についていくものだ。
もしもそれが、愚かではない、非常に優秀な民衆であれば。あるいは、必要最低限の政治について理解している者であれば。
ディオスのように派手ではなく、クロムのように堅実な政治を、ゆったりとした歩みをとろうとする政治家が、優秀で、自分たちにとって最も利益をもたらすと理解をしただろう。
特に大きな成長もない、極力現状を大きく変化させようとしない政治家。彼を支持するのが正しいと理解できただろう。……少なくとも、死なないためには、絶対に必要なことだ。
「戦争だ。……ようやく、待ちに待った戦争だ。」
そう。この男は、この戦争のない退屈な日々にあって、戦争を望む政治家であった。
後に、ティキは言う。「やはりベリンディスは、衆愚政治の末に果てた。民衆が政治をするとこうなるのは自明の理であったのに、どうして知識を得られる人間を限定しなかったのか」と。
ベリンディス国内は既に元首派と宰相派に分かれた。
このあと、どのように戦端が開かれていくのか……それはまだ、誰も制御できていない。
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