政略に向けて
ティキが最初に目につけたのは、殺しに殺した神獣たちの亡骸だ。
ティキは獣が好きだ。生きている獣たちなら友達になりたいと願うし、殺したくないとも思う。
だが、死んでしまった獣にまでそんな感情を抱くのかと聞かれたら、そんなことはない。流石に、死んだ獣を愛せるほどティキは動物への愛情を拗らせてはいなかった。
アギャンの死後、生き残っていた獣たちは、ただ一頭のフェーダティーガーと三頭の狼を除いてシーヌの手で葬られた。
生き残った狼たちにも特徴がある。巨狼ではなく、その部下たちだった者だ。巨狼はあの戦闘時に死んだ。
いくら個人の質が高かろうと、数には負けるといういい実例を見たとティキは思っていた。
狼の一頭に跨る。馬に乗るよりも柔らかい感触。それに頬を緩めつつ、ティキは駆けていく狼の背を撫でながら思う。
どうすれば、ベリンディスで確実に“災厄の傭兵”を引き入れられるか。“災厄の傭兵”をどうすれば三大国から引き離せるか。
戦争の終結条件は何か、どこまで何を追い詰め、どう譲歩させるのか。あくまで小国七つは“災厄の傭兵”を巻き込み、また最後の調停役にするための楔だ。だが、だからこそ、ともいうべきか。
ティキは、この七つの国、うち少なくとも四つは同盟に引き入れなくてはならなかった。
『神に住み給う山』辺境国家ベリンディス。この国は全国民が教育を受けられるという、どう考えても頭がおかしい国だ。
「他国に怯えなくても国が滅びない。だから軍事費はいらない。その分教育普及に費やしてみよう。思考過程はものすごく納得できるんですけどね……。」
教育を施したところで、人間は大衆理念についていくものだ。一人ひとりが自分で考えて行動するなんて理念、掲げるのも主張するのも自由だが、叶うなんてこと『ありえない』。
それをわかっていながら教育を施しているのなら、その中から特別優秀な人間を選別するためのシステムだろうから、おおいに価値があるだろう。が……
「街の発展具合、交わされる会話の内容。そこまで優秀でないと見えます。」
であれば、国民全員に勉学と将来の道の選択の自由を与えた程度。むしろ自分で考えることができるようになった国民性は、為政者にとっては足枷にしかならないはずだ。
「その上、なまじ勉学を与えたから、取り上げるにも取り上げられないでしょうし……。」
そこまで考えてから、ティキは取り合えず決意した。よし、この国滅ぼそう、と。
「周辺国家に悪影響が出ますからね。……小国に統合させるのが良いでしょう。ここから一番近い小国は、……ケルシュトイルですか。あそこは確か王権でしたね。あそこでいいでしょう。」
さらりと案をまとめると、ティキは入った街の宿を訪ねる。
「一泊したいのですが、部屋はありますか?」
「ああ、あるよ。旅人は久しぶりだねぇ。」
「いくらですか?」
「一日、朝晩の食事を保証して、翠石二つだよ。
「……翠石。」
「なんだ、ないのかい?」
ティキは己の懐を見た。その中にはゴロゴロといくつかの黄石と紅石が入っているが、翠石はない。
近くに換金するところがないかな、と思ったが、ないだろうなとティキは結論付けた。紅石ですら、人間が人生かけて稼いだ給料の全額と言ったところ。黄石は、一年かけて貯まるか貯まらないかと言った値段のものだ。
「これで五泊お願いします。」
結果として黄石を一つ差し出した。過去の貯金をすべて出したりすれば、翠石90くらいならあるだろうと感じてだ。
「……また、お嬢ちゃん、お金持ちかい?」
お金持ちなんだったらもう少し搾り取ろう、という魂胆が透けて見えた。
人というのは現金なものだ、と思う。翠石二つというのは、宿代にしては随分と高い。その理由を探ろうと思っていたが、探る必要もなかったことにティキは今更気づいた。
黄石を出したことだけで、この宿の女将はティキをお金持ちだと判断したわけではない。傍から見たら調教され切った狼、仕立も生地のも上等な服装、しっかりと整えられ、風になびくような髪質。
これでお金持ちだと思うなという方が無理である。今さらティキはそれに気づいたが、少々遅かったようだった。
だが、お金持ちとして絡まれるなら、それはそれで別の対処法がある。絶対無比にして最大の、この世界における最高峰の身分証明書、かつ安全保証書。
「私、こういうものです。」
冒険者組合、ティキ=アツーア=ブラウ。その文章に、女将はその表情を歪めた。
金を搾り取ろうとするのは失敗だった。全力で媚を売る相手だった。今更気づいても遅い事実に女将は頬を引き攣らせながら、どうぞ、と宿の部屋への道を譲る。
「ありがとうございます。やはり五泊以上すると思うので、黄石はそのまま貰っちゃってください。」
そう言い残して、私はその場を後にする。これで、この宿は(多分)私の貸し切りになった。他の客という、冒険者組合員の機嫌に影響しそうな真似、きっとこの女将はしないだろう。そのための賄賂でもあるわけだから。
それに、一部の大物以外は、冒険者組合と聞けば得体の知れなさで怯えるものだ。この街の人間だって、きっとそうだろう。
窓を開けて外を見た。太陽は中天に昇り、燦燦と輝いている。
「明日の昼だね。」
そう呟くと、ティキはベッドに座って、“永久の魔女”の記憶の整理を始める。
その中から自分に出来そうな魔法を探し、知らない魔法の使い方を、コツを覚える。
一日。出来るなら、二日。自分の記憶を整理して、『アギャンが死んだ』という情報を小分けにして出して、その証拠として神獣の肉を解体させて。
とどめに、『冒険者組合の人間がこの国にいる』という情報を回らせる。
おそらく、それが、この国を動かすのには一番最適な方法だろうと、ティキは思った。
オデイアはティキほど政治手腕に優れていない。オデイアは、ただドラッドの妹を妻に迎えたというだけで『シキノ傭兵団』No.2の座に就いた男である。彼自身、自らに政治家としての才覚など皆無であることは良く理解していた。
“隻脚の魔法士”ドラッドの妹を妻に迎える。それは、シキノ傭兵団の誰もが望み、憧れたことである。シキノ傭兵団のNo.2の座はそれで決まるとドラッド自身が宣言していたし、そもそも彼女は妻に迎えたいと望まれるだけの美貌を持っていた。
そんな彼女を妻に迎えられたのは、偏にオデイアの戦闘能力が頭一つ飛びぬけていたからである。腕っぷしが強い。それだけで務められるほど、『シキノ傭兵団』という組織はドラッドの能力が高かった。ドラッド一人の能力に拠っていた。
今日この日まで、コツコツ稼いだお金で政治について勉強し、かつて傭兵だった伝手を使って貴族から直接習いもした。だが、シーヌの復讐に手を貸すと決めて学んだそれらも、意図的に戦争を起こすなどという計画に対しては価値がない。予想していた政略レベルと、規模が違いすぎるからだ。
「さて、どうしたものかな。」
オデイアは山を下りる。下りて、まっすぐに進んだ先。『神の住み給う山』に最も近い村に、入る。
「村長は、いるか?」
オデイアは、寡黙な人間だ。そして、ひどくぶっきらぼうな人間だ。
だから、このような端的な言葉になる。だが、相手に悪い印象を与えないというところが、彼の面白いところだろう。
村の中でも最も古い一軒家から出てきた老人。おそらく彼が村長だろうと、オデイアはあたりをつけて近づいた。
「あなたが村長か?」
「出て行ってくれないか、兵よ。」
大層なごあいさつで出迎える村長だ、などと思うことはなかった。ただ、身構えただけだ。
村長が口を開いた瞬間、周囲の家から強力な殺気が漏れ出てきたからだ。オデイアはそれを、異常事態と受け止めた。
「どういうことだ、これは?」
返事はないと思う、独り言だった。だが、それにも返事は用意されていた。
「この村にくる方法は二つしかない。そのうち一つは、使われなくなってもう二十年以上になる。お前さんは、神の逆鱗を我らに持ち込むつもりか!」
その言葉の意味を、オデイアは重く、受け止めた。彼らに警戒されて当然のことをしたのだ。そして同時に、思った。これが、時の流れである、と。
彼は言った。二つの道のうち一つが使われなくなって、二十年。つまり、その間に彼は、この道を使うことを、心底から恐れるようになったのだ、と。
「それは、申し訳ない。」
ゆえに、彼がしたのは謝罪である。事実を伝える前に、まずは怒りを緩和させなければならない。
「この道を通っても安全になったため、あなた方が恐れる気持ちを配慮していなかった。その上で、事実のみを伝えようと思う。」
オデイアはそう言って、村長の顔を見つめる。村長は信じられない物を見る目でオデイアの瞳を見つめ返す。
わずかに、風が吹いた。それがオデイアの髪を揺らし、その感触を合図とするかのように、彼は決定的な言葉を吐く。
「“神の愛し子”と彼が育てた神獣たちは、たった二人の冒険者組合員とその友の手によって、全滅しました。」
冒険者組合員による神獣の殲滅。世間で「もしかしたら」とされていた希望も、言葉として、情報として聞けば大きな衝撃を人に与える。
老い先短いその老人は、言葉のショックで気を失った。
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