贖罪の傭兵
オデイア=ゴノリック=ディーダ。元『シキノ傭兵団』副団長にして、『歯止めなき暴虐事件』において団長と意見を違え、その虐殺事件には関わらなかった人物。
だが、関わらなかったというのは逆説的に、逃げたという意味でもある。見て見ぬふりをした……クロウという小さな村で、人が大量虐殺されるのを知っていながら、止めることを選ばなかったという意味だ。
そのことに関して、シーヌは何も思っていない。何も思っていないと言えば大きな嘘だが、しかしわざわざ復讐の対象にするほど大きな事柄ではない。だからこそシーヌは言いたいことのいくつかを止めて彼らを許したし、彼らもその言葉で復讐されるかもという警戒を完全に消した。
だがだからと言って、彼ら自身の罪悪感が消えたかといえば、決してそんなことはない。彼だけではなく彼の部下だった者たちも、後味の悪さは感じ取っている。
それは、それだからこそ。シーヌ=ヒンメル=ブラウという少年の復讐に手を貸すことに、彼らは何の躊躇いも覚えない。
後味が悪いから。贖罪のために。そういう考えの元で死地に赴くことに、彼らは躊躇いを覚えない。いや、覚えてはならないと思っている。
その考えゆえに、その甘さゆえに決して世の中で言う『強者』になれぬとしても、彼らは贖罪のために命を捧げる。
チェガに聞いたがゆえに、彼らは知っている。“奇跡”の実在を、知っている。
おおよそそれの発現方法も、聞いている。純粋な心の強さと、ぶれない生き方。強力な目的意識、あるいは自分の人生の絶対的な定義。それを得ることであると理解している。
そうして、そうだからこそ。彼らは、シーヌへの贖罪のために生きるという、“奇跡”を得られなくなる可能性の高い道を、選択した。もともと得にくい“奇跡”をさらに得にくくした。
もともと、“奇跡”とは己の生き方を形にした概念である。自分でない誰かのため、贖罪のため、そういった生き方。その生き方は、致命的に“奇跡”を得るには向いていない。
なぜなら、世界を一瞬騙すほどの気持ちを得なければならない。感情を、意思を、持たなければならない。
そして、人間、いや、意志ある生命というものは、原則的に他人へと向ける感情を“奇跡”の域まで持っていくのは難しい。なぜなら、生命は根本において自分主体でしか物事を見ることができないからだ。
いくら生命維持のために社会を築き、コミュニティーを得、多くの人間が住まうようになったといっても、その本質は自己中心的なものか、思考放棄した他者への従属か、どちらかに依る。
それを脱却し、社会のため、他人のための行動をする人間の行きつく先は、社会的な奴隷化か勇者や聖女という名の偶像でしかありえない。
勇者、聖女。事実上の奴隷のことといえる、その呼称。彼らは単身でとても強い“三念”に芽生えることはあっても、“奇跡”を得ることは難しい。
生命の根本にある『自分主体で物事を見る』、その対極にある『他者や社会への徹底的な献身』。その価値観を持った上で“奇跡”を得る方法は二つある。一つは『他者への献身が自分にとって絶対的な報酬である』というルール付け。
そしてもう一つは、『自分がたとえ死んででも社会がうまくいくならそれでいい』といった、徹底的に自分を排した献身。
それを成し遂げない限り、他人主体の生き方で“奇跡”を得るのは不可能に等しい。チェガが“友が為の修羅”を得ることができたのは、その“友”の定義が定まっていたためであり、また『とある理由』で背中を押されていたからだ。
オデイアやその部下たちは、それを承知した上で、シーヌに助力し、惨劇を止めようとしなかった罪を償うことにしていた。それは当時の彼らの考え方からも大きく異なる。
『歯止めなき暴虐事件』。クロウにほど近い町や国家の有名人や著名人など、強者たちによって侵攻された村。彼らに歯向かうということは、当時からすれば死と同義だったといえる。
自分たちは死にたくない。その一心で、目の前で虐殺されるのがわかっている人間たちを置いて、逃げた。あの時の判断は間違いではなかったと、彼らは信じて疑わない。
「だが、あんな化け物が十何人もいるわけではない。次はたったの三人だ。」
「いいえ、オデイアさん。四人ですよ。」
ティキの発言にオデイアは何とも言えない表情で押し黙る。
その内心は、二つ。四人同時に相手したくはないという感情と、そもそも四人目を引き込めるのかという疑問だ。
「四人目って誰ですか、隊長?」
「……“災厄の傭兵”。」
その言葉に、その名前に、元シキノ傭兵団たちは大いに動揺する。彼らにとって、他の英雄英傑たちは噂程度にしか知らない存在だったが、その傭兵だけは違う。
『シキノ傭兵団』。これは。傭兵団として活動し、依頼を受け、護衛任務や狩猟、暗殺などを行う傭兵だ。
だが、“災厄の傭兵”は違う。彼は『傭兵』であって、『傭兵団』ではない。それなのに、『有名な傭兵』というリストがあれば『シキノ傭兵団』と“災厄の傭兵”は並ぶだけの名声を持つ。
それは、それだけの腕と、交渉能力と狡猾さを併せ持つから。戦闘能力自体は一般強者……“竜吞の詐欺師”ガレットや“四翼”達と同等でしかない。
だが、力は使い方だ。知識、知恵の回転において、その“災厄の傭兵”は“盟約の四翼”よりも優れている。それは同時に、想像力が豊富であるということも示し、それがゆえに彼は戦闘においても一流となる。
頭の良いものは、傭兵を雇う時も、一定程度手綱を握っておくことを望む。同時に、その想いを汲まれることも望まれる。何が言いたいかというと、“災厄の傭兵”はその一流の頭脳と一流の腕のおかげで、上流階級のお気に入りなのだ。
実力で言うと、『シキノ傭兵団』や“災厄の傭兵”より優れた腕のものは多い。だが、その多い人手という意味で『シキノ傭兵団』の右に出るものはなく、忖度と扱いやすさという点で“災厄の傭兵”の右に出るものはいない。
同業者である。そして、その名声においても並んでいる相手だ。どこかの戦場で、あるいはどこかの狩場で。どちらかが護衛で、その護衛対象の暗殺者がもう片一方で。
何度も何度もそんなことのあった、いわばよく知る相手である。
「“隻脚の魔法士”はいない。俺たちは彼と、かつてのほんの一部で相対しなければならない。」
それは絶望的な勝負と言える。だが、それでも、
「いいえ、皆さんが戦ってもらうのは彼相手ではないですよ、多分。」
ティキが呟いた一言に、全員が反応した。
「当たり前です。勝てない相手にぶつけられるほど、人的資源はありませんから。」
ティキはそう言って頭を二度ほど叩いた。
「そもそも“災厄の傭兵”はベリンディスにいるんでしょう?巻き込む国は大国だけではありません。」
ティキはそう言うと、傭兵たちの連れてきた馬の鬣を撫でる。彼に乗って走り回るために、今は交流が必要だ。
『神の住み給う山』。“神の愛し子”アギャン=ディッド=アイによって作り上げられた、魔獣軍団の山。
ここの魔獣がいなくなれば、この山の近隣で保たれていた『戦争不可能』という制限が消える。それは、国家同士の生存競争の激化を意味する。
「まずは小国を七つほど巻き込みます。ベリンディス、ニアス、ケニムス、ワルテリー、ミスアネイア、クティック、ケルシュトイル。ベリンディスは私が行くので、残る六国は傭兵団が情報を流してください。」
ティキ=ブラウ。世の中で目覚めさせてはいけなかったのは、もしかしたら彼女だったのかもしれない。
オデイアはそんな予感を感じながら、大きく頷き、配下たちに指示を出し始めた。
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