友はただ二人
最古参の一柱。フェーダティーガーの名は、ディット。
彼は『歯止めなき暴虐事件』時に留守をしていた獣である。
そこで主が得た情報をディットは耳にしていた。というより、生き残った上司であるクルスからすべて聞いていた。
クロウの住人に対する残虐無比な行為と、それを静観した主の在り方を。ディットは許すまじと思い、反逆の意志は持っていた。
“従属化”。これは、彼にとってとても有難いものだった。何しろ、反逆する理由としてこれ以上ないほど正当な理由になりうるのだから。
ディットはアギャンを裏切った。触発されるように、何体もの獣が動いた。ディットを止めるために、ではない。アギャンを護るために、でもない。
最古の獣が望んで行った裏切りの先には、残る獣の積極的裏切りという結末が待つ。
獣たちは次々と、まるで順番に並ぶかのようにティキに襲い掛かる。
その速度は今までよりはるかに遅く、一度に襲い掛かる数は一体から三体程度であり。
そして彼女に襲い掛かった獣たちはみな、直後に反転し、味方だった獣たちに襲い掛かる。山の奥に住まう王。彼の人望のなさが垣間見え始めていた。
アギャンは自分に襲い掛かってきた獣に話しかける。「どうしてだ。」「なぜ裏切る。」と。“従属化”という魔法はアレイティア公爵家に代々伝わる魔法だ。血に宿った魔法だ。
だが、アレイティア公爵家の血縁だからと言って誰でも彼でも使えるわけではなく、条件次第でしか使えない。自分は獣に認められることだった。なのに、どうして。
アギャンは問いかけ続け、答えが出ずに悩み続け。答えはティキの側からもたらされた。
「アレイティア家の“従属化”には、ある規則があります。」
ティキは壮絶な笑みを浮かべて、言う。アギャンが知らないことを嘲笑うかのように、言う。
「『神を作りたいときには使うな。神は人に従属しない』。」
その言葉を、その当たり前の事実を聞いて、アギャンは愕然と、茫然と、立ち尽くした。
“従属化”。アギャンがこの能力を使ったのは、アレイティアの家を出てからである。
理由は単純。それを使うことで、アレイティアの檻の中に完全に閉じ込められることを、アギャンはその才能で理解していたからだ。
だからこそ、愛猫ミャーは“従属化”を使わない、ただただ純粋な友として神獣化させるに至っていたのだ。
「この山に、来てからは……。」
獣の指揮官すべてに、“従属化”の魔法をかけていた。それが自身の首を絞めることになるとは欠片も思わず、理想から遠ざかることなんて考えず。
「あ、あ。あぁぁぁぁ!!」
アギャンの理想は叶わない。世界を跋扈し、ヒトを支配する神獣など、この山には数えられるほどしかいない。
そして彼らには全ての神獣を従えるような器量は、流石にないのだ。だからこそ、大量の神獣による統治という、実に人間らしい統治方法を編み出させたのだから。
そうして、自分のアレイティア公爵家を出てからの生きがいを失った男は思い出す。自分が得た、本来の“奇跡”。それが自分の“理想”と程遠かったゆえに否定し、そして失った“奇跡”の名を。
魔法概念“奇跡”。その区分は“理想”。冠された名は、“心は友と、事実は隷と”。
“奇跡”とは、その人物の生き方、心象そのものをさした現象だ。
それそのものが、ほんの一瞬、世界のルールを凌駕する。そういう性質を持った、究極の一だ。
ほんのわずか一瞬、『行使者が世界の法則になる』だけの生き方、在り方を持っていること。それが唯一にして最大の、発現理由。
で、あるならば。もしもそれを発現したのち、その在り方を否定したならどうなるか。
アギャン=ディッド=アイは、“奇跡”の能力を発現させられるほど、自分の人生を突き詰めた人物である。
そして同様に。“奇跡”を得られるほど突き詰めた己の人生を、己の手で否定した人物である。
それは、彼の理想と程遠い“奇跡”を得たから。獣たちを友と呼びながらも心の底では見下す。そんなことを無意識下でしていたと、自分で認めることが出来なかったから。
だが、ティキによってその現実は目の前に晒された。自分の理想と自分の心の乖離に、アギャンは膝を付く。
「……ティキ=アツーア。やってくれたニャ。」
聞こえた声に、ティキの足が止まる。
ここにはいない声。ティキの聞いたことのない、声。
「ミャー。」
「じっとしているニャ、ビレッド。……お前は、“奇跡”を得たときも、そうして傷ついたニャ。」
だから、クルスと二人でお前の心を慰めた。それすら忘れたのだろうが、とミャーは言う。
「お前は、死んだはずだ。」
「身体は、死んだニャ。心は、死んでないニャ。」
心配でニャ。そう後ろ目に言うと、その猫はティキを見つめる。
「子孫の体を乗っ取って、ビレッドの生を見守り続けてきたニャ。ミャーは、神獣……ビレッドの、守り神ニャ。」
ミャーの発言に、まさに守り神だとティキは頷く。
これが、きっとこの山最大の敵。ティキは既に千近い獣を支配下に置いた。群れの長を百も支配下に置けば、千の味方は作り上げられる。
「ミャーはビレッドを、ビレッドの理想を、守るニャ。ミャーには“従属化”は効かないニャよ。」
効かないだろう。ティキは大きく頷きを返す。
「シーヌを置いて、この山を下りるニャ。ビレッドの理想を叶えるための邪魔をしなければ、ミャーらは貴様を殺さないニャ。」
理由は、アレイティアの血族に連なるからだろう。アギャンの、ビレッドの生まれの血が、ティキにはわずかに流れている。
「お断りします。」
「理由を、聞いてもいいかニャ?」
「私の師の、夢を壊させないために。彼女の生きざまを無駄にしないためにも、私はその理想をかなえる事を許しません。」
“永久の魔女”。彼女の理想と、“神の愛し子”アギャンの理想は相反する。
人間の世を作り上げた魔女と、獣の世を創りあげんとするアギャン。それを受け入れる気は、ティキにはないのだ。
ティキは剣を生み出す。ミャーはその様子を眺めて。
「当代の天才は、とても強いニャ。」
「先代の天才は、とても弱いね。」
ミャーは、吼える。それに応えるように、大鷲が降りたつ。
「アギャンは友が少なくとも、我らは友をしかと作った。これ以上、貴様の“従属化”は効きはするまい?」
「そもそも、そんな余裕もなさそうですね。あなたたちの相手で精一杯そうです。」
「ふむ。そうであるな。……我らは、『歯止めなき暴虐事件』を生き延びた。この山の中にあっては、数少ない戦争経験者であろうよ。」
「関係ないです。私は、私の為すべきことを、やりたいことを、やります。」
ティキが一歩前に踏みだし、それにこたえるようにミャーが姿勢を低くする。
「ミャー。」
「向こうには狼の長がいるニャ。規律のない獣では、軍団運用で最強の獣と個体最強の獣を同時に相手は出来ないニャ。」
「承知した。」
大鷲が飛び立つ。そして、混乱する獣たちの中に舞い降りて、巨大な火柱を上げた。
「ここにあるは原初の獣!神鷲クルスぞ!我に続け!!」
聞こえる声。それについて、混乱を治め、“従属化”された獣に立ち向かう獣たち。
盤面は膠着に陥った。ティキはそれを見て言う。
「叔父様は、とってもいい友人を持っているね。」
「たった二人の、友人ニャ。でも、一人でなければ、よいと思うのニャ。」
ミャーが飛びかかり、ティキがはじき返す。
失意の底に陥ったアギャン。彼を救う友はただ二人。
だが、その二人でも彼を助けるには十分だ。友とは、そういうものなのだと、ティキは思う。
(私には、そんな友達はいないかもしれないな。)
シーヌがいればそれでいい。最近はそんなことを思ってばかりだ。
だけどそれではダメなのだと、異種族の交流を見て感じる。
ティキは、戦闘に集中する傍ら、ほんのわずかな心の隙間で想った。
リュット魔法学校で知り合った、私を気遣ってくれた三人の女の子は、今、どこで、何をしているんだろうか、と。お父様やお兄様に怒られないような距離を置きながらも、私を気遣ってくれていた、ほんの数人のメイドたちは、元気にしているだろうかと。
ティキがいなくなった。アレイティア公爵家では、それはそれは混乱していた。
それでも、ティレイヌ=ファムーア=アツーア・アレイティア公爵はあまり焦っていなかった。
ドラッド=ファーべが必ず生きているうちに連れて帰ると約束した。
より高貴な血を残し、才能を後世に残せばいいだけだ。それは結婚という形でなくてもいい。ただの種馬として、ティキを飼い殺せばいい。
だから、怒りは彼女を世話していたメイドたちに押し付けた。彼女らをアレイティア家から追放し、この家が守っている領土への立ち入りを禁止した。
「結婚した?処女ではない?子さえ産めればよいのだ。あれに生きる場所など、ここしか残さないのだから。」
彼はそう言って、執務室で腰を下ろす。とりあえず、ティキさえ手元に帰ってくれば、に三年程度の放浪くらいなら許してやろう。
そう結論付けると、再び腰を上げた。
ティキが帰ってきた時に生活する私室の整備が必要だった。
ティキが自らの兄に会ったことなど、弟は一切知らない。
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