反撃の狼煙
これまでの復讐で、ここまで旗色が悪くなったことがあっただろうか。
シーヌは少し頭を捻って、すぐに、「ないな」という結論に達した。どうあがいても敵の目の前にまでたどり着けないことなど、これまででも初めてだ。
死ぬかもしれない。これまでの敵もみな強敵だった。だが、圧倒的な個人の質があっただけ。その上、軍には軍をぶつけてきたために、一個対大軍という勝負を、シーヌはしたことがなかった。
「やっぱり戦争は質より量か……。」
「当然、だ。一人で、万単位の軍に、勝つのなら……環境、くらいは、変えられよう?」
“幻想展開”の使用は禁止。そんな状況で軍単位の化け物たちを退治できるとは思えない。
いつか、この道を歩んでいれば死ぬ日が訪れる。そんなことはわかり切っていた。だが、まだ復讐は達成していない。道半ばで倒れることに、シーヌは苛立ちを覚える。
その苛立ちを戦意に変えて、既に疲弊した身体と頭に鞭を打ちながら立ち上がり、もう何匹目かわからないウサギと猫を殺す。
どこまででも、死ぬ直前まで戦い抜く。そんな意志と恨みを胸に立ち上がると、シーヌはその光景を前に立ちすくんだ。
ティキが気絶して、数分。立ち上がれないだろうと感じていたティキが、立ち上がる。
そしてすぐさま遠吠えを上げる巨狼に飛び乗ると、叫んだ。
「“従属化”!」
それがどういう魔法か、シーヌは良く知っている。実際にアオカミに使うところを、シーヌはその目で見てきたからだ。
巨狼の毛の色に青みが入る。獣の姿は変わらず、知性も変わらず。
それでも、ティキに従順な一頭の使い魔が出来上がった。
「叔父様は一体……。」
ティキが悪い女のように笑う。その扇情さは、一瞬シーヌの目が奪われかけるほどだ。
「獣たちの『性質』は、書き換えているのでしょうか?」
ティキはそう言うと、その巨狼の背から飛び降り、軽く背を叩いて送り出す。
狼が遠吠えをした。仲間を呼ぶ呼び声だということは容易にわかる。同時に、シーヌは首を傾げた。
ティキの狙いが何なのか、シーヌには全く見当がつかない。だが、その答えはすぐに、目の前の現象として現れる。
ティキが“従属化”させた獣の部下の獣たちが、群れのトップの命令を受けて味方に襲い掛かる。
この場合の味方とは、アギャンの支配する神獣である。狼は群れで動き、リーダーの指示に従う。そう。その本能を、ティキはうまく利用した。
「叔父様がもし、彼ら一頭一頭と絆を結んでいたのであれば話は別だったのでしょうが……叔父様、手を抜いていましたね?」
「手を抜いていたのでは、ない。お前のような、手段を、持っているのは、他でもない、お前だけだ。」
対策を練る必要はなかった。アギャンは暗に、そう言っているのだ。
ティキはその言葉を聞いて理解する。自分の叔父にとって、自分の父は、自分が出て行った後のアレイティアは、そこまで気にかける必要はなかったのだ、と、ただそれだけの事実を。
面白くなかった。自分は才能があった。なくても、血を強力に残すために、兄との子供を産む予定だった。
そんな地獄を生きたティキにとって、目の前の自分の血縁が、そんなことになっていることを「知る必要はない」と判断されたことが、ティキにはとても屈辱だった。
自分の気配を消し、ひときわ大きいフェーダティーガーに乗って、背に触れる。“従属化”と言うまでもなく魔法を発動させ、支配権を乗っ取り返す。
「なぜだ!!!」
アギャンが絶叫する声が聞こえた。
「そいつは最古参の一柱だぞ!」
もうすでに神にしたつもりでいたらしい、と、「柱」という数え方を聞いて思った。
「でも、乗っ取れましたわ?」
挑発するようにそう言い、敵の神獣たちに特攻させる。
自分の上司や味方の反逆行為。それに混乱する神獣たち。
ティキは、シーヌは、その隙を見逃さない。一瞬にしてアギャンに迫り、剣を振り下ろそうとして、
「これが、僕の、全力だと、思うなぁ!!」
アギャンの叫び声。そしてその声に呼応するように飛んでくる、カブトムシ。
「今は秋だぞ?」
シーヌの驚いた声が聞こえる。ティキはそれ以上に、カブトムシが剣をはじき返したことに驚いた。
「獣の性質は、確かに、ほとんど、変えてない。」
アギャンが呟く。その声に反応してシーヌとティキは驚き固まった体を動かした。
そして次の一言は、ティキにとって想定外の衝撃をもたらした。祖の思う『神獣』。それとは圧倒的に異なる考え方を、耳にして。
「獣、蟲、鳥、魚。あらゆる生命には、適した形がある。それは、進化の過程で、生命自身が、生み出したものだ。」
それが事実であることは、生物たちの生態系が証明している。
「だから、僕は、彼らの長所を、より伸ばした。“従属化”で変化させたのは、それだけだ。」
彼らに魔法を使わせたのは、ただの才能。アギャンはそう呟く。
その考え方は、祖先とは大きく違う。
祖先はより強力な一を作り、その下に多くの部下を置く神を考えた。唯一神という考え方だった。
だからこそ、アレイティア家の実験における『神獣』の最終定義とは、個体で全ての能力を持ち合わせたもののことを言う。
より分かりやすく言えば、弱点がなく、強いものをいう。
最終的には寿命をなくす。それが目的になる。
だが、アギャンの定義は違う。個体の持つ長所を伸ばし、単体での完璧さを望まない。その在り方は、ひどく、人間的だ。
人間的であり。そして人間的だからこそ。アギャンのそれにはより大きな幅が見つかる。
「獣全てによる、生命のネットワーク。」
人間ですら、足りない部分を補い合う。それが、人間という単一種族で起こっていたから、人間社会という言葉が生まれた。
「神獣たちだけが互いを補い合うことを求めるのか。」
シーヌがティキの言葉をもとに、答えを導いた。
シーヌはアレイティア家の人間ではなく、それゆえにアレイティア家の哲学問答はわからない。
だが、これだけ問答をすればどういう意味かは理解できるらしい。その上で、シーヌは再びアギャンに攻撃する。
「ふん、ここまで聞いても、引き下がらないのか?今の世、よりも、はるかに良い、話を、したと思うが。」
冒険者組合員という優秀な人間が世界を牛耳る。そして、一般人は中級と下級の力を持つ人間しかおらず、世界は彼らが回していく。
自由に生きられる強者と、義務に忠じる弱者。獣という、神という構図をそこに巻き込むことで、人間の全てを平等にしてしまおう。そう主張するのが、アギャンだった。
ユミルと似ている、とシーヌは思う。ユミルは強者を消し去ることで、人間を平等にしようとした。アギャンは強者の上に強者を置くことで、それ以下を平等にしようとした。
どちらの理想も崇高なのかもしれない。もしかしたら、正しい主張なのかもしれない。
「どうでも、いいよ。」
シーヌは口に、言葉に、する。
「どんな価値観を持とうが、どう思って行動しようが、関係ない。僕は、僕の復讐を為すだけだ!」
生き方。主義。目標。これまで戦ってきた彼らには、それを持っている者ばかりだった。だからこそ、シーヌは思うのだ。
ああ、こいつらは、許せない、と。
「ビネルは、シャルは!お前たちに、そうやって生きる意味を見つけることすら許されず!!お前たちの主義主張によって、殺されたんだ!」
落ちかけていた集中力が、憤怒と憎悪によって上書きされる。殺し合いはまだ続いているのだと主張し、シーヌは疲労で震える脚を一歩踏み出す。
ティキはそんなシーヌを見て、彼を助けるべく次々とアギャンの部下を“従属化”させていく。
ティキは、思う。シーヌがクロウの生き残りとして、彼らの無念を思うたび、シーヌは強くなっていくのだと。苦しめば苦しむほど強くなる。それがシーヌ=ヒンメルという人物であり、自分の夫であり、“復讐鬼”なのだと。
「まだ、僕の復讐は終わらないぞ、アギャン=ディッド=アイ。」
“仇に絶望と死を”という奇跡を抱える少年は、まだ、死なない。
シーヌとティキ。アギャンと神獣たち。そして、チェガ。
これらの登場人物以外に、この森にいた囮たちが存在する。
シーヌたちが山に登りやすいように、山の反対側で陽動をしていた彼らは、獣たちが頂上へ登り始めた時点でこの役割の終わりを認識していた。
「どうするんで、お頭ぁ!」
「決まっている!俺たちは俺たちの贖罪をしなければならない。」
「あいよぉ!行くぜ、シキノ傭兵団オデイア隊!昔の罪の清算だ!そんでもって、俺らの弟子を迎えに行くぞぉ!!」
「「「おおぅ!!!」」」
そうして、アギャンの後方は徐々に徐々に数を減らす。
シーヌとティキは知らない。正面から打ち破っている敵たちは、後ろで傭兵たちに殺され続けていることを。
二人は知らない。すでにアギャンの逃げ道は封じられていることを。
そして、二人は知らない。すでに彼らによって、『神の住み給う山』の神獣たちは、残り二万を……十分の一を切ったということを。それができるほど、囮たちの数は多く、強力であったことを。
すでに反撃の狼煙は上がり、その煙が山を覆いつくすまで時間がないことを、二人はまだ、知らなかった。




