友愛の修羅
一個の巨大な災厄は、一撃の凶悪な暴力によって討ち果たされた。冒険者組合試験の時の、自我の確立していない、甘いティキを見ているチェガには、その光景が信じられない。
(目の前にあるってことは、信じるしかねぇっちゃねぇんだけどよ)
自分が必死になって得た、会心にして最高の投槍術。それよりはるかに強力な一撃を放てるティキ。
(俺の努力ってなんだったんだ?)
一握りの天才だけが足を踏み入れられる場所。そこに近づこうと走っていたら、それ以上の速さで追い抜かれた。
(やっぱ俺は凡才だな。)
思いながら、化け物みたいなフェーダティーガーを一瞥し、素材をとったりなどは何もせず、すぐに山を駆け上がる。
ほんの微か先で聞こえた轟音。その音と、その意味を、ティキとチェガは同時に察した。
「もうすぐだ!」
「シーヌ!!」
叫びながら到着した先。シーヌは多数の獣に囲まれ、それを片手間に処理しながら、ただ敵首魁の首、アギャンの首だけを狙って、じっとそちらを見つめていた。
こんな山の上で、半裸の40近い男が一人。それがアギャンであることなど、誰の目にも明らかだ。そして、その顔を見てティキはハッとしたように足を止め、チェガはシーヌを助けるように槍を投げる。
チェガの投げた槍が地面に衝突すると、衝撃波がシーヌの前の獣たちを蹴散らし、シーヌはその間を駆け抜けようとして、急降下してきた鳥たちに阻まれる。
「役者は、ほとんど出揃ったか。」
アギャンの呟き。人里にあまりいなかったからか、その言葉はなんとなく使いにくそうな、片言のような発音だった。
「どうした、ティキ=アツーア=ブラウ。あり得ないものを見たような表情をして。」
「……ティレイヌ=ファムーア=アツーア、アレイティア……?」
「弟の、名を、知るか。弟は、アツーアに、なったのか。」
その二人が交わした、ほんのわずかな会話。そこに込められた意味を受け取って、シーヌは目を瞠り、チェガは硬直する。
アレイティア公爵家。世の中一般的には猫の紋章を家紋に持つ、冒険者組合学園都市、ブロッセの目と鼻の先にある国ボレスティアにおける、最大級の貴族の家だ。
猫に守られ、猫を護り、その身に力を与える一族……とされているが、実態はただの猫虐待一家である。
猫たちのありかたを曲げ、生態を曲げ、アレイティア公爵家の望む生物を作るという意味で、彼らの家が持つ能力は際立っている。何より大事なのは家と、当主と、それを存続していこうという意識。
そのためには、実の娘ですら、ただの道具になり果てさせることができる……というのはさすがにティキしか知らない。しかし、貴族としてはやりてでも根本的に人の道から外れた一族であるというのは、知る人ぞ知る情報だ。
シーヌは目の前の自分の敵がそんな高貴な家系の人間だったことに驚き、チェガはティキがそんな悪鬼の血を継ぐことに驚く。
そうして降りた一瞬の停滞。それを最初に打破したのは、その停滞を呼び込んだ男だった。
「確かに、俺は、アレイティアの血を、継いでいる。ビレッド=ファムーア・アレイティア。それが俺の、本当の、名だった。」
「だった?」
シーヌが呟く。元来、復讐する相手にその来歴を聞く道理はない。復讐をするとき、シーヌは『歯止めなき暴虐事件』で殺戮を起こした理由を聞いても、敵自身を深く聞くことは一度もしていない。
だが、目の前の男が『アレイティア』を名乗り、ティキと縁のあることを自白すれば、話は別だと感じた。
そして、その、本来であれば決して存在しなかったはずの、『ティキ=アツーア』という要素が、シーヌにとって致命的な弱点となった。
「……ふん。馬鹿だな、シーヌ=アニャーラ。」
『伝達の黄翼』と『湖上の白翼』。彼ら二人によってもたらされた、『クロウの生き残り』の情報。
この、狡猾でやり手な貴族と血のつながりを持つ男が、それだけの情報を持ったうえで対応策を持っていないわけがない。ここまで張りに張りまくった防衛線ですら、この男にとってはシーヌたちの疲れを溜め、体のキレと頭の冴えを削るための噛ませ犬でしかない。
後方。これまでシーヌたちが歩いてきた道から、気配がした。
今までシーヌたちが倒してきた数と同数か、それ以上。それと時を同じくして、アギャンの後ろからも獣たちが顔を出す。
「完全包囲だ、シーヌ=アニャーラ。降伏するなら、首を刎ねるだけ、で、許してやる。」
野生の中で日々を過ごし、野生の中で生きてきた目の前の仇。
そんな敵が、これだけの知性を持っていたことに、シーヌは驚きを隠せなかった。
だが、最も根本的な問題で、敵の知性のあるなしは関係なく。
自分が進退窮まったことを、まずシーヌは受け入れた。次いで、ここにいる敵を相当するまでにかかる時間を計算する。
目の前の敵、アギャンの戦闘に関する情報は、皆無だ。なぜなら彼は、獣たちの絶対王者として君臨しているものの……獣使いとしての一面以外、視たことのある者は誰もいない。佩いている剣が業物であることはわかっても、履いている本人が強いかどうかはわからない。
「判断材料が、なさすぎる。」
それでも、アギャンに従属する獣たちが強力であることは十分に理解している。それが複数個体存在することも、嫌というほどに。
それでもシーヌは、ただ、アギャンの命だけを、狙っていた。
このもはや圧倒的に不利になった戦場で。地中にはモグラの掘った穴を通る獣たちが、地上には山の裏側から続々と現れてくる獣たちが、上空にはほんのわずかな穴をフォローするために警戒を怠らない鳥たちが。
自分たちを包囲し、決してアギャンの首をとらせまいと警戒している化け物たち。それらの中で、虎視眈々とアギャンの首を狙うシーヌと、思わぬ血のつながりに茫然とするティキを見て。
チェガは、己の役割を、これとなく正確に、理解した。
死ぬかもしれない所業だ。自分にはできないかもしれない悪夢だ。
何より、成功する確率の限りなく低い事柄だ。
それでもチェガは、それをせねばならないことを、理解した。シーヌの持つ“復讐”の奇跡。その存在を聞いた時から感じていた、シーヌではない何者かの作為。
“奇跡”という名の、常時発動型の無意識の魔法が、この時チェガ=ディーダという人間に求めていること。そのためにここまで連れてこられたのだ、という確信。
チェガは槍を生成すると、シーヌたちから目を逸らすように、後方を振り返る。
「ここまで導いたんだ。最後まで導けよ、“奇跡”とやら!!」
踏み込み、槍を肩口まで持ち上げ、全力で、投擲する。
そこにいた何体もの獣を吹き飛ばし、爆風で体を引きちぎり、付随させた熱魔法で何体かの皮膚を焦がしながら、チェガは聞いた。
自分の意志が、自分の想いが、“奇跡”という名の『理解できないもの』に昇華する、その声を。
魔法概念“奇跡”。その区分は“友愛”。冠された名は、“友が為の修羅”。
自分の想定以上の出力の身体強化に驚き、順応しながら……チェガは、友の背後を護るために、絶望的な戦いに身を投じた。
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