主人公の後悔
遅れて申し訳ありません!!
ティキは目の前の山犬に焦っていた。
手強い。繰り出してくる牙の威力は、一回で木の幹を半分えぐった傷が示している通り、非常に強力だ。
しかも、素早い。犬とは思えない異常速度だった。だが、回避できないほどではない。
当たれば、即死。その威力と、速度こそ脅威に値するものの、獣らしく実に純粋な攻撃軌道だ。(今まで襲ってきた獣たちとは思えない……)
実際、チェガを襲っている狸などは呆れるほどに技巧派だ。相手を選んで攻めてきている。シーヌが思った予想と同じことを、ティキも感じていた。
ティキは魔法使いだ。今まで嫌でも味わってきた戦闘経験が活きているから近接戦闘でも瞬殺されないものの、その本質は遠隔、魔法による中長距離攻撃である。
近接攻撃しかない状況では、ティキが焦りを覚えるのは仕方がない。が、その焦りを、ティキはすぐさま落ち着けた。
「魔法使いが冷静さを失ったら、勝機はなくなるって!」
“永久の魔女”の記憶が、語っていた。だから、ティキは心を落ち着けて山犬の一挙手一投足まで観察する。
次々に襲い掛かってくる山犬の顎を、ティキは確実に回避しながら、機を図った。
それは、山犬が一番速い速度で襲い掛かるための、ほんのわずかな溜めの動作。その動作は一秒に満たないわずかな時間で行われるため、攻撃をするための隙にはならない。
だが、ティキが次の動作を決定するための隙にはなる。攻撃が行われることは止められずとも、反撃の動作のための一挙動は出来る。
その一瞬の溜めの動作の後。ティキは山犬の跳躍動作と同時に、背後へと倒れこむ。
視界の隅に、圧倒的火力で山を縦断する熱線が見えた。それがシーヌのものであると確信しつつ、ティキは魔法を放つ……上空、山犬が超えていく位置をめがけて。
ティキはそこに、山犬が通過しない、ただの空を見ていた。青空が高く高くにあり、何も遮らない様子を。
その想像に反してそこを通過しようとした山犬に与えられたのは、完全な空中での停止。
空を見る。見続ける。そんな想像力に、山犬の跳躍力は勝てなかった。
ティキの背中が地面についた時、そこには頭からしっぽまでが何かに潰されたような跡。ただ空を見続ける。そのためだけに攻撃を遮られたどころか、自らの攻撃で自らを滅ぼされた山犬の残骸が、そこに転がっていた。
ティキとシーヌはほぼ同時に戦闘を終え、チェガの戦闘を眺める。チェガは明らかに苦戦をしていたが、
「力技でなんとかなるかな?」
「何とかすると思うよ、というか、私たちのせいかな?」
ティキとシーヌがあまりにも早々に戦闘を終わらせてしまった弊害で、チェガは大いに焦っていた。
「よっ。」
シーヌが張った障壁に、チェガの高威力の魔法槍がぶつかる。七つ、八つ。それくらい投げ、あたりの木々を衝撃でなぎ倒す。
ひどい環境破壊に頬を引き攣らせながら、シーヌは勝負あり、と呟いた。環境破壊の末に、狸本体のしっぽが宙に舞う。どういう原理かしっぽだけがひきちぎられたが、つまりはそこに狸の本体があるということだ。
キョロキョロとあたりを見回したチェガは、しかし本体を見つけ出すのをあきらめて、言った。
「多分直撃させて完全に吹き飛ばしたな。」
ティキはそれを聞いて頬を引き攣らせる。火力バカ、という言葉が頭によぎったが、シーヌの放った熱線はそれ以上のものだと思い出し、口に出すのは自重する。
「まあ、倒したのには変わらないからね。行こう?」
熱のおかげでまっすぐに道が出来た。とはいえ、山頂までの道はまだ、遠い。
シーヌが予想した、この山の敵の法則性。山を登れば登るほど、敵の実力は上がっていく。
それは事実であり、それゆえに敵を打倒するまでにかかる時間も伸びていく。一夜、二夜……。
「遠いね、シーヌ。」
日に日に遅くなる歩みと、強くなる敵。徐々にイラつき始めたシーヌを見ながら、ティキは何をどう慰めたらいいのか、わからなかった。
「ティキ……。」
シーヌは 何かを決意したような、そんな目をしている。だが、ティキはそれが何の決意かわからない。
シーヌが決意を口にしない。つまり、ティキに話すつもりはない。それを理解できているティキは、シーヌに対して何をするのか聞くことは出来ない。
そうして、シーヌが不寝番になり、ティキが眠りについている間に……。
シーヌ=ヒンメルは、同行者たちを、妻と親友をその場に残して、消えた。
ティキが目を覚ました時、その光景を真実だと認めることが出来なかった。
まず、火が消えていた。不寝番をする人は、基本的に火の管理も共に行う。だから、シーヌがきちんと不寝番をしていたのなら、火が消えている、なんてことはありえない。
もしかしたら、シーヌは眠気が限界になって、チェガと替わったのかもしれない。そんな希望を抱いたティキが寝袋の数を数えると、自分の寝ている分も含めて二つしかない。
どころか、一緒においてあるはずの鞄も、一つ減っている。
慌ててこれから先の進行方向を見た。今まで一度も通っていない道に、足跡が一人分。足の大きさを見るに、シーヌのもの。
しかも、足跡の力強さから見て、相当力を入れて……
「そんなに俺たちは足手まといか、シーヌ!!」
それが全力疾走の跡だということを読み取ったチェガが、大声で叫ぶ。それに無言で同意を示しつつ、ティキは気を取り直して言った。
「追いますよ、チェガさん。」
ティキの掛け声に合わせて走り出したチェガとティキは、止める者もいない山の中を、風になる勢いで駆け抜けていく……。
駆け抜けながらも、これだけの時間的に襲われていないことを、チェガとティキは疑問に思っていた。
先に行ったシーヌが片端から倒した。その可能性がないわけではないが、その割には戦闘の痕跡が随分と薄い。
まるで、シーヌ一人しか来なかったのなら一人分だけ敵を用意した、と言わんばかりの戦闘痕。言い換えれば、それだけの敵がこの先、頂上でシーヌを待っている。
そのことにシーヌが気づいていないはずがないのに、それでも“神の愛し子”アギャンを早く殺そうとするシーヌの執念。とっくに気づいていた、身を滅ぼしかねないそれをきちんと見ていなかったことを、ティキは悔やんだ。
キュッ、という鳴き声と共に襲い掛かってきたモモンガを一瞥すらくれずに魔法で消滅させながら、ティキは祈った。
どうか、間に合いますように、と。
「この場にきて、これかよ……。」
チェガの呟きに、ティキは何も言わなかった。わざわざ口に出さずとも、想いは共通していた。
丸一日。ティキとチェガが全力で駆け抜けた後。
山の麓で出会ったフェーダティーガー。それらとは次元が違う。そんな力強さ、大きさを持つ、とんでもないフェーダティーガーが出てきたのだ。
チェガの投石をはじき返し、ティキの魔法を正面から相殺する。人のみならぬ獣の身で、想像力の集大成とも呼べる魔法を使いこなす、これを脅威と呼ばずして何を脅威と呼ぶのかわからない。
「獣に知恵がつくとこうなるんだなっていうのがよくわかる。」
チェガの言葉は、目の前の獣を圧倒的な脅威と感じたゆえのものだ。
これまで出てきた獣たちも、脅威ではあった。強かったし、恐ろしかった。だが、目の前のこれは違う。
いうなれば自然災害だ。大津波を相手にして勝利を得るなんてこと、できるはずがない。
「やらなきゃならないんだけどな。」
「やりたくはないですね……。」
戦闘開始から一時間。すでに全力疾走で体力が残っていなかったのもあって、ティキとチェガは膝をつきながら笑っていた。
「上位の龍に匹敵するんじゃね?」
チェガは槍投げという名の砲撃を放ちながら、辛うじて自分の考えられる最強の生物と同じくらいの強さなのでは?と口にする。
だが、ティキは知っていた。本当の化け物、上位の龍はこの程度の強さではない。なんとなくではあるが、彼の力がどの程度なのか、ティキは表現する言葉を持っている。
「中位になりたての龍、程度の強さですよ。チェガ。でないと、あなたはもう死んでいます。」
かつて戦った化け物が1。“黒鉄の天使”ケイ=アルスタン=ネモン。彼は国を救うという一念を“奇跡”に変えて中位の龍を討伐した。
“奇跡”がなければ、ケイは龍を殺せなかった。ティキの見立てでは、目の前で戦う獣は、ケイより強い。
シーヌがケイを殺せたのは、シーヌが“奇跡”を持っていて、ケイが“奇跡”を使えなかったから。“奇跡”を使えなかったケイより強いということは、それなりの実力であるのは間違いない。
「マジで?最強じゃないの?」
「アスハさんよりは、弱いように見えますから。」
ティキは大きく後方に跳躍しながら言った。それが大技の兆候だと察した獣がティキに近づこうとし、それを遮るようにチェガが槍を振るう。
獣は、ティキは、たまたまタイミングよく、ちらりと同じ場所を見やる。三人が戦う前に戦ったと思われる、獣の屍。
それは、今戦っているフェーダティーガーより一回り大きい。
「シーヌが、あれを、倒したんだ。」
きっと、壮絶な戦いがあったのだろう。なぜか戦闘の痕がないのを見ていると、獣たちが魔法で環境を修復しているんじゃないかと思えてくる。
ティキは覚悟を決めて腕を振りかぶった。
「シーヌの後を、追いかけるんだ。」
十八番、剣の雨。それらにいつも使う想像力と意志力を、一本の巨大な剣に詰め込む。
「だから、そこを、避けて!!!」
ティキが剣を放つのと、獣がチェガを振り払ってティキに襲い掛かるのは、同時だった。
あたり一面、まばゆい光が山を覆って……。




