山へ向かう森で
“清廉なる扇動者”にして“洗脳の聖女”ユミルが言った。残る復讐敵たちは、すでにシーヌが存命で、復讐の旅路を歩いていることを知っていると。
その意味を、シーヌはより深く考えておくべきだったのだろうと思う。シーヌの周りにはたくさんの目があるのだと、シーヌはよく理解しておくべきだった。
ペガサスたちが一日に要する睡眠時間は、とても短い。四時間か五時間も眠れば、あとは活動し続けられる。
定期的に自分たちの判断で休みを入れながら馬車を引くペガサスたちは、シーヌから直接指示をもらわなくても勝手に目的地に向けて進んでいく。
おかげで、鍵付きのこの馬車はシーヌとティキが寝ている間も歩いているのだ。自分たちで勝手に進むだけの賢さは、馬車の重量を引くことによって落ちた移動速度を補って余りある移動時間を生んだ。
三日。徒歩で本来一週間かかる道を、ペガサスたちの引く馬車は三日で踏破する。ほとんど倍の速度で進むことにシーヌは感謝を覚えつつ、地図を眺めてため息を吐いた。
「どうしたの?シーヌ?」
「ここから道が険しくなるからね。ちょうど今、ミッセンと『神の住み給う山』の中間地点にいるんだよ。……今から入る森。ここから、道が狭くなるかもしれないからね。」
ほんの一昔前までは馬車が四台通れる道があったらしい。そうシーヌは資料をめくりながら言う。
「最近の情報はないの?」
「冒険者組合員ですら近づこうとしないからね。通れないわけじゃないんだけど、面倒くさいんだ。」
今から入る森を抜けて、『神の住み給う山』へ向かう。そこにはたくさんの、魔法を使える動物たちが現れる。
本来の冒険者組合員たち、シーヌの先輩たちは、ここを通れないほどは弱くない。むしろ、容易に通れる。
だが、それによって周辺を戦火の渦に巻き込み、責任を取って鎮圧する。それが面倒だから、ここを通ろうとしない。
冒険者組合員とて、降りかかる火の粉は払う。そして、ここに住む神獣たちはみな、野生の獣だ。敵対してはならない人物はわかる。が、同時に、それが恩人であるアギャンを殺せる人間であることもわかる。
結果として、ではあるものの。神獣たちは、ここを冒険者組合員が通った時、山に住むほかの神獣たちに警戒の声をあげながら、侵入者を攻撃する。
一度犯された失態だ。その冒険者組合員は、やり過ぎた。
神獣の半数を焼き殺し、近隣諸国に戦火の種を蒔いた。
彼はずるかったから、自分の失態に気が付くと、すぐに引き返して冒険者組合のトップに連絡した。彼の犯した失態を知ると、冒険者組合は、『弱く哀れなその他大勢のため』に戦争を起こさせないように動き、何とか平穏は保たれた。
だが、そこからルールが作られたのだ。『神の住み給う山』に近づくと、俺たちはやりすぎるから、後々面倒になる。だから、その平穏を破る気がないなら近づくな、と。
なんとも傲慢なルールである。だが、この組織にしてみれば至極当然のルールである。そして、圧倒的強者である冒険者組合員たちは面倒ごとを避けるようにこの場に近寄らなくなった。
普通の旅人や近隣の漁師は、ここに来ることが自殺行為に近いと知っているから、近づかない。
それなりの強者も、生きて帰れたものがいないと聞いて、近寄らなくなった。腕試しと称して山に入っていった人たちの行方も、知れていない。
だから、この森と、その先の山。この辺りに道が残っているのか、どれくらいのものなのか。誰も、調べることはできていない。
情報がない。ただ誰も近づけないという事実と、その理由が“神の愛し子”であるという事実だけが、近隣の情報社会に横たわっていた。
だから。目の前の、道の残滓が残る森が、完全に道なき道になっていても文句は言えない。言ってはならない。
シーヌはそう自分に言い聞かせつつ、おおよそ馬車の横幅と同じ幅の草木を次々なぎ倒していく。
というより、草木を宙に浮かせていったという方が比較的正しい。浮かせて、脇にどける。その作業を目に見える範囲で延々と行い、道を新たに作っていく。
「土木作業?」
「集中力がいるけどね……やってみる?」
シーヌの問いかけにティキは頷き、同じように土木作業を開始した。明らかにシーヌより早い作業速度に、シーヌは頬を引き攣らせる。
「技術力じゃ、ティキには敵わないな。」
そう呟くと、ティキは嬉しそうに微笑んだ。シーヌの力になれるなら十分だ、とでもいうかのような表情に、シーヌは嫉妬の念を抱くのが馬鹿らしくなる。
シーヌとティキは交互に、そして徐々に森に道を作り上げながら。この三日間よりもゆっくりとしたペースで、馬車を進ませた。
一方で。『神の住み給う山』へ向かってくる二人組の気配を感知し、監視している者たちがいた。
それは蜂たちであり、蛇たちであり、鳥たちであり、そして獣たちだ。彼らが見た情報は、彼らだけの伝達手段を使って、山に住む王の元へと届けられる。
“神の愛し子”アギャン=ディッド=アイ。彼の元へ、獣たちはみな進んで情報を届ける。
王の敵だと、王は言った。本気で戦わないと勝てないと、王はそう断言した。
だから、まだ、攻撃を仕掛けることはしない。今仕掛けたら返り討ちにされると、獣たちは知っている。
プライドがボロボロになろうと、夜になって魔法の講師がなくなって、どう考えても睡眠中であろうと……戦う時は、勝てるとき。そう命じられたことを、神獣たちは遵守する。
その視線に、シーヌたちは気付かない。気づくはずがない。
動物の気配は感じるかもしれないが、それが神獣だとシーヌたちは思わない。
なぜならここは、『神の住み給う山』ではない。ただの、森だ。
こんなところまで神獣たちが出張ってきていたとして、襲ってこないとは思わない。これまでここを訪れた人間たちは、森に入った時点で神獣たちの襲撃に遭っている。
それは、森に入ったのち、恐れを為して逃げ出したという人間の噂を誰もが聞かないから、わかる。森に入った人間を、誰もが二度と見ないことから、よくわかる。
ゆえに、襲撃を仕掛けてこない動物の気配を感じても、シーヌとティキはそれを神獣だと思うことがなかった。神獣や魔獣と普通の動物との違いが、ただ魔法を使うかどうかの差だけだということも、シーヌたちの『監視』への無警戒に拍車をかけた。
魔法を使うためには、想像力と意志力が必要だ。言い換えると、それ以外には必要ない。
想念と呼ばれるものですら、ただの想像力の発露でしかない。つまり、無知な一般人が魔法について考える『魔力』というものが存在しない。
そこら辺にいる動物たちが魔獣や神獣であるかどうかを調べるためには、その動物が魔法を行使するまでわからない。
魔法の残滓をシーヌが読み取れれば話は別だが、獣たちもさるもの、シーヌの警戒範囲に入る前に全ての魔法の行使は打ち切っている。
ずっと、ずっと。シーヌとティキは、動物たちに見られる。その動向を監視し続け、確実に包囲して殺す。
それが獣たちの目標であり、このまま順調にいけば、四日後に山についた時、シーヌとティキは獣たちの総攻撃に晒されるはずだった。
……そのはず、だったのだ。シーヌとティキが、そのまま気付かずに突き進めば。
シーヌが獣たちの監視に気付かない。というより、獣たちがうまくシーヌに気付かせない。だが、それは、主を持つ獣の思考を知らない人間だからこそ。
だが、主を持つ人間の思考をよく知る存在が、この世には一部存在する。そして、それを、言葉にして人間に伝えられる存在も。
「お嬢様。」
最近はシーヌとティキの醸し出す甘い雰囲気に、無言を貫くようになっていた、言葉を解するペガサス。
“永久の魔女”に会いに行く前、彼はトライと名付けられた。その彼が、重々しい雰囲気で口を開いたのである。
「獣たちを殺して下さい。あれらは、我々を監視しています。」
仮にも、力を認めた唯一の主に従う獣。神獣ではなく幻獣だが、獣であることには変わりがない。蛇の道は蛇。神獣たちの思考は、ただ一頭の天馬によって破られた。
シーヌはその言葉に疑問を覚える。獣たちであれば、自分から襲撃を仕掛けてくるはずだという固定観念から抜け出せていない。
しかし、今までなるべく自分の主に声をかけようとしていなかったトライが声を上げて忠告したのだ。まるで無視するわけにもいかない。
シーヌはとりあえず、索敵範囲にあった一匹のネズミを殺してみた。木の根を伸ばして拘束し、その全身を圧迫し、圧死させる。
それをした瞬間、森の雰囲気が変わったことに気が付いた。
「まずい?」
「ね。多分、これ……。」
空気が重い。“永久の魔女”と訓練をした時レベルの、圧倒的重圧感。
この森から放たれているわけではない。おそらく、山の神獣たちが放つ、重ねがけされ、圧縮された、濃密な殺気。
瞬間、シーヌは道の先に空気で道を作り上げ、空飛ぶ馬車を完成させる。
宙を車輪が走り始めたその先に、いくつもの小さな穴があることを確認した。穴の先からわずかに見える鼻が、その穴を掘ったのがモグラたちであると見せつける。
車軸に雀が近づいて、その身を隙間に挟み込もうとするのを、ティキが蹴っ飛ばして阻止した。それ以上の速度で飛んできて、ペガサスの目を潰そうとしてくる燕を、シーヌの魔法が迎撃する。
「シーヌ!」
「わかっている!ペガサス!反転!道に色を付けるから、それを辿って!」
そうして、シーヌたちは半日かけて進んだ道を反転して森から出る。空飛ぶ馬車という物語に出てきそうなそれを駆使して、ただただ逃走する。
「買って数日でいうのもなんだけどさ、ティキ!」
「足手まといだねっていうんでしょ?たまたまタイミングが悪かっただけなのに!」
そう。タイミング、相手が悪かった。だが、それでも、いきなり馬車を「邪魔」と思わなければならないことに、シーヌは呆れたように息を吐く。
一度森の外に出て、シーヌたちは森の前で、昼食を摂りながら、自分たちの現実の認識の甘さについて考えさせられることになるのだった。
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