石パンに代わるもの
ミッセンに戻って、飲食店街と言われる街の方へと向かった。この街は工業都市であると同時に、開発都市の一面を担っているので、新しい料理が次々と開発されている。
アイスクリームなるものを口に運んだシーヌとティキは、その冷たさと甘さに目を瞠る。
砂糖は貴重品だ。砂糖と塩は、権力の象徴と言っても過言ではない。
そのうち一つをふんだんに使っているとわかる菓子。そもそも菓子の時点で中々の高級品である。
「やっぱり、冒険者組合の街だね。」
「うん。こんなに冷たいお菓子を作るなんて、とんでもない冷却魔法の使い手が必要だもの……。」
実際問題、『作る』だけなら作り方を知れば誰でもできる。ただ、牛乳と砂糖、その他もろもろを混ぜたものを冷やし、販売するとなれば、作り手も販売手もそれなりに魔法を使える人間でなければいけない。
人間が魔法を行使するには、その現象を想像する必要がある。いや、想像し続ける必要がある。
だから、『魔法道具』という架空の理論は存在するが、それが実現されることは理論上あり得ない。
なにしろ、『魔法道具』を作るのに必要な条件は『ヒトの力無しに魔法を恒常的に発動すること』。
人の意志がなくては発動しない魔法を、人の意志なしで。それは前提条件が破綻しているとしか言いようがないのだ。
「おいしいね、シーヌ。」
「うん、そうだね。」
ティキの笑顔に幸せを覚えつつ、思ってもいない返事をシーヌはする。
ティキはそれでも、露店で買ったものを食べて、おいしいと思ったものには「おいしいね」と声をかけ続ける。
ティキは、シーヌの味覚を矯正しようと奮闘していた。なぜなら、彼があまりに食事に興味がないことを見抜いているから。
シーヌは食事をしても、「おいしい?」と聞いても、「うん」とか「そうだね」と答えるだけで具体的な話をしない。どう美味しいのか、逆にどこが苦手なのかを。言わない。
シーヌは食に、味に興味がないゆえに、その辺の返事の仕方を知らなかった。そして、そもそも味覚がほとんど死んでいる。
だが、味の違いは認識していることを、ティキは知っていた。だから、食べ物を食べさせて、味あわせて、「これは美味しいものだ」と刷り込むことで、食に関する話題についてきてもらえるようにしようとしていたのだ。
ティキのそのやり方を、シーヌもうっすらとわかっている。だが、「やめろ」という気はなかった。
なぜなら、ティキが「美味しい」と言ったものはすべて、「私はこの味が好き」と言っているようなものだからだ。ティキ好みの味を知り、その好みの舌に自分の舌が調教されるくらいなら、別に受け入れてもいいと思ったから。
だが、しばらく食休みしてから昼食に寄った喫茶店で、シーヌとティキは謎のメニューを見ることになる。
その名前は、『パスタ』。カルボナーラやミートソースなど複数の名前が書かれている。シーヌが驚いたのは、その種類の多さである。
「ティキ、なにこれ?」
「知らない。うーん、私はたぶん、食べたことないかな?」
そう言いながら、それぞれが別の『パスタ』とやらを注文してみる。
「お待たせいたしました。」
持ってこられたそれに、シーヌとティキは目を丸くした。
「なんですか、これ?」
「『パスタ』でございます。お客様は、最近この街にいらっしゃられた方々でしょうか?」
ウェイターの人がそう言ったことで。シーヌには、この食材がどういったものかわかった。
さすがは、『開発都市』と呟く。そうホイホイ新しい食事を作っているわけではないだろうが……。
「ティキ。」
「……珍しいね?」
シーヌがフォークに絡ませた自分のパスタを、正面に座るティキへと差し出す。ティキは頭に疑問符を浮かべながらもパクリと食べて、逆に自分のものも差し出した。
「ありがとう。」
自分とは別の味のそれを食べて、シーヌは得心したように頷く。
これは、開発都市の中でも相当珍しい発明の形だ。冒険者組合員、特に各地を渡り歩くシーヌたちが望んでやまないもの。
「まさか、主食を開発してくるとはね。」
固すぎて食べられないパンに変わる、移動時の主食。目の前にあるこれは、それだった。
「どこに売っていますか?」
ティキがそのセリフを聞いた瞬間、飛びつくように問いかける。毎食では飽きるだろうというシーヌの心の声も、今のティキにはわからない。
しかし、このパスタとやらを食べるには、スープも必要なはずだ。本体だけで食べられる味ではないだろう。
無味に近いからこそ、メニューにあれだけ味付けを乗せることができたのだ。スープの種類を変えればいくらでも味を変えられる。コスパも、とてもいい。
シーヌはティキを宥めつつ、これがどういうものなのか、『パスタ』の作り方を聞いた。
麦を買うより軽い。パンはさすがに食べるのを避けたい。そう考えたとき、この『パスタ』は都合のいいことこの上ない。
「乾麺の作り方を教えるわけにはいきませんが……そうですね、少々お待ちください。」
そう言って小部屋から出て行った彼が再び返ってきたとき、その手にはこの『パスタ』を伸ばして固めたような品を持っていた。
「これを茹でるのですよ。十分程度。」
「……ほう?」
「わたくしどもはこの状態のことを『乾麺』と呼んでおります。お客様は旅人であらせられるようですので、持ち歩きには非常に便利なのでは?」
その通りだ、と思う。
シーヌもティキも、何もない場所から水を生み出すことは出来る。大地の底から水が這い上がってくるイメージを持てば、すぐに一つの池くらいの水は作り出せる。それに、『凍らせる』、みたいな状態変化ではなく、『水を出す』という創造なら、常に魔法を使い続ける必要はない。
「どこに売っていますか?」
ティキが食いつくようにウェイターにくらいつく。その瞬間、シーヌの頬がピクピクと引き攣る。
ティキを抑え込む。彼女の食に対する関心は恐ろしい。が、今すぐ買う必要はないのだ。
「ティキ、待って。お願いだから、待ってよ。」
「聞けないよ、これ、どれほどの革命かわからないの?」
そりゃ、石パンと比べたら圧倒的に革命だろうということは納得できる。だが、どうしても欲しいなら、すでに方法はあるのだ。
「ティキ、食べ終わったら仲介屋に行くよ。」
「……うん、わかった。」
仲介屋。昨日行ったそこで、パスタやそのソースの材料を中心に食糧を回収するように言えばいい。
そのシーヌの意向を聞いて、ティキは納得したように頷いた。それでいい。シーヌは一緒に頼んだ紅茶をすする。
ティキと二人、食べ終わって立ち上がる。
「じゃ、行こうか。」
そう言うと、シーヌたちは昨日ミッセンに入ってきた門に向けて歩き出す。
仲介屋は、割とあっさり、シーヌたちの追加要請を聞き入れた。
「あ、そうだ、シーヌさん。」
「はい?」
「ちょっとこちらへ。」
仲介屋に促され移動した先で、シーヌは足を止めた。ちなみに、ティキは別室で店員にもてなされている。
そこにあったのは、色とりどりの宝石だった。その輝きに、目を奪われる。
「どれにしますか、シーヌ様?」
その問い掛けにシーヌが碧色の宝石を指さすと、仲介人はまるで「そううだろう」とでも言いたげに頷いた。
「では、こちらの商品にいたしましょう。リングは金銀にはできませんが、よろしいですか?」
「金銀だったらすぐに錆びるんだよね?」
「それは不純物が多い場合でございます。純金であれば錆びません。」
「その分、重い?」
「愛情を示すのにうってつけかと。」
いや、重荷だろう。シーヌは喉元まで出かかったが、ティキの態度を思い出して口の中で呑みこんだ。
その代わりと言えばなんだが、純金にしない理由を考える。
「追加料金を取るぞ、かな?」
「はい、その通りで。」
「追加料金は払わない。今日付けで金の管理は妻の仕事になったから。……それより、その話し方は何?」
昨日とは違って敬語になっている仲介人に、シーヌは気持ち悪さを感じながら訊ねる。
「お客様でございますので。久々の大きな商談に、私も張り切っているのですよ。」
大きな商談というほどでもないだろうと呆れの息をつく。が、そういう理由なら納得せざるを得ないから、気持ち悪さを振り払うように頭を振った。
「錆びない素材で、契約した範囲。できるよね?」
「できます。ではそのように。」
そう言うと、これで商談は終わりとばかりに退室を促される。これから乾麺の制作工房に行くというセリフを聞いて、急な変更は苦しかったかな?と思って謝罪した。
「いえ、それは謝罪していただくことではありません。ここミッセンでは、麦や硬い石パンなどより、乾麺の方が入手しやすい。むしろありがたかったくらいです。」
もう、麦も石パンも時代遅れの商品らしい。
麦はまだ新商品の開発やパンを作るために使われるから、それなりの数が入荷できるが、もはや誰も作らず、食べない石パンなど、街の中で取り扱っている店を探す方が億劫らしかった。
最先端の都市には最先端の都市らしい苦悩がある。シーヌはそう納得して、ティキと合流する。
「そういえば、仲介屋って、どういう職業なの?」
ティキの問いかけにシーヌはやはりか、という表情をした。わからないのも無理はない。シーヌとて初めて使ったのだから。
「商売の世界は割と人脈依存なんだよね。」
人脈というか、顔見知りであれば多少安くで商品を売買してもらえる場合がある。
むしろ積極的に安くで仕入れられる、この街全体への影響力を持つ職業。それが、仲介人だ。
シーヌのように個人で、多種の商品を仕入れる場合も、本来の価格よりも安く注文できる。それをシーヌが購入する。
もしもシーヌが次にこの街に来た時に、同じ仲介人を通して同じ商品を買ってくれたら、工業都市の職人はもうかる。
もとより、仲介人への手数料は必要だが、それは一度のまとまった注文に対してであるから、この街の外の商人たちみたいに商品一つ一つに利益が足されるわけではなく、安くなる。
「ここが工業都市だから、商品一つ一つが限りなく原価に近い額で取引される。そこに仲介人自身の利益を多少乗せて、料金を請求する。この街だからある職業だね。」
「原価で多種の用品を、まとめて売ってくれる場所?」
「そう。そして肝心なことは、それを僕たち自身の手でやらないから、その分時間が浮くんだ。」
特に、馬車の注文なんて、種類もよくわからない僕たちには無理だしね、というとティキは納得したように頷いた。
「つまり、買い物代行システム?」
「……う~ん、なんか違う気もするけど……似たようなものかな?」
僕たちにとっては間違いなくそうだ。そうシーヌは納得すると、宿へとむけて歩き始める。
「さて、あと一週間。……ずっとデートはしんどいなぁ。」
今後どうしようか悩みながら、とりあえず二人、宿に帰るのだった。
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