永久の魔女
ペストリーを殺す瞬間を、間違いなくティキは見ていたはずだ。シーヌはティキの平然とした顔を見て、本当に見ていたのだよな、という疑念を抱く。
ティキはただ、おめでとう、とだけ言った。ただその体には、何か重苦しい覚悟が感じられて、シーヌは焦る。
人を殺した後なのだから、人殺しに関して何か思うところがあったのだろうか、と思いたい。だが、彼女がそれを理由に何か覚悟したわけではない、というのは、見たらわかる。まだ日数こそ少ないものの、ティキとはそれなりの時間を過ごしているのだ、わからないはずがない。
「どうしたの?」
「え、何が?」
とはいえ、一言だけですべてが伝わるほどには、コミュニケーションが足りているわけではないらしい。かわいらしく首を傾げるティキに、なんと説明するべきかシーヌは頭を捻る。
「いや、何か雰囲気変わったかな、って思ってさ。」
そう聞いて、ティキは何のことかわかったかのように顔から笑顔を消した。
「多分、シーヌの心の中を見たから、だと思う。なんか、私でなんとかできるのかな、って思っちゃってさ。」
ああ、そうか。シーヌはそれ以上は思わなかったが、納得する。
“幻想展開・地獄”。あれは紛うことなく、シーヌが日ごろ感じている心の中の世界である。それを、その世界の中に閉じ込められこそしなくても、ティキは遠目に見、感じていた。
あれを見れば、ティキとシーヌの住む世界の違いは明白である。それは、近くで見ているティキだからこそ、嫌でも強く感じられたことだろう。
ティキは、人を憎むことを知らない。恨みを持つことも知らない。だが、シーヌの抱えるものは理解できた。
「じゃあ、離れる?」
意地の悪い質問だ。シーヌはそんな質問をする自分を、心底疎ましく思う。だけど、シーヌにとって、ティキはかけがえのない存在になってしまった。
だから、こんな質問をしながらも、「離れない」と言ってもらえることを願っている。
「離れないよ、まだ。私が離れるときは、シーヌに恩返しをしてからだもん。」
それは、シーヌには遠回しに、「恩返しをしたら離れるよ」と言われているように感じた。
表情に焦りが出ているのではないか、とシーヌは思う。実際、ティキと離れたくない、という感情が、シーヌの顔にはありありと出ている。
ティキはそれに満足した。喜びを感じ、そんなことはみじんも感じさせない表情で、シーヌの前から反転する。
「さ、行くよ、シーヌ。シーヌの前に恩返しをしないといけない人がいるんだから。」
そういうティキの表情は、今までのいつよりも、年頃の少女のものだった。
魔女の亡骸の前で、シーヌとティキは手を合わせる。彼女が何百年の長きにわたって住んでいた家に、彼女の躯を埋葬しよう。二人はそう決めて作業に入る。
魔女が生きるのに倦んでいるのは知っていたから、死んだことに驚きはない。むしろシーヌとしては、今日まで生きていてくれてありがとう、と言いたい心地だった。生きていてくれたおかげで、魔女の戦ってきた経験が、そのままシーヌの中に宿っている。
ひどい話だが、彼女の今日までの苦労が、シーヌに経験を与えるためだった……と言いたくなる気持ちがシーヌにはあったのだ。
「お疲れさまでした。ゆっくり休んでください。」
ティキが家の床に穴を掘って、そこに魔女の亡骸を運び込みながら言う。シーヌはその彼女の表情を横目で見ながら、魔女の躯に土を被せた。
こうして魔女の部屋をしっかりと見て、わかることがある。この部屋は、広い。
魔女が今日まで生き続けた理由は、魔法の種類でも、経験則でもない。常に、どう襲われても迎撃できる体制を整え続けること。
最高級の警戒態勢が、生き延びた秘訣だ。
窓は少なく、広く、視野が大きい。窓から侵入するにしろ中を覗くにしろ、それを達成するまでに魔女が気付くことができる。
また、家は低く、広い。中に侵入したとして、必ず反応できる広さだ。また、屋根が破壊されても、たまに直撃したとしても、それが致命傷にならないように、天井は薄かった。
基本的に、生き続けろと言われて出来るような家の造りをしていたのだ。“永久の魔女”、不老不死の魔女。そう言われれば力試しに魔女を殺そうとする者は一定数現れる。
彼らに常に対応できる生存戦略。それが、魔女の本来の秘訣であった。
「さて、行こう、シーヌ。」
ティキがペガサスの背に乗る。もうここには用がないとばかりに。
その意見には賛同せず、シーヌは魔女の家を少し漁って、金庫を探し出した。
中には大量の紅石がある。
「そろそろ非常食も、秣も買わないといけないからね。」
盗賊まがいのことであると承知で、シーヌはそれらを懐に入れる。どうせ彼女は死んだのだ。『死ねばただの屍である』と主張した彼女のことだ。むしろ知らない誰かにものを漁られない分、本望だろう。
「必要なものはすべて持った。砂糖と塩まであったよ、ティキ。」
「……砂糖と塩はすっごく助かるけどさ。」
やはり釈然としないものはあるのだろうが、ティキはそれ以上言うことはなかった。どうやら、もう心が擦れ始めてしまっているらしい。引っ張りまわしすぎたかな、とシーヌは思った。
「火くらいは、かけていこうか。」
彼女は死んだ。“夢幻の死神”の手によって殺された。
それを公表する気はない。そして、ここのことを話す気も、ない。
この森ごと焼けば、さすがにバレるかもしれないとシーヌは思う。
だが、この小屋だけ焼くのは、問題ないだろう。
「ティキ。」
「うん。」
シーヌが小屋に火をかける。ティキが火からたつ煙を、小さく掌の中に呼び集める。
「さて、行こう。」
「うん、行こう。」
全て燃え尽きて、灰になったとき、二人は答えるように呟いて、口笛を吹いてペガサスを呼び寄せる。そして、水を出して火を消した。
水を出す。ただこれだけのことを、シーヌは魔法ではないのではないかと思っていた。“奇跡”のみが魔法であって、それ以外はただの技術ではないのかと。
でも、違った。これですら、人の“想い”や“人生で感じる意志”に含まれる以上、間違いなく魔法なのだ、と。
「人生の、軌跡。」
シーヌは、思う。復讐を終えた先。復讐の人生という名の“軌跡”を終えたとき、自分はどんな“軌跡”を望み、どういう“奇跡”を得るのだろうか、と。
ティキを見た。魔女が言うには、彼女さえいれば自分は自失状態にはならないらしい。
「次はどこに行くの?」
笑顔で問いかけてくるティキをまぶしそうに眺めながら、シーヌは「とりあえず森から出ようか」と答えて。
魔法とは何かを教えてくれた魔女に、敬意を示すように。彼女と過ごした小屋の残骸に、一礼した。
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