鬼二人
シーヌは襲い来るペストリーの斬撃を、まずいなした。そして、彼に勝つ手段を、一つに定める。
こうして襲い来るペストリーの迷いのなさ、その特攻に、何か考えがあると感じたのだ。何か、シーヌの“奇跡”を理解したうえで、最初から腹案をもってここに来ているかのように。
だから、シーヌはそれで勝とうとするペストリーの、心を折ることにした。使うのは、魔女にも使った“地獄”の幻想。
孤児であったペストリーと、孤独になったシーヌ。その二人の生き方の違いが、最も分かりやすく出る、魔法。
その地獄に囚われ、失う悲しみを、心の底に与えることが、シーヌに出来る『復讐』だ。
なぜなら、シーヌの知っているペストリーとは、失うことを知らないからこそ人の宝を奪える狂人。
その来歴を調べ上げたからこそ与えることができる……未知の、苦しみ。それを、シーヌは与えようと決意した。
暗闇が広がる。大きな大きな波紋となって、シーヌとペストリーを覆いこむ。まだ立ち直っていないティキは、その幻想から叩き出した。シーヌと彼の戦いに、護るべきものは置きたくない。
そう、シーヌは思っていた。彼に殺された人たちとの境遇を考えれば、当然すぎるほど当然のことである。護ろうとしたもの、助けようとしたものに助けられ、命を永らえた。その記憶は、十年経っても薄れるものではない。
地獄。罪人たちが死後に訪れる場所と伝えられる。死ぬよりもつらい苦しみが待ち受けるという場所。延々とそこで暮らし続けないと言われる場所。
シーヌにとって、そこは現実だ。その現実を、その場所に陥れてきた敵に、押し付ける。
ペストリーは、今まで感じたことのない、とんでもない喪失感を味わって、膝を屈する。
「なんだ、これは……。」
シーヌの“幻想展開・地獄”。魔女に仕掛けたときもこの男はその中に入っていたはずだが、その影響は小さかった。
シーヌが、ペストリーを認識していなかったからである。魔女と戦い、彼女と対等の条件でやり合うために作り上げた幻想と、復讐を為すために、本来の用途で使われる幻想。
効果が同じなわけがなく、特にペストリーには、非常に大きな影響を与える。
苦しい。つらい。恨めしい。
すべてを奪った彼らが憎い。
その感情は、一度たりともペストリーの得たことがないものだ。だから、体は重く、苦しく。体の内から湧き上がってくるそれに、ペストリーは涙を流す。
だが、同時に、それがシーヌによって与えられた苦しみであると理解している。だからペストリーは、全力で、心に沸き立つそれらを拒絶する。
苦しみを殺すには、より強力な苦しみがいる。
幸せや希望でも打ち消すことができるが、ペストリーはこの感情を打ち消すほどの正の感情など、持ったことがない。
ゆえに、喪失感に抗するために思いだした感情は、『何もなかった』若き日の苦しみだ。
その日暮らしすら危うかった、日々の強情。楽などできず、寝る場所すらも安心できず、気の休まることのなかった日々。
—―だが。彼がどれだけそれを思い出したところで、シーヌの苦しみを打ち消すことなどできない。なぜなら、苦しいと思う感情は、苦しくないということを知っていなければ芽生えないからだ。
もちろん、ペストリーは苦しんだ。苦しんで、涙を飲みながら、スラム街で生きてきた。
だがその時、いや、今でも、ペストリーは『満ち足りる』ということを知らない。理解できない。
そして、それを知らないからこそ、悲しみ、苦しみの『質』で、彼がシーヌに勝ることは決してない。
結果として、ペストリーは自爆した。自分の過去の苦しみは、シーヌの“地獄”と合わさって、より強い苦しみとなって彼を苛む。
そこに、快楽殺人を為す最高の殺人鬼の姿は、どこにも見えない。
辛いことが当たり前の人間に、『幸せ』を知る人間の喪失は、理解できないのだから。
「ああ。なるほど。まともにやり合うのがあほなわけか。」
ペストリーは気付いたかのように心に殺意を満たし、それらの感情を、激情を、無視しに奔る。
感情に蓋をする。色のない人生を送ってきたペストリーにとって、それは非常にたやすいことだ。
内側から漏れ出そうになる苦しみを無視して、ペストリーは一直線にシーヌへ向けて走り始める。それが唯一の勝利方法であることを、ペストリーは一切疑わない。
その動きに、シーヌも合わせるように動く。そうなるだろうと予想していた。そう来るだろうとわかっていた。
なぜなら、ペストリーは、クロウに攻めてきた中でも指折りの強者。たった三人しかいない、“奇跡”の保有者。
そういうと、“奇跡”持ちが少ないように感じるが、三人は多い。
シーヌは呆れたように息を吐きつつ、短剣を右手に持って、左手で杖を構える。
“奇跡”は本来、滅多なことでは顕れないから“奇跡”なのに、シーヌの旅路では“奇跡”保有者ばかりに合うな。そういう呆れを、シーヌは持っていたのだ。
そんなことは知らないペストリーは、シーヌの口角が上がったことで、自分との戦いで余裕を持たれている、と感じた。そして、それもその通りだ、とも。
複数の自分に分裂し、それぞれが明確な殺意を持ってシーヌに迫る。魔法で作り上げた自分といえど、魔法そのものに殺傷力があるのだ。影分身などではなく、どれもが立派な殺人鬼である。
命の危険を承知の上で、シーヌは一つ一つ迎撃、なんてまどろっこしいことはしなかった。
周囲の、“幻想”の背景たる暗闇を照らすかのように、純粋な魔力光があたりを焼く。
それはペストリーの分身たちを触れる度に消し飛ばし、シーヌの身の安全を守っていた。
が、ずっと展開しているわけにもいかない。ペストリーの本体はまだ死んでいないし、むしろ攻撃を仕掛けなければ、この“地獄”んよる精神攻撃に耐えながらも、逃亡の路を探すだろう。
ゆえに、シーヌはさっさと光を消し去ると、“不感知”を使ってその場から消え、“幻想”という名の結界の中にあるペストリーの居場所まで迫っていく。
背後からの不意打ち。背に刃を突き立てようと振りかぶった瞬間に、何か悪寒が駆け抜けて二歩下がり、魔法を放つ。
シーヌの魔法が触れた瞬間、その影は爆散して、その爆発の裏からペストリーの刃が伸びてきた。どうやら、器用に本人は気配を絶ったまま魔法を操っていたらしい。
二歩下がっていたことで、その爆発に巻き込まれなかったシーヌは、辛うじてその凶刃に対応する余裕があった。まるで本能に従う獣のような短剣捌きに、シーヌは観察眼と経験則にものを言わせた短剣術で対応する。
同時に、なんとなくシーヌは思っていた。自分に対応しているこの男は、間違いなく本物だ。だが、分身の姿が全く見えない。一対一は、この男の本領でなさそうなのにも関わらず。
どんな手段を使ってでもシーヌを殺す。それが彼の戦い方で、目的であるのは、シーヌが全く疑っていない事実だ。だが、明らかに彼は、何でもありの戦闘を避けているように見えた。
数合、打ち合う。魔法を織り交ぜ、シーヌが一瞬距離を放った時に、彼の攻撃が単純だった理由の答えが出た。
不意打ちのように、足元から殺意が伸びてくる。それは剣という形を描いて、シーヌの右足から使えなくしようと、シーヌを狙った。
シーヌはそれを、全く意識することなく打ち消す。魔女に押し付けられた歴戦の記憶の中に、ペストリーのような戦い方をする獣の対処法もあった。
昔は知恵ある獣が多かったのだ。それらをすべて、あの魔女たちが排除したから、今シーヌたちの社会は成り立っているのだ。
その記憶を何の感慨もなく吸収し、己が目的のためだけに有効活用する。シーヌはそうして、ペストリーを着実に追い詰めていった。
毒。罠。分身、不意打ち、ティキの姿を模した影を使った命乞い。
その悉くが不発に終わり、ペストリーは倒れる。気づけば両手両足はなくなっていて、全身を覆っていた黒装束もほとんどが焼け焦げていて。
「シーヌ=アニャーラ……。」
“地獄”が解けた森の中で、ペストリーは辛うじてその姿を目にとどめ、声を出す。
「俺は、これで、死ぬ。――だが、これだけは言っておこう。」
自分たちの争いの間に我を取り戻したようなティキの方をちらりと見やって、ペストリーは言う。
「人間を止めるほど壊れてしまったけだものに、幸せはないぞ。」
自分が復讐鬼になり果てたことをさしているのだろう。
「その先にあるのは、ただの、空白だ。鬼は、ただ空虚を抱えて生きるしかない。」
「わかっている。だが、それでも、ティキがいるから。もしかしたら救われるかも、と期待はしているんだ。」
シーヌの答えに、ペストリーはおかしいというように、凶悪な笑みを浮かべる。
それは、狂った笑みでありながらも、何か見るものをハッとさせるような笑み。生涯にわたって生きる目的を得られないままに強くなった、空虚な人生を歩んだ者が見せる、どこか寂しさをにじませた笑み。
「結局は他力本願かよ、復讐鬼。……ククク、自分では自分を救えないと、そう判断したわけだ?」
「ああ。無理だ。不可能だと、嫌でも分かった。“地獄”を展開して、この苦しみを心の中で繰り返して……わかったさ。」
「「苦しむことに慣れた人間は、幸せをもはや求められない。」」
今までに会った、そしてこれから出会うであろう誰でもない。苦悩と苦しみと、とんでもない空白を心の中に持って生きているからこそ言えるセリフ。
この二人の境遇は、ただ、幸せを知っているか知らないか、ただそれだけの違いでしかない。
ただそれだけの違いが、快楽殺人と恨みによる殺人の差になって、二人の立場を大きく隔てさせている。
「だから、幸せはティキに頼る。……でも、僕は代わりに、ティキをずっと、護ろうと思う。」
「鬼を止めたら騎士をやるって?ハン、これだから、既婚者は。」
全く羨ましい。そう言いたげにシーヌを見つめるペストリーの目には、羨望と嫉妬が入り混じっている。
知らないから、求める。そして、得られないから、欲しがる。
自分が今まで、心の底から幸せに憧れていたことを、今際の際になって初めて、ペストリーは知った。
「輪廻転生って、あるのか?」
「孤児のくせに難しい言葉を知っているな。」
「俗物的な聖女が、教えてくれた、よ……。」
血を吐く。そういえば、“清廉な扇動者”とこいつは、馬が合ったのだろうか。快楽殺人を好むこいつをクロウにけしかけるのは簡単だっただろう。
だが、それとは別に。
強者を否定し続けたユミルと、生きるために強くならざるを得なかったペストリー。この二人がもし持論を戦わせることになったなら、クロウの悲劇は起こらなかったのではないか。
全く、嫌なことに。今更ながらに、そんなことをシーヌは思った。
「これ以上話すと、気分が悪くなる。」
「そうかい。いつまで俺を殺さないのだろうって内心嗤ってたんだがな。」
「言い残すことはあるか。」
「誰に伝えるっていうんだよ。」
その言葉を聞き届けると同時、シーヌはペストリーの喉元を貫く。
あと、数人。一年もしない間に、復讐は終わる。
それは、冒険者組合の試験に合格して、四か月が経とうという頃。
約束の期限までに、デリアに会いに行けそうだ。シーヌは死んだ躯の方には一瞥もくれず、ティキの方へと歩き出した。
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