復讐鬼と殺人鬼
ペストリー=ペストナーは全力で走っていた。
“永久の魔女”は、最高の機会を生み出してくれた。どうやっても勝てない復讐鬼を相手に、完全な足止めを果たしてくれたのだ。
それから多少の時間は食ったが、まだシーヌもティキも再起動していないだろうとあたりをつける。そう判断してしまえば、彼の動きは早かった。
さっき彼らを見つけたところへ走り、たどり着く。
そこでは、完全に我を失っている二人を見つける。魔女の、シーヌたちを生かしたいという想いは、彼ら自身がすぐさま立ち直らないことで無に帰された。……そう、ペストリーは思っていた。
ペストリーの姿が視界に映ったのは、ほんの一瞬であった。
しかし、シーヌはその姿を見失っていなかった。いや、正確には見失ってはいた。
だが、シーヌをどう殺しに来るか、彼は知っていた。“奇跡”が、その死神を殺すための道筋について教えてくれていた。
“有用複製”—―“無傷”。それは、“奇跡”に抗するには弱い。たとえ享楽に酔いしれた、目的なき殺人に対してでも、“三念”は“奇跡”には勝てない。
だが、シーヌが、“奇跡”の副産物として扱う“三念”は、別。それを出せという指示が“奇跡”から出たのであれば、それはシーヌにとって、“復讐”を為しうるための道筋だ。
事ここに至って、シーヌは気付く。……これは、この魔女に出会うことも、彼女によって与えられた知識も、経験も。
それらはすべて、復讐のために必要ゆえに、“奇跡”……“復讐”が生み出したものなのだと。
真後ろ。そこが、“夢幻の死神”がシーヌを殺しに、刃を振りかぶる位置。
シーヌが無防備に脱力しているがゆえに、彼は全く警戒を見せずにシーヌに刃を向けている。
シーヌの右手の人差し指が、ちょうど彼の体が止まる位置に来ていることに、ペストリーは気付いていない。
殺人をするために、ただ人殺しを楽しむという願望をもとに、シーヌを殺そうとするペストリー。だが、彼の今回の「シーヌを殺す」理由は、それだけではない。
『歯止めなき暴虐事件』。あれで、殺せなかった少年を殺す。
それが、楽しみで仕方がない。同時に。脅威と感じて仕方がない。
ペストリーは、“奇跡”を得ている。ゆえに、“奇跡”の恐ろしさを知っている。
そして、クロウがどういう街だったのかも、よく理解している。
シーヌが“奇跡”を得ていることを、ペストリーは知っている。それがどういう“奇跡”なのか、自分たちの所業を思い出せば、想像するのは容易だ。
自分たちが死ぬのは、いやだった。すでに何人もが殺されていて、自分が対象になるのも、時間の問題だった。そもそも最初から殺害対象に入ってはいたが、近づいてくるのは時間の問題だったのだ。
『歯止めなき暴虐事件』の加害者たちは、冒険者組合の中心都市近辺を活動拠点とする者だけが集められていた。あの事件から十年経った今でも、全ての大物は元居た場所から動いていない。
立場が大きいもの、名声が大きいものほど、自由には動けないのだ。ネスティア王国の元帥、宰相。ルックワーツの竜殺し。聖人会を牛耳る聖女。『事件』を機に発狂してしまった将軍。
みな、立場があったおかげで、動けない。自由が辛うじてあったのは、ペストリーとドラッドのみだ。
その二人も自分たちのいた場所から大きく動こうと思わなかった時点で、ペストリーはおおよそを察した。
最初から。そう、『歯止めなき暴虐事件』でシーヌが生き延びてしまってから。
自分たちは、シーヌに殺されてしまう道筋を、自然と整えさせられていたのだと。
それでも、ペストリーがシーヌに戦いを挑み、殺そうと思ったのは他でもない。
自分がきちんと、それに気づけた。気づけた以上、自分はすでにその想いに囚われてはいない、と思ったからだ。
自分だけが、シーヌ=アニャーラの復讐劇を止めることができる。自分だけが、『クロウの亡霊』を、『復讐鬼』を討ち果たすことができる。そう思ったからだ。
—―その思考回路が、すでにどうしようもなくおかしいものであると、彼は、気付いていない。
それが、シーヌの“復讐”を為すために導かれた行動であると、気付いていない。
魔女ですら、最後の最後にしか気づけなかった、シーヌの“奇跡”の本質。
それは、シーヌの行動、起こりうる未来を教えることではなく……シーヌが復讐を為すための、完全なお膳立てを成し遂げる“奇跡”。
ティキの“理想”。“恋物語の主人公”。それと、全く同じ能力が、シーヌという復讐鬼の、奇跡であると。それだけ反則的な力がシーヌの奇跡には宿っていると、魔女が気付いたのは、シーヌの“幻想展開”から抜け出したあたりのこと。
シーヌにそれを伝える間もなく魔女は逝き……それを理解することなく、シーヌとティキは復讐の旅路を行く。
シーヌが“奇跡”を扱う旅路は、必ず血に塗れた者になる。そして、シーヌは苦しむことはあれども……必ず、復讐に、成功し続ける。
それだけ復讐に呑まれたシーヌの憎悪や絶望は深く、復讐を遂げる意志は固いということだ。
それは、すでに死んだ魔女を除くと、神のみぞ知る、という事実。
つまり、今シーヌを殺せると自信満々に近づいてきている殺人鬼には、わかっていないこと。それはもしかしたら、幸せなことなのかもしれなかった。「自分は何をやっても必ず死ぬ」。そんなことを知ってしまえば、人間、どうなるかわからない。
シーヌも、自分の奇跡の本質を知らないことは、まず間違いなく幸せなことだ。「必ず復讐は成功する」。そんなことを言われて、復讐などやっていられるものではない。
言ってしまえば、試験を始める前に「お前の試験は絶対に百点を与える」と言われるようなものだ。試験を受ける気どころか、試験勉強すらする気にはならないだろう。
そんなことを知らないシーヌは、必死に、訓練を続けるだろう。それが、復讐を果たした後のシーヌにどう影響を与えるかはわからない。が、訓練をするということが、悪い方につながることはあまりない。
ペストリーが刃をシーヌの首に突き立てようとしたとき、“無傷”の概念はシーヌの全身を巡っていた。
刃がシーヌの首筋に触れ、しかしその刃がシーヌの肌に食い込む前に、シーヌの指から閃光が迸った。
刃はシーヌを貫く前に、一瞬、止まる。“三念”が“奇跡”を超えることはなく、しかしほんの一瞬の停滞くらいは生み出すことができる。その隙は、シーヌにとって十分に攻撃をする隙を与えてくれる。
野生の獣のごとき勘で、ペストリーはその攻撃を回避する。が、完全な回避とはいかず、その腹部に針のような傷が入った。
熱い。非常に純粋な痛みは、それを痛みだと認識させない。過剰な熱さを感じながら、ペストリーはその熱さに身を焼かれながらも、刃を前に振り出した。
自分の意志を裏切った自らの腕、予想外であった反撃、そして見破れなかったシーヌの立ち直り。
それらの情報に思考を圧迫されながらも、ただ目的を果たすために振るわれた刃は、すでに動き始めていたシーヌの動きに後れを取った。
シーヌは前傾姿勢に、地面に向けて倒れこむと、そのまま脚を蹴り上げて、関節を叩き折る。
その勢いに逆らわず、シーヌは体を好転させて、立ち上がった。
「シーヌ。――クロウの亡霊。」
「“夢幻の死神”ペストリー=ベスドナー。……あの日、以来だな。」
そこには、さっきまで茫然としていた少年はいない。ただ復讐するべき敵を目の前にして、敵を殺そうと睨みつける、一つの鬼がいるのみだった。
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