魔女と『復讐鬼』
ティキと入れ替わりで今度はシーヌが小屋から出てくる。その表情が先ほど話をした時よりも明るくなっていることに、魔女は気付いていた。
「諦めたのかい、割り切ったのかい?」
「どちらでもありません。……まだ、復讐は終えていない。」
「なるほど。優先順位が決まっていたわけか。」
当然だな、“奇跡”を持っているなら。魔女はそう言って、シーヌに隣に座るように勧める。
「で、あなたは何をしに来られたので?」
「ティキの顔を見たのならわかっているのだろう?わざわざ婆の口から言わせることはない。」
「全く婆に見えん奴が何を言うか。どこからどう見たって、三十代の女だぞ、あんたは。」
はあ、とため息を吐くと、魔女はカラカラと笑った。その笑いに呆れたように、シーヌはまたはあ、とため息を吐く。
「僕の、何が聞きたい?」
「ティキに対する想いじゃよ。……あんたが荒れを聞いた後で、変わらぬ想いを持てているのかどうか、だ。」
「復讐のことではないのか?」
「それはさっき言っただろう、自分で。」
あれならシーヌは道を変えようとはするまい、魔女はそう、呆れたように言った。
焚火の音は決して止まない。ずっと、燃え続けている。
シーヌも決して、火から意識は逸らさない。定期的に薪を放り、燃やし続けている。
「正直、困っている。いや、戸惑っている。」
30分もそうしたころに、シーヌはようやく声を発する。
その声は決して明るいものではなく、ただ戸惑っているように感じるようなものでもない。
「僕がティキの“奇跡”に巻き込まれた。心の扉の、中に強引に棲みついた。気分のいいものじゃ、ないよ。」
そうじゃろうな、と魔女も返す。
「でも、そんな手段でなければ、きっとティキは助からなかったんだろう?」
「ああ、彼女の状況……そして、アレイティア公爵家の血脈婚であれば、不可能だっただろう。」
「そっか。」
シーヌがそう言った後の表情は、とても安定していた。魔女が拍子抜けしてしまうくらいには、彼の横顔から怒りの念は見つけられなかった。
「なら、文句は言わない。ティキのおかげで叶った復讐もある。……きっと、“奇跡”同氏が共鳴していたんだ。」
そういうシーヌの表情は、むしろ穏やかに見えて、魔女は驚く。
「あれだけ悩んだにしては、達観しているな。」
「達観している方が楽だからね。……僕は復讐の道を行く。ティキに完全に向き合えるのは、それが終わってから……ティキが、ティキの問題と向き合う時だ。」
「気付いているのか?」
魔女はあきれたようにシーヌを見る。この少年が、思った以上に物事を見ていたことに、驚いていた。
「……セーゲルは、ティキにとって重要な地だったのですよね?」
「あれを重要と言わずして、ほかに重要と言えないものはない。……アルシャ=アツーア。セーゲルにおいて、“救地の聖女”の名を戴いた、最高峰の魔法使い。」
シーヌの言葉が本題への枕詞に過ぎないとわかってなお、魔女は多くの言葉を重ねた。それが、シーヌにとって聞きたい情報ではないとわかっていても。
「……どうして、捕まったのですか?」
魔女の、彼女に対する、過剰なほどの言葉。それは、魔女にとって彼女がとても重要な、大切な人だったことを匂わせている。
「言えん。……詳しくは、知らないのさ、あたしも。」
そりゃあ、調べたら詳しいことはわかるんだろうけど、という呟きは、魔女が調べることを拒否していることを示している。
ゆえに、シーヌはそれ以上踏み込むのを遠慮した。
どうせティキが向き合う問題で、その場にはまず間違いなく、魔女はいないのだ。
「ティキの“奇跡”の変質の理由はわかったのですか?」
「シーヌにはそもそも、わかっておろう?」
質問に質問で返されてムッとしつつ、シーヌは頷く。
「とはいえ確信したのはつい先ほど、あなたの姿とティキの顔を照合させてからですが。」
「で、あろうな。だが、それだけで察せるとは、お前の勘も捨てたものではあるまい。」
魔女は火を見つめて、再び言葉を探すように無言になった。
「あんたは、それでも、ティキに愛想を尽かしたりはしないのかい?」
それは、さっきの言葉の焼き直しであると同時に、さっきとは違う言葉を求めての質問だ。
シーヌはそう判断すると、答えを探すように、虚空に視線をさまよわせる。
「尽かさない。……という言葉だけなら、あなたはもう信じないのでしょう?」
言葉を重ねるだけでは意味がないのだと、シーヌは察していた。
長き時を生きた魔女。彼女が接してきた人間たち、彼女が付き合ってきた魔法使いたち。
色々な想いをもって接し、自分よりも早くに死んでいった彼ら。
そんな中で、心変わりして道を違えた恋人たちも、多く見てきたのかもしれない。
シーヌは、それをこの森から見続ける魔女の姿を、容易に予想できてしまう。
「もしかして、魔女は、世界全てを見ることができるのですか?」
その問いかけに、魔女は一瞬硬直し、大きくため息を吐いたのちに言った。
「できる。……もう、やりたいとは思わないが。」
その言葉は、シーヌの中に大きく響いた。
シーヌが望み、歩んでいるのは、“復讐”という血塗られた道だ。
それは、自分が体験した、すべてを失う苦しみが基になったものだ。死んでいった友人、家族。幼心に強く強く塗りつけられた、怒りと絶望が根源だ。
魔女はこの森の中でおそらく、それに匹敵する、あるいは凌駕する、怒りと絶望を感じてきたのだろう。
この森に訪れた者たちの末路を……おそらく、一つ残らず記憶しているに違いない。
「彼女が死んだのは……あたしがちょうど、世界を見続けるのに疲れて見なくなってからだよ。……見なくてよかったと、何度思ったのかねえ。」
その言葉は、彼女を殺したものを殺したくて仕方がないとでもいうような、恐ろしい憎悪がこもっていた。……シーヌが、復讐を誓ったときに、敵たちに対して思い描いたそれが、ほんの些細な憎しみであると感じるほどの。
それに気づいた瞬間、シーヌは話題を変えた。この話題に触れ続けられるほど、シーヌは命知らずではなかった。
「ティキは……幸せになるまでが、ティキの“奇跡”でしょう?」
とはいえ、逃げる先など一つしか思い浮かばない。シーヌはそっちに話題を転換……元の方向に戻すことに決めた。
「ああ。おそらくは、だがな。……ティキがお姫様でありたい限りは、……いや、今は物語に熱中するような女か、ティキは?」
魔女の呟きは、シーヌこそが知りたいものだった。
「……まあ、いい。どっちにしろ、わかっていることがあるな。」
「……ええ、まあ、そうですね。」
魔女もシーヌも、『今の』ティキの持つ“奇跡”の名前は言及しないことにした。ただ、その性質だけを語る方向にシフトする。
「彼女の“奇跡”の質はわかる。……いや、どうなりたいか、はわかった、というところかな。」
「ですね。『幸せになりたい』。そう言ったところでしょう。」
魔女の言うことにシーヌが同意して、それから噛みしめるように言葉を重ねる。
「ティキの幸せに、ティキは……“奇跡”は、僕を選んだ。そうなのですよね?」
「あの場、あの近くに、いたのがあんただけだったのは間違いないだろうね……。彼女の条件に見合う、英雄がごとき働きをする男、というのは。」
動機は英雄とは程遠い。それを理解しているからこそ、シーヌは苦笑するだけでそのことには触れず、続けた。
「なら、僕はきっと、彼女の手で強引に、自分を喪わされないのでしょう。……意味、伝わります?」
「伝わるさ。何せ、あたしが自分の口から語ったことだからね……。あんたが復讐を為したら起こるはずの、生きる意味の消失。……確かに、ティキの力に絡めとられてしまったあんたは、そうならない可能性がある。」
全くもって、あんたにも厄介かもしれない話だけどねぇ、と魔女は大きく息を吐いた。
「いえ、いいんです。それはきっと……ティキと居れば、復讐は叶う。そういう意味でもあるはずですから。」
魔女は驚いてシーヌの方を見る。その目はこれでもかと言わんばかりに見開かれ、その体は何かに脅されたかのように大きく震えている。
「あんたは……。」
「僕は、復讐の路を征く。そのことに、決して変わりはありません。……ティキに、恋愛感情を抱いていようと。」
それは、復讐に全てを……人生を賭す覚悟をしているシーヌだからできる、覚悟。
「未来はないと思っていた。僕は自分すらをも殺すつもりだった。自分を殺して初めて、復讐は終わると思っていた。」
自分が奇跡を得なければ、『歯止めなき暴虐事件』は起きなかったと思っていた。
自分がもっと早く、“奇跡”に目覚めていれば、自分以外がみんな死ぬなんてなかったと、今でも思っている。
みんな死んでしまったのに、自分だけが生き続ける……そんなことは、許されない。みんなのもとへ行くべきだと、ずっと信じて生きてきた。
「僕が死んでも、クロウのみんなは喜ばない……ティキの、幸せに貪欲な“奇跡”を見たら、そう思うよ。」
そう言って目を瞑ったシーヌは、魔女から見たらようやく何かを取り戻したような、そんな印象を持ったのだった。
「さて、ではもう帰るか。」
「一方的に話してもう打ち切りですか。勝手ですね。」
「それが生き続ける秘訣だ、シーヌ。人間は、自分勝手でなければならない。」
永久の魔女。自分勝手であったがゆえに不死にほど近くなり、それがゆえに不老まで得た大魔女は、そう言って笑い、自分の家へと向かっていく。
「明日から手ほどきをしてやる。……ゆっくり休め。もうここには、獣たちは襲ってこない。」
やはり魔女が何か言っていたのか。その言葉を受け、その背中を眺めるシーヌが思ったのは、ただそれだけだった。
お久しぶりです。
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