魔法と『世界』
翌日、ティキが起きてきたのを尻目に、シーヌは皿に大豆を転がした。
昨日食べた動物の骨を茹でて、出汁をとったもの。それの中に余り物の穀物を放り込んで火にかける。
味付けは適当だが、味があるだけまだまし。そもそも旅でいい食べ物を食べるというのも変な話だ。
食事はこの程度でいいと、シーヌたちはあっさり割り切っていた。この二ヵ月で慣れたというのも大きいだろう。
洗顔を終えたティキと共に、黙々とおかゆに似た何かをすする。次に街に出たら、ペガサスの背に乗るくらいの麦は買っておこう、とシーヌは思った。
「“恋物語の主人公”。なかなか面白い名前だね。」
魔女の小屋に入って早々、彼女は愉快そうにそう言った。それがどういう意味かを理解するまでに、数秒間の時間がシーヌには必要だった。
なぜなら、まだシーヌは、彼女に何も告げていないのだから。だが、その意味を頭で理解した瞬間、シーヌは走りだしたいような気分になった。
すべて聞かれていたのだ、真剣な話だけではなく、あの惚気話の方も。
「ハッハッハ!若い証拠じゃないか。婆が聞いていただけだ、恥ずかしがる必要はないだろう!」
「見た目三十くらいの女が婆と言われてはいそうですかと納得できるか!」
動揺がひど過ぎて、口調が滅多にないほど荒っぽくなる。その顔は真っ赤で、からかいがいのありそうな顔だった。
「ここは私の敷地だよ。防音魔法も使わずに話している方が悪いね。」
「防音魔法なんてよほどのことがないと必要ないじゃないですか……。」
シーヌは深々と嘆息し、両手で顔を覆う。
シーヌじゃ魔女に口で勝てないと思ったティキは、さっさと次の話をしようと口を開いた。
幸いにして、話題の転換には大して困らない。
「では、私たちの質問が何かはわかっていますよね?答えていただけますか?」
「あんたは動揺しないんだね?」
「私は言ってもらえて嬉しかっただけですから、聞かれて恥ずかしいわけじゃありません。」
本人に言われることはうれしいし、ほかの人に同じセリフを吐いてほしくはない。が、シーヌとティキの会話を聞いて恥ずかしがることは、ティキにはなかった。
「ハッハッハ。シーヌより割り切りがいいね。あんた、悪女になれるよ。」
「シーヌが見てくれたらそれでいいから。で、教えていただけますね?」
ティキの圧に、シーヌはわずかにたじろぐ。恥ずかしがっている場合じゃないと、シーヌは気持ちを切り替えた。
「わかっているさ。私が不老である理由。それを説明するには、昨日以上に“魔法”について深く掘り下げる必要があるね。」
「では、“奇跡”を使うために、一生分の自意識と想いの強さが必要であるわけは?」
「それも同様さ。もっと深く説明しないとね。“三念”の前にそれについて話すとしようか。」
魔女は深々と息を吐くと、何かを考えるように顔を少し右上に向け……
シーヌに、いきなり火の塊を投げつけた。
シーヌはもちろんすぐさま反応して、目の前の炎を消し去る。
「シーヌ、今どうやって火を消したか、説明できるかい?」
「いえ。……当たりたくない、と反射的に思っただけですが。」
シーヌは戦闘訓練も、経験も、魔法を扱ってきた数も、同年代の魔法使いを遥かに超える。
その経験がシーヌの頭を反射的に動かし、シーヌの体を護ったのだ。
「だろうね。経験である程度修練を積んだものは、ほぼほぼ無意識に魔法を使えるようになる。あんたも知っての通りさ。」
それが何だろうか。そうシーヌは首をひねった。
「『大火事と鎮火の奇跡』っていう童話は知っているね?」
それは、なかなかマイナーな童話だ。クロウでは日常的に語られていたが、クロウから一歩外に出るとあまり聞かなくなるどわだった。
「え、知りませんよ?」
ティキは即答した。そうだろうね、とシーヌは苦笑する。
「とても簡単な童話だよ。でも、結局よくわからないんだけどね。」
そう言って、シーヌは物語を諳んじはじめた。
昔々あるところに、魔法使いの一人もいない、小さいけど大きな村がありました。
ある日、その村で何かの拍子に大火事が起きました。
人々は逃げまどいました。誰も魔法が使えないから、火消し作業ははかどりません。
逃げる人達はぶつかり合いあちらこちらを行ったり来たりでとんでもない大混乱になりました。
このままではみんな、火の海に飲み込まれて死んでしまう。そう思ったとき、急に火が消えました。
魔法を使える人がいないせいで、誰が火を消したのかわかりません。
その後、魔法を使えるようになった人も、現れませんでした。
村人たちは、それこそ奇跡が起きたのだと、手を取り合って喜び、その村では毎年、鎮火祭りというものをやるようになりました。
めでたしめでたし。
シーヌはとても簡単なその文章を、頭の中で再生し、語った。
ティキはそれを聞き終えて、魔女に問いかける。
「これが……どうしたのですか?」
「これは、実話なんだよ。シーヌ、あんたはこのあと、この村がどうなったか知っているかい?」
知っていた。クロウと何か似ているような気がして、決して忘れることができなかった。
「その奇跡を誰が起こしたのかでもめるようになりました。」
人々は知らないものを恐れる。村全体に回った火を鎮火できる魔法使いのことを、村人たちは恐れた。
村全体を鎮火させられるのなら、村全体を燃やせるのではないか、と言った。そして、犯人捜しのような魔法使い探しが始まったのだ。
結局、犯人はわからなかった。だから、その街で一番元気な老人が処刑された。
一番魔法使いっぽいという理由で。シーヌはこの時、初めて知ったのだ。
人は姿の見えない恐怖が一番怖いのだ、ということを、初めて、知った。
きっと、処刑された老人は、自分の境遇に当てはめたところの『クロウ』だと思った。
村人たちは、世界の合意だと感じた。
疑心暗鬼になって犯人捜しをしたのは、“奇跡”の研究をしているシーヌたちクロウを恐れたのだと。
それぞれの要素に、自分の境遇を当てはめてしまったのだ。
ついついそこまで語ってしまったシーヌに、魔女はうんうんと頷いた。
「いい線いったね、シーヌ。自分の境遇に当てはめたからだろうけど、結構いい線いったよ。」
魔女は言うと、笑って言った。
魔法は、無意識でも発動できる。ほんの軽い、ただ投げられた火を消す程度のことなら、死にたくないという無意識が、火を消し去ることもできるだろう。
「“奇跡”を行使するのに、一生分の想いが……覚悟が必要なのは、ちゃんとそれだけの理由がある。……たとえば山火事を起こそうとして、一日中起こし続けられると思うかい?」
今度は魔女はティキに聞いた。
それは、ティキも学校で習ったことがある。
「できません。なぜかはわかりませんが、一瞬ならできても、一時間も燃やし続けてはいられない。」
「じゃあ、シーヌ。意識せずに常時、魔法を発動していられるかい?例えば、人払いのような。」
「できません。一瞬ならまだしも、永遠に魔法の現象を起こし続けることは出来ません。」
例えば人払いの魔法なら、ほんの数分程度維持することは出来るだろう。だが、意識を人払いからそらした瞬間、人払いの魔法はすぐに消える。
「理由は簡単だ。人が入れない場所、というのがほとんどあり得ないからさ。」
もちろん地形や、危険性の問題で入ろうと思えない場所はある。だが、人は自分の足でどこまでも行けるものだから、『人がずっと入らない』場所を作り続けるのは難しい。
「“奇跡”になってくると、人の運命線に働きかけることが多いんだ。もしくは、『普通に考えてありえないこと』ばかりが起きる。」
それを為すために“奇跡”があるからね、と魔女は言った。
魔女はまた少しだけ顔を上に向けて、悩む。
「“奇跡”が『人生』をかけなきゃけないレベルな理由はね、人が無意識に望んでいることからすらかけ離れたことをするからさ。」
魔女は説明が面倒くさくなったのか、ついに結論を先に述べた。
要は、あり得るかあり得ないかの問題だ。
たとえば、あたしは不老不死じゃない。たまたま生きているだけ、たまたま死ねないだけだ。
魔女は、ゆっくりとそう語る。
「死にたいなら、戦場で。殺されない限りあたしは死ねない。でも、あたしを殺せるほどの猛者はもういないから、あたしは死ねない。これが、『不死』が副作用の理由だね。」
「でも、それなら『不老』の方が説明できない。でもね、理由としては簡単なんだよ。」
「『不死』の人間は『不老』だって人々は思っている。だから、あたしは歳をとらないのさ。」
完全に納得できる話ではなかった。だが、妙に納得できる話でもあった。
「『大火事と鎮火の奇跡』で火が消えた理由も、大勢の人々の無意識、といえば説明できるんだ。」
今度はたっぷりと、シーヌたちに考える時間を与える。
「大火事で混乱したなら、火が消えてほしいってみんなが思うから?」
ティキの答えに、魔女は満足そうに首を縦に振った。
「そうだ。みんなが一緒に、『火が消えてほしい』って願った。だからその時、たまたま、火が消えたんだ。」
「その一瞬だけ、村のみんなが魔法使いだったのさ。」
そう言われてしまえば、とんでもないことだが、理解した。
「つまり、“奇跡”っていうのは……。」
「ほんの一瞬だけ、みんなが『こうだ』って思っている当たり前から逸脱することさ。全人類を騙すんだ。ほんの一瞬だけ、ね。」
なら、目覚めるまでに『一生分』の想いが必要なのにも納得だった。むしろ、一生分程度で済んでよかったのかもしれない。
「“奇跡”っていうのが目覚める条件は、本当は、『全人類を一瞬騙せるほどの意志の強さ』だ。みんながみんな使えるわけじゃないのが、わかるだろう?」
なるほど、一生分をかけるわけだ、とシーヌは思う。
魔女の『副作用』についても納得した。あぁ、確かに、“奇跡”は“奇跡”と呼ぶにふさわしい、起こり難い現象である、とシーヌは認めた。
そして、目の前の魔女にさらに大きな尊敬の念を抱く。
千年かけて、これだけのことを究明した魔女に、シーヌはとても、感心していて。
だからこそ、彼女の孤独……ほぼ永遠の生から解放してやりたい。そんな思いを抱いた。
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