奇跡を知って
「どう思った、シーヌ?」
今日も寝る場所は裏の小屋。魔女が穀物類は譲ってくれたため、今日は空腹の心配はしなくてもいいだろう。
とはいえ、獣たちが襲ってくることに変わりはないだろうから、肉類の確保はできる。だが、やはりただ肉を食べるだけというのは体に悪いため、とても助かった。
食事の不安について解消出来ているなら、シーヌとティキが考えるのはやはり、今日聞いた魔女の話だろう。
ティキはやはり、大きな常識の変革に不安を覚えているようだ。
「……“奇跡”も、魔法も、本当に魔女の言う通りなんだったら。」
もっともっと、不老不死になれる人間が生まれ続けていてもおかしくないはずだ。そういう意味で、魔女の話は少し違和感がある。
魔女の伝説は、『永久の魔女』の名は、今では子供でも知っている一般的な童話だ。
つまり、誰でも不老不死については知っているし、知っているならそれが欲しいと望むだろう。
だが、実際は不老不死なんてものを持っているのは『永久の魔女』しかしない。それは、大きな疑問点であった。
「魔女は、不老不死はあくまで副産物だと言っていた。」
ティキの呟きに、シーヌは大きく頷きを返す。
「不死については納得したよ。単に、あの魔女を斃せるものがいないから、不死になった。なら、不老は?」
「わからない。……明日、聞いてみないと。」
そこまで話して、もう一つ思い出した。
「僕のも、ティキのも、“奇跡”っていうのは運命戦に働きかける、って言っていた。」
どうしてか“奇跡”はそういうものだ。総合的に判断すれば、要は目的、自身の在り方と言えるのが“奇跡”であるが、その効果は、より広範囲、未来に働きかけるか、周囲への力の拡散か。シーヌはそういうものしか知らない。
「これも、明日聞く案件かな。」
“三念”の説明を聞く前に。シーヌはそう呟いて、薪の山に火を投げる。
無意識で魔法を使えることに、シーヌは苦笑を漏らした。
「魔法はもう僕たちの日常に、しっかり絡みついちゃっているよね。」
「こればっかりは、ね。だから、公表できないんでしょ?」
クロウで行われた、“奇跡”行使者生成計画。それは、ただ、意志を強く持つ訓練であった分、正しいやり方だったのだ。
自分はこうあるべきだという想いをしっかり持ったとして、人生一生をかけるほどの決意を持てば“奇跡”に目覚める。
それを作り出せる環境を整えたのだ。冒険者組合が恐れるには十分だったのだろう。
自分でも、その研究は焼いてしまえ、と思ったことだろう、と思う。
「魔女の不死はわかったけど。」
不老がどうしてもわからない。ティキもシーヌも、頭を捻る。
「まあ、それは、後でいいと思う。……関連はしているけどさ。」
シーヌはぽつりと口を開いた。
「“奇跡”は、一生分の想いを込めなければ解放されないって言っていた。でも、おかしいよね。だって、僕たちの人生の信念なんて、変わるんだから。」
「おかしくないよ。“奇跡”に目覚めるほどの想い……シーヌ。あなたが“復讐”に目覚めたときの想いは、三念の“憎悪”や“苦痛”と比べて、どうだった?」
あのときの、復讐の誓い。怒り、憎しみ、悲しみ、苦しみ。
「あれは……そうだね。一生分の想い、というには、ちょっと過少だと思う。」
それくらいないと“奇跡”には目覚めないんだよ。ティキは沈痛な面持ちでそう言う。
重苦しい表情である理由は、ティキがシーヌのその激情を思ってのことだ。
今まで近くでシーヌを見てきた。その姿を見ていたからこそ、シーヌの怒りの大きさをとてもよく理解している。
だが、シーヌはティキの方をじっと眺めていた。空恐ろしい。そんな想いと、それでも消えない愛情を瞳に込めて。
ティキの目覚めていた奇跡の名は、“理想”。こんなものを手に入れたい、という願い。
シーヌは、ティキの奇跡の区分を知ったその瞬間から、冠された名についても、おそらく目星をつけていた。
ティキが望んだものは、血脈婚からの脱出。あの試験でティキの出自を聞いた者。なぜかティキの生まれを知っていたようなセーゲル聖人会。
みんながみんなそう思っているが、シーヌはもう、違うと言う事を知っている。
ティキの望みは、血脈婚がしたくなかったわけでも、自由が得たかったわけでもない。
彼女は何度か、シーヌに今まで読んだ物語の話を楽しそうにしていた。その大部分が、恋物語。
特に、歴戦の英雄と歩む少女を主人公にした恋物語が多い。
それは、英雄の物語ではなく、少女の物語だった。なら、ティキが何を好んだのか、薄々でも予想はできる。
ティキの理想は、ティキの望みは。ティキの“奇跡”に冠された名は。
「“恋物語の主人公”。」
ティキが息をのむ。シーヌが、その瞳を見て確信する。
「ティキの理想は、それだ。君は、恋物語の主人公になりたかった。」
そして、なった。今ではもう少なくなった、強敵に挑む少年と、その隣を歩く少女に。
ティキが、ティキの物語の主人公。シーヌは、ティキの物語の英雄役。
もう、シーヌは気付いていた。もしもあの場で出会っていなくても、遠からずシーヌはティキと出会い、結婚する未来が待っていたのだと。
ティキが恋物語の主人公に憧れていた以上、シーヌの行動は、『ティキの奇跡によって、操られていた』のだと。
あまりに不自然だった、シーヌとティキの間に起こった出来事。互いが互いを、いやでも認めなければならなくなったこと。
でも、シーヌは少しだけ感謝していた。あの魔女が言っていた。
“奇跡”を成し遂げたものは、自分を失い、自失としたまま一生を過ごす、と。
だが、ティキがいれば、そうなることはないだろう。彼女の望みのままに、自分を保ち続けるだろう、と。
「僕はさ、ティキが初恋だと思っていた。あの日死んだ幼馴染たちに、初恋の人がいたけれど、そんなことは“復讐”の思いに駆られて忘れていたんだ。」
そっとティキの頭を撫でる。二度、三度。撫でてから、言った。
「ティキのおかげで、“復讐”以外に気を付けるものができた。きっかけは無理やり作られた恋愛感情だったとしてもさ。」
愛しいものを愛でるように、その額に唇を落とす。
「今は、僕の本心で、君のことを愛している。」
言いながら、思う。出来るなら、最初から普通に出会って、普通に恋愛をしたかった、と。
かすかに首を振って、その念を振り払う。シーヌは“復讐”の旅路があったから。ティキは血脈婚から逃げるという大義名分があったから。
今こうして、二人で出会えているんだ、とわかっていた。
それにしても、とシーヌは考えることを変える。
「ティキは、すごいね。」
奇跡。シーヌはあの日抱いた激情をしっかりと覚えている。たとえ日が過ぎて、幸せな日常が隣を歩いているからといって、色あせることは決してない。
だからこそ、わかる。彼女が“理想”だけ、『恋物語の女の子のような、物語的な恋がしたい』と願っても、それは簡単なことではない。
“奇跡”に昇華されるほど、圧倒的な願い。それがどれほどのものなのか、シーヌには見当もつかなかった。
「ほんと、すごいよ。ティキは。」
シーヌの復讐は目に見える。どうしたいか、その激情の助けも借りて、とてもはっきりと形になっている。
だが、ティキのものは違う。英雄がだれかもわからない。どんな物語になるかもわからない。なのに、ただひたむきに、恋をすることを、求めたのだ。
そしてそれが、“奇跡”として実を結んだ。それがどれだけ恐ろしいことか、シーヌはさすがに、よくわかる。
「魔女が面白いというわけだよ。」
シーヌは微かに笑うと、足りなくなり始めた薪を補充しに、森の中へと進んでいった。
「へえ、“恋物語の主人公”ねぇ。」
小屋からの声が、魔女の耳にも届いていた。
「あたしが“我、白刃の下でのみ死す”を得たのは、恐怖からだった。シーヌや、それ以外の『奇跡行使者』たちの奇跡も、なにかしら実体験を持ったうえでの“奇跡”だった。」
信念。希望。願望。ありとあらゆる奇跡には、それのもとになるだけの体験がある。
「信じられないものを見たねえ。」
ティキの奇跡は、それがゆえに、異常だった。
ティキの理想は、実体験のない紙きれのような空想だ。
具体的な想いもなく、どうしたいという願望もない。
それでして、奇跡を行使しうるほどの、圧倒的な能力。圧倒的な、願望。
「それが起こった、はずがないんだよねぇ。」
となれば、彼女が“奇跡”を得られた理由は、可能性としてただ一つ。
「ティキ=アツーア=ブラウ……あの娘の、子供だったかねぇ。」
もう一人。ティキによく似た少女が二十年近く前にここに訪れたときのことを思い出す。
「まあ、語る必要はないだろう。自力でたどり着いてほしいところだね。」
そう言うと、魔女は鍋の中の具材に目を移した。
しばらくして、森の中には、家の中と外、ほとんど同時に、食事のにおいが漂うのだった。
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