11.宣言と同盟
「シーヌはあの副団長と戦うんだね?」
『歯止めなき暴虐事件』を知らないティキは、シーヌの表情から彼の目的をそうまとめた。そこに驚きはあっても同情はない。ティキは、シーヌの憤怒と憎悪にまみれた形相を間近で見ても、引かなかった。
「「……」」
デリアとアリスは何事かを考えこみ始める。それは、何かを苦悩しているように見えた。
「……今は合格することを考えるよ。偶然降ってわいた好機だけれど、偶然でしかないから……。」
シーヌは冷静に立ち返ったかのような口調で言った。
傍目から見てもそれが望んでいっているセリフではないことは明らかである。デリアは後悔するぞ、と言うかを迷った。
「これから先も同じことをするんでしょ?だったら今のうちにやっちゃおうよ。」
ティキがまるで歌でも歌うかのように軽く言い放った一言を聞いて、もう任せてしまうことにした。
ティキはシーヌが思っていたより強かった。だから今、自分がドラッドを討つことを諦める、という選択は消えかけている。
もともと、シーヌ一人で彼女を守れそうにないから、ドラッドと戦わないことも考えていたのだ。
ティキが強いと知った今、彼はドラッドと戦うことを、ほぼ確定的に決めていた。
だが、シーヌの思惑とは別にして、ティキはシーヌに、ドラッドと戦う道を選ばせようとしているみたいだった。
どうしてだろうか、と思う。
「私はこれからもシーヌについていくもの。試験中でも試験中じゃなくても、目的が同じならどうせ見るから。」
シーヌが冒険者組合に入ろうとした原因は、彼のさっきの表情にあるのだ、とティキは察した。
シーヌはこれから、あの憤怒と憎悪のために修羅の道を歩むのだろう、とティキは察した。チェガが言っていた「暗いものを抱えている」というのも、理解した。
だから、日常に戻るためには、日常に引き寄せられる楔がいる、と感じた。
チェガが言っていた。「シーヌはあんたに惚れている」と。事実だとティキは確信していて、それなら自分は楔になることができる、と思った。
自分はシーヌに恩返しがしたい。彼に日常生活を普通に送らせることが、一つの恩返しの方法だと、彼女は気づいてしまった。
それだけでなく、彼とともにいることができれば、彼女にない世の中での生き方を、彼が補ってくれるのだ。
(私にとって最もいい選択肢は、彼とともに居続けること。)
そうと決まれば、シーヌが抱いていそうな精神的な壁を取り除けばいいだけだ。
シーヌが惚れている女の子が、シーヌの知られたくない部分を受け入れる姿勢を示せばいい。本当に見ることになっても、否定しないと行動で伝えられればいい。
ティキは、彼女自身のために自分をも一つの道具として扱った。それがいいか悪いかは別として、ティキはシーヌとともに居続ける決断をした。
アリスはそんなティキを、少し遠間から見つめていた。その目に少しだけ、憧憬の念を浮かべて。
(そんな選択、私にはできない。)
アリスは心からそう思った。もしかしたら、ティキに恋心が生まれれば、彼女はシーヌのために何でもできるようになるのではないか、とすら思った。
アリスとデリアは、恋人同士である。幼馴染、というやつで、冒険者組合に所属したい理由は、とある人からの要求だった。
彼らの抱える問題が一段落したら、定職に就きたい。しかし、彼らの抱える問題は、一生ものの傷になりかねない問題だ。
だが、冒険者組合所属というだけで何かと有利になる。というより、その傷を補って余りある名誉が、冒険者組合にはある。
だから、二人で10歳の時に、それぞれの道を、補うように学び始めたのだ。
十年、共に居た半身が身近にいなくなって、二人は初めて、想いを知った。想いを知って、帰郷したときに想いを伝えて。
彼女たちは、この試験を受けるはるかに前からペアとして活動している。恋人同士としても十分に長い。視線でのある程度の意思疎通ができるほどには、彼らは互いをよく知っている。
(……多分、試験中は一緒に活動したほうが割がいい。)
(そうかもしれない。でも、大丈夫?)
(剣士は俺一人だ。多分、その辺はかなりのアドバンテージだと思う)
二人は同盟を申し出ることを決めると、再びシーヌたちに目を向ける。そのシーヌたちの会話は、まるで幼い兄と自信過剰の妹のようだった。
「いやだよ、ティキを巻き込みたくない。」
それでもシーヌはティキの言葉を否定する。受け入れようとしてもらえるのは嬉しい。
しかし、彼のやろうとしていることの危険性を最も熟知しているシーヌとしては、ティキには自分の身を守る程度にだけ戦って欲しかった。
だからだろう、いつもの調子を少し崩して、駄々っ子のような言葉を口にした。
「巻き込みたくなくても巻き込まれるよ。だって、シーヌの隣にずっといるもの。」
「こういうことがあるときはティキと別行動するようにするよ!」
「ダメだよ、シーヌがいないと私、右も左もわからないから。」
シーヌが決して彼女の手を離せないように、ティキが一つ一つ言葉を刷り込んでいく。
昨日、シーヌはティキを自分に依存させる決意をしていたが、ティキはシーヌを自分に依存させようとしていた。
共依存である。もちつもたれずでも、清い交際ともいえない、ドロドロした結末になってでも、ティキとシーヌが離れられないように。彼女はシーヌを、握りしめて離さないつもりでいた。
「……」
そんな泥沼の中に引きずりこまれそうになっているとは露とも思わず、シーヌはティキを突き放そうと奮闘していた。
シーヌは己の内面に引かれることを恐れてはいない。そんなもの、引かれないことなどありえないと信じている。
シーヌが自分の私怨にティキを巻き込みたくないのは、近くにいて彼女が殺されるさまを見たくないためだった。これ以上、自身の憎悪の念を強くしたくはないからだった。
ここまでお互いが、自分自身のためを考えすぎた二人組もない。しかし、周りから見た場合、彼らはお互いのことを思いやった二人に見える。
周りの目と彼らの内心がここまで入違って見える価値観というのもまた、本当におかしな二人だった。
「私を守ってくれるんでしょ?」
ティキは昨日のシーヌの宣言を引っ張り出した。離れると守れないわよ、と。
シーヌは諦めたように両手を挙げた。ティキは笑ってシーヌの手を取る。シーヌは憎悪にとらわれすぎないように、自制心を強くしよう、と決意せざるを得なかった。
デリアは彼らの話が落ち着いたころを見計らっていた。シーヌらとともにこの試験の間、協力関係を取りたいと思ったからだ。
シーヌの腕はアリスを超える。魔法使いとしての技量は一流とは言えなくとも、超二流と呼ぶべきところだ、とデリアは見た。
冒険者組合が学校から得た情報からした評価は、「魔法威力のみならアリス=ククロニャが最も優れる、しかし技術力ならばティキ=アツーアに勝るものなし。しかし、双方同時に相手しても、必ずシーヌ=ヒンメルが勝つだろう」というものだ。
シーヌはおそらく、このまま成長していく中で、二、三年のうちには一流と呼べる腕になり、十年もすれば超一流と呼べる。そう、超一流の魔法師には思われている節があった。
今超二流の剣士であるデリアは、そこまで内部事情を知るわけではなくとも、彼の能力が自らに匹敵しうると理解していた。シーヌの方も同様ではあったが、彼らはそれぞれの技量ゆえに目標は高い。
お互いがお互い、狙う獲物が同じで敵対する、という可能性は間違いなく秘めていた。
「シーヌ=ヒンメル。」
デリアが改まった口調でひと段落した彼らに声をかける。シーヌも同じことは考えていたので、彼らの呼びかけに振り返った。
「デリア=シャルラッハ。」
お互いがお互いを見る。シーヌは杖を構えなおし、デリアはその剣を抜いた。お互い、一歩ずつ近づいていく。
まるで決闘でも始めそうな様子に、ティキは慌てた。慌てて止めに入ろうとして。アリスに止められた。
お互いが武器を互いの目の前で地面に突き刺し、同時に右手を差し出した。
固く握られた互いのこぶしに、ティキが安堵の息をもらし、アリスがその心配性っぷりに笑った。
「戦ってみたくもあるが。」
「それは全部終わってからね。」
軽く笑って互いが離れる。今後、どうするかについて話し始めた。
「おい、ドラッド。誰かやられたか?」
一日目の夜に、ガラフは副団長に問いかけた。
「ええ、一人。ジェリフがやられました。」
ドラッドは淡淡と、何事でもないように言った。しかし、誰一人として合格者に出てほしくなかったガラフとしては、試験合格者が出るかもしれない状況にいら立ちを隠せない。
「ッチィ!何やってんだ!ほかのやつに回収に行かせろ!」
ドラッドはため息をついて、まだ言っていない情報を話した。
「私の魔法が発動したのは、あの門のすぐ近くです。しかも、私たちがあの四人を見逃してから五分と経っていませんでした。」
その意味はお判りでしょう?という風に感情を感じさせない声で話した。ガラフもさすがにそこまで言われて誰にやられたのかを思い至って、少しだけ落ち着きを見せる。
「さっきの命令は撤回だ。誰にも回収させるな、返り討ちに合う。」
優れた傭兵なだけあって、あの四人がそろっているときの手出しは危険だという判断はできた。
もしもティキかアリスが一人でいるなら、ガラフも回収しろと命じたかもしれないが、デリアかシーヌが一人でいれば、傭兵十人は差し向けなければならなかった。
「ドラッド。あのガキどもの合格阻止のためにはどうすれば確実だ?」
ガラフの未来の目標は、冒険者組合の破壊、あるいは乗っ取りだ。
新米である彼ではまだそこまで行くために何段もの階段を上らなければならない。金と戦力もたくさん必要だ。
そして、もう一つ必要なのが冒険者組合そのものの弱体化。今回の試験で誰も合格させないというのは、その弱体化のための一手だとドラッドが教えていた。
「……彼らは、私と団長が相手するしかないでしょう。デリア=シャルラッハを団長が、シーヌ=ヒンメルを私が相手しなければいけないでしょうね。」
ドラッドはシーヌ=ヒンメルに違和感を覚えていた。彼の前に立つと、少しだけ怯えている自分を見つけていた。
(そんなわけないはず、なのですが……何があるのでしょうね。)
ドラッドは冷静に自らの感情と向き合っている。しかし、ずっとそうしているわけにもいかず、ガラフの決断を聞いてすぐに我に返った。
「よし、今すぐにやつらを殺そう。」
「待て、殺すのはマズい。相手は子供だ。」
咄嗟のことで。試験中は被ろうとしていた礼儀の皮も脱いでしまった。
「それに、今すぐ行くのもまずい。あいつらを過度に恐れたと言われてしまうぞ。四日目に、偶然を装って衝突しろ。」
それに、ティキ=アツーアとアリス=ククロニャのためにもう一人か二人、人員が欲しい。
彼は、彼個人に出された、もう一つの依頼につても考え始めた。この試験機関のうちに、その依頼もこなさなければならない。やはり、もう少し人手が欲しい。
「確実に合格者を出さないために、受験者全員叩いてしまおう。ガラフ、幹部会を開く。やつらを招集しろ。」
さらりと命令を出しながら、彼はシーヌに似た、多くのことを考えすぎてできた眉間のしわに手をやった。
「じゃあ、三日間は別行動の上、三日目の夜にここで合流。団長と副団長を叩く。それで行くぞ。」
デリアが言い切ると、それでいい、というように残り三人が頷いた。
「とはいえ二人一組だけどね。私たちも一枚は奪っておいた方がいいし。」
アリスが笑って言いつつ立ち上がった。彼女はシーヌの方を見るのを、さっきからずっと避けている。
「……じゃ、行こうか、シーヌ。」
ティキはシーヌの手を握り締めて立ち上がる。
二人はすぐさま、門からさらに南に向けて歩き始めた。
「……生き残り、か。」
デリアは呟きつつ、西へ向かって歩き始める。
「ごめん、空気悪くして。どう接したらいいかわからなくて。」
アリスはとても苦しそうな表情で謝罪する。
「……いいさ、謝罪する相手も違うしな。」
笑って言い切った剣士は、優しく恋人の手を取る。そして、今夜の食事を求めてさまよい始めた。




