結婚式準備
起きたとき、シーヌは自身の体勢に驚いた。
ティキを抱きしめたまま眠ったらしい。珍しいこともしたものだ、とシーヌは感じた。
「さて、どうしようかなぁ。」
ティキはどう見ても眠りについたわけではない。生きはしているからそこまで心配するほどでもないものの、歴とした気絶だ、これは。
「きっと恥ずかしすぎたんだろうねぇ……。」
お酒はダメだ。そうシーヌは確信する。
「とりあえず、着替えてこよう……。」
部屋を出て、荷物から服を取り出し、着替えなおす。そして、ゆっくりと伸びをすると、井戸の方へ降りて桶に水を汲み、部屋まで持って上がった。
「想念で作り出した水より、こっちの方がいいんだよね……。」
言いながら、シーヌは自分とティキの着替えを取り出して桶の中に突っ込み、ジャブジャブと洗う。
汚れ自体は、「新品同様を維持」というイメージで洗うことで基本的に取れる。だから、念入りに選択をする必要は特にない。
だが、ティキはどうしてか衣服の清潔さには拘る。彼女につられるように、シーヌも洗える時の衣服の洗濯はしっかりと行うようになっていた。
「さて、ご飯はティキが気を取り戻さないと食べに行けないし……。」
洗い物を終え。とりあえず備え付けのハンガーにかける。
「街の恩人という形だからか、待遇が異常なくらいいいね……。」
起きてこないティキのことから思考を外し、シーヌはハンガーだけでなく、ポットやベッドまである部屋を見渡して呟く。
ルックワーツと戦う前に宛がわれた部屋は、布団は自分で敷かなければならなかった。
ポットやハンガーなんておいてはいなかったし、部屋もこれほど広くはなかった。
「功績がまんま待遇に反映されるんだから、人間って面白い……。」
もしかしたら、今まで殺してきた人の名前を言えばどこの街でも優遇されるのではないか、と思った。
「さて。起きた、ティキ?」
「……もう絶対、お酒を飲んだシーヌとは一緒に寝ない。」
「ごめんなさい。」
シーヌはすぐさま謝った。気絶するまで離さなかったのだ。おおかた、恥ずかしくて気絶したのだろうが、彼女を逃がさなかった自分も悪い。
「ゆるしません。」
いい笑顔で即答されて、シーヌの頬が若干引きつった。
「どうしたら許してもらえる?」
慌ててシーヌはティキのご機嫌取りに走る。こういう宿でのやり取りではそろそろ尻に敷かれるようになるのかなぁ、と感じるシーヌだった。
「……いいよ、別に。慌ててくれたから。」
何かがティキの琴線に触れたらしい。今度の彼女は穏やかな表情に変わって、シーヌを許した。
ちょっとした夫婦漫才はあったものの、シーヌとティキはそのまま食事を摂る。
「結婚式は……まあ、仕方がないとして。」
シーヌとしては、ティキとの関係性に引き返しがつかなくなる行いだと感じていたから、避けたかったことだ。
それを、「仕方ない」という程度には、シーヌはティキに対して持つ責任を受け入れる姿勢を示していた。
その背景には、復讐の旅路を共に歩んできた信頼、これまで共にいて育んだ愛情。
それ以上に、シーヌの「復讐」に理解を示せる彼女の在り方があった。
いくら、『歯止めなき暴虐事件』によって自らの命以外の全てをシーヌが失っていたとして。
シーヌの行いは、なんら褒められたものではない。
もちろん、冒険者組合という組織が、復讐を否定することはない。あの組織は、あくまで個人の思惑を、力ずくで成し遂げる者のためにある組織だ。
しかし、だからと言って正しい行いかどうかは話が別。……まあ、シーヌほどではないにせよ、この世界に復讐劇くらいなら溢れかえっているのだが。
(本来なら、国によって裁かれなければならない殺人行為……)
それは、シーヌが冒険者組合にいるからこそできる違法行為だ。
(それに付き合ったティキには、感謝してもしたりない。)
ようは、罪滅ぼしである。ティキがシーヌとくっつくことを望んでいるから、シーヌはティキの望みを叶えようとしていた。
食事を終えて、部屋へと戻る。
「さて、行こうか?」
「待って、逃げる気でしょう。」
シーヌの「行こうか」は、セーゲルに備え付けられた訓練場だ。そしてティキの「逃げる気」というのは、結婚式の準備からだ。
「うっ……。」
「ダメだよ。今日は昼まで正装選びなんだから。」
「いやだって、結婚式はさておき、それ以外では使わないんだよ?別に……。」
「シーヌは私に、結婚式の思い出は適当なものでいいって言うの?」
それは、絶対に、夫が妻に言っていいセリフではない。
「ダメ、だけど……。」
人生計画の中に、結婚なんてもの、シーヌの中にはなかった。だから、どうしても積極的な結婚式の準備は気が引けるのだ。
(そうじゃなくても、ティキは美少女なんだから、僕じゃなくても……。)
無理である。すでに家族姓を定めた時点で、ティキはシーヌ以外の人との結婚は原則できない。
結婚した直後のドラッドのように、「結婚してすぐなら、なかったことにすればいい」という主張はできない。なぜなら、結婚を宣言して、二ヵ月以上の月日が流れているからだ。
(いまだ処女という主張も絶対に伝わらないだろうし。)
といいうより、結婚しているのに二ヵ月も何もないとか、「何があった?」ものの話である。
「はぁ……。」
正直、憂鬱だった。軽い溜息を吐いたところで、呉服屋の使いがシーヌたちの部屋をノックする。
「……行こうか、ティキ。」
「うん!!」
声の質が対照的になっている二人は、そのまま結婚式の衣装を選ぶべく、使いの後を追いかけた。
「ねえ、シーヌ。これがいい?やっぱりこっちかな?」
正確が豹変したようにウェディングドレスを選ぶティキを、シーヌは内心げんなりしながら頷く。
女の子の人生一度きりの楽しみだとは知っていても、シーヌにはその楽しみはわからない。
「お疲れですか、シーヌさん。」
「ワデシャさんはよく付き合えますね……。」
二人の視線の先には、試着を終えて歩いてくるアフィータの姿がある。
「もともとあと三年以内に抗争を終わらせて、結婚する予定でしたから。」衣装の作成自体は、アフィータがここ数年でちょっとずつ作らせていたらしい。
「男は種類が多くはないので、簡単ではあったのですが……。」
いくらオーダーメイドとはいえ、女性のようにアクセサリーとかは多くいれない。
体格に合わせて、顔に合わせればいいだけだ。時間はかかるが、選考対象は多くない。
「僕も一時間ほどで終わりました。ティキがはしゃいだのでけっこう着せ替え人形にされましたが……」
「それくらいでいいのですよ、結婚するなら。それに、これくらいはいいじゃないですか。」
あなたの波瀾万丈な人生には、これくらいの癒しは必要です。遠回しにシーヌはそう言われた。
「……そう、ですかねぇ……。」
復讐を終えるまで、休みはないと思っていた。休むことはできないと思っていた。
「これは独り言なのですが。」
ワデシャはティキに呼ばれてそちらへ歩いていくアフィータを見やりながら、言う。
「戦友にはきちんと日常も謳歌してほしい、と思います。私たちも、争い詰めでしたから、日常の大切さを今噛み締めているんです。」
日常。シーヌは思う。
憎しみに駆られ、憎しみを日常に生きてきた。
シーヌは、ワデシャの言う日常を、よくわからない。
「きっと、あなたが復讐に燃える以前に過ごしてきたものです。」
言われて、黙った。あれは、大切なものだ。大切な、思い出だ。
「……その様子だと、自分にそれを過ごさせることを許せないのですね。」
許せるわけがない。他のみんなはもういないのに、自分だけこうしてのうのうと生きている。
「僕が、僕を……。」
静かに、ワデシャが続く台詞を封じて、言った。
「では、ティキさんは?」
シーヌからワデシャは話題の中心を切り替える。
シーヌが自分を許せないのなら、自分を許さない方向で話を進める。
「ティキさんに、あなたのその大事な思い出と同じ生き方を、させないつもりですか?」
ティキが望んでいないという言葉は受け入れませんよ、と彼は言う。
「気づいているのでしょう?知らないから、彼女はあなたといるのだと。」
黙りこくった。シーヌは、何故か怖くて、声を出す気にもならなかった。
「日常を知れば、ティキさんはあなたの旅路より、そちらを取るかもしれない。……怖いですか?」
シーヌは、頷きは、しなかった。
だが、首を横にも、振らなかった。
それで、答えは明白。シーヌは、ここまでティキを巻き込んだ上で、ティキに離れられないことを望んでいる。
最初に会ったときから、ずっとそうだった。
シーヌの行動は、ティキに自立を促しながら、同時にティキに依存をも促し続けた。
シーヌは、ズルいのだ。自分が彼女にいてほしくて仕方がないのに、ティキが自分の意思で着いてくると言うのを促している。
「私は、それには文句を言いません。」
言う気もなく、言う必要もない。
そんな彼を最も浅ましいと思っているのは、他でもない彼自身だ。
「……ティキさんに、日常を教えてあげなさい。」
ろくな人生を歩んでこなかった。
セーゲルの中でも、最も日常を過ごしてこなかった。
だからこそワデシャは、自信を持って言える。
「日常は、最も大切な、人間の育成機関です。ティキさんを人間にしたいのなら、きちんと日常を歩ませなさい。」
シーヌは、軽く頷いた。ワデシャは僅かに笑うと、呟く。
「あなたが奪われたものを、彼女に与えてやりなさい。あなたが大切だったことを、彼女に教えてやりなさい。」
シーヌはハッとして、ワデシャを見た。
「そうすればきっと。彼女は、あなたのことを、よりよく理解するでしょう。」
シーヌは、今度はしっかりと頷いた。
(これで彼の中には、過去と現在、両方の日常が生まれる。)
そのときに、どう変わるか。それはワデシャにはわからないけれど。
シーヌの、晴れ間なき道程を救いたい。ワデシャは真剣に、そう感じていた。
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