清廉な扇動者
ユミル=ファリナ。彼女の両親は聖人会の要職にあった。
そんな彼女は、若いころから将来を期待されて育った。そして、知る。彼女の生まれ持って得ていた声が、魔性のものであることを。
どんな主張をしても、どんな意見を語っても。ユミルの声を聴いたものは、ハイハイと聞いてしまうということを。
それは、人に対してだけである。しかし、誰にも彼にも意見を聞いてもらえるという事実は、彼女に自信と、そして恐怖を与えた。
彼女に意見を申してくるものは誰もいない。彼女に苦言を呈してくれる人はいても、ユミルがただ一言『そんなことはない』というだけで誰もかれもが意見を翻す。
彼女にとってそんなものは決して面白くなく……同時に、気付いてしまったのだ。悪いのは、誰かではないということに。
「悪いのは、僕だ。」
ある日、十歳の頃。唐突に呟いたユミルに、両親は訝しげな目を向けた。
「私が悪いんだ!こんな声を持って生まれたから。私には友達が出来ないんだ!」
言いなりになってくれる子供も大人も大勢いる中で、彼女が望んでいたのは、ただただ対等に話せる友達だった。
両親はそんな娘の言動に、想いに、当然のように危機感を抱いた。十歳の少女が話すべきことではない。言っていいことではないと、思った。
「あなたのせいじゃない!たまたまそういう声を持っていたからと言って、あなたが悪いわけないじゃない!!」
母のこの言葉は、ユミルにとって救いにはならなかった。
「どうして僕なんか産んだんだ!」
完全に自虐モードになっていた彼女は、声を荒げてそう言って。
いつしか気づけば父と母と、取っ組み合いの喧嘩になって。
両親には当然、彼女の魔声は効いていた。それでも彼女と言い合いが出来たのは、ひとえに娘に対する愛があったからである。
だが、その愛をもってしても防げないほど、強烈な彼女の言葉があった。
それは、初めて自分の意のままにできない人が現れて噴き出た不満。
ユミルはその日から、この日のことを一生後悔して生きていくことになる。
「お父さんとお母さんなんか、死んじゃえばいいんだ!!」
今まで起こらなかった親子喧嘩を思えば。まだ十歳の子供が喧嘩中に親に言うことだと考えれば、別段違和感を覚えないそのセリフに、両親の心はともども打ち砕かれた。
そう。彼女の魔声に、その言葉は絶対的に相性が良かったのだ。両親は、娘を愛するがゆえに耐えていた魔声に、屈した。
彼女の目の前で、父と母は命を絶った。彼女の言った言葉を、その理不尽さを誤らせる暇もなく。
「あ……。」
ユミルは、死んでいく両親を見て、思ったのだ。やはり、自分の魔声は、あってはいけないものなのだ、と。
十歳の少女には過酷すぎた、その運命。何度も自殺しようとする彼女を止める聖人会という関係性が出来上がるのは時間の問題だった。
聖人会上層部は、自身たちの疲れもあり、ユミルを失いたくないという願望もあり、彼らは決めた。
「強すぎる何かを持っているという点では、冒険者組合員もさして変わるまい。彼らの姿を見せてはどうか。」
冒険者組合は、歓喜した。
強すぎる魅惑の声で悩む若者。強さの方向性こそ違うものの、冒険者組合にとっては、『強すぎてあぶれ者になった』という点では変わらない。
だからこそ、彼らはパフォーマンスとしていろいろなものを彼女に魅せたのだ。強すぎる者たちの受け皿の優秀さを。どれだけ仲間がいるのかを。
一人で、湖の一つを消滅させる者がいた。一人で、天変地異を起こせる者がいた。
空を飛びまわる者がいて、大量の害獣を瞬殺できるものがいた。
上位の竜を何頭も倒す化け物が、何もないところから生物を生み出せる魔法学者が。
それらの全てを、出来ない少女は恐れを込めて見つめていた。
「人に出来ないことが出来る人は、怖いんだ。」
呟いた少女。そして、彼女は、自身がいてはならない、と思うと同等に、思った。
(強者がいては、いけない。弱者以外がいては、いけない。)
「ねえ、おじちゃん、怖いよ。強すぎるから、死んで?」
そう言ったセリフも、自分の魔声も、効かなかった。真に心の強い人たちには、この魔声の効果が薄いということを、初めて知った。だがそれは、彼女の心は救わなかった。
「これから聖人会は、趣を変えます。」
ひたすらありとあらゆる手段を駆使し、自らの魔声の力を借りて、聖人会に関わる面々の大半の洗脳を終えた彼女は、宣言した。
聖人会はこの世を弱者だけが生きる世界にし、自らの組織も破壊する、と。聖人会のトップに立って最初に、宣言した。
それから1年が経って。冒険者組合の要請でクロウに出兵して。
強者によって強者になれる資格を持つ者たちを粛清させるという図式を描いて。
今度は、強者によって強者を粛清させるという図式を作る予定があって。
その途中で、ネスティア王国王都シトライアから、伝達があった。
“伝達の黄翼”ルドー=ゲシュレイ=アトルが送ってきた、とある魔法。
執務室の机に描かれた図、それが指し示すものを理解した時、当然のごとくユミルは怒った。罵り、怒り、暴れ……討とうと、決意していた。
「何度も、何度も、人を殺させてきたよ。目の前で、人が死ぬのを多く見てきた。」
自分が命じたものも、洗脳した人たちが自分で考えて殺してきたことも。
「強者のいない世界にしようと決意してさ。その目的のために、人の命を何百何千と屠ってきてさ。」
聞いてやる義理など何一つない。それでも、シーヌは最期くらい聞き届けてやろうと思った。
「それだけ分、僕は背負った。背負った命も、ここで終わった。」
独白は長く、彼女は弱弱しそうに続ける。
「僕の人生はさ、人を声で魅了して、この声を聴いた人たちを言いなりにして。僕はそうやって生きてきたんだと声高に主張した瞬間にさ、“洗脳”なんて魔法概念が出来たんだ。笑えるだろう?」
声以外に取柄もなく、声だけは特殊で、だからこそ戦闘能力がないものの気持ちをよくわかっているつもりだった。なのに、自分にすら魔法概念というものが生まれてしまって。
「僕もある意味強者になった。戦えない僕が、世界なんてものへの命令権を得て、戦えるようになってしまってさ。自然まで僕の言いなりさ。」
彼女の風への命令などは、決して演技などではなかったらしい。
「僕は魔法を使えない。でも、魔法を使えなくても、似たような現象は起こせる。正直歓喜したよ。既存の技術じゃないから、冒険者組合の奴らにも通じるんじゃないかってさ。」
結果、シーヌに通じず、こうやって地べたを舐めている。ユミルは、勝ち目のない戦だったのかなと諦めたように呟いて。
「シーヌ=アニャーラ。」
「どうした。“清廉な扇動者”。」
「あの日あの場にいた者たちに、それぞれ人生があったことは知っているよね?」
「逆に返すぞ。僕たちにも、僕たちの人生があった。」
「必要ないよ。強者に人生なんて。」
「なら、あの日いた者たちには人生は必要ないな。」
あの日あの場にいた彼らは、まごうことなき強者であった。彼女の理屈で行くのならば、『歯止めなき暴虐事件』の被害者たちは皆、等しく人生はいらない。
「そうだね。いらない。……この世界には、強者が、英雄が多すぎるよ。そして、減っても減っても補給がある。」
それはとんでもなくおかしいと彼女は言う。
「だからね、私は思うんだよ、シーヌ=アニャーラ。クロウの生き残り。」
いつしかシーヌは、彼女の語りにすっかり耳を傾けていた。ユミルの声のほとんど効かないティキが、話の流れが不穏だとハッと気づく。
「僕は君に、死んでほしいんだ。」
ティキが彼女の心臓に刃を突き立てるのと、彼女が言い終わるのはほぼ同時だった。
ティキはユミルが死んだかどうかの確認もおろそかにして、シーヌの方を見る。そこには、左手に握った剣で、自分の心臓めがけて短剣を突き立てようとするシーヌの姿があった。
「ダメェェェ!!」
ティキのは叫びながら、シーヌの体に防御壁を展開させて、間一髪のところで間に合わせる。
「死ななくちゃいけない。僕は、僕を殺さなくては!!」
もともとシーヌに、この手の類のものは効かない。“奇跡”を持ち、“復讐”にすべてをかけているシーヌに、人の言葉は届かない。
しかし、今回は相手が悪かった。人にあの日の目的を問い、最後の懺悔の機会を与えているシーヌに、“清廉な扇動者”の相手は。
そして、言葉も悪かった。最終的には自分も死なないといけないと思っているシーヌに、『死んでほしい』という洗脳は。
「死なないでよ、シーヌ!あなたが死んだら、私も生きてはいけない!!」
シーヌが自身でもよく理解しているであろう事柄を告げる。死ねないという理由を与えない限り、シーヌはすぐにでも死ぬだろう。
「あなたの復讐はまだ終わっていない!復讐を終えても、妻を養う義務がある!!」
一言ごとに、シーヌの目に光が戻っていく。
「私は!あなたと一緒に生きるために、今ここにいる!!」
だから、絶対に死なないで、という叫びをあげて、ティキは彼に抱き着く。そうでもしないと、彼はすぐにどこかに……死にに、行きそうだったから。
「……ごめん、ティキ。そうだね、まずは、復讐を終わらせないと。」
そう言うと、シーヌは左手に握っている刃を手放して、コロンと大地に転がす。
「ありがとう、ティキ。……行ってくるよ。」
ティキの背をポンポンと撫で、その体をそっと離す。
それから、心臓近くに刃を深く突きこまれたユミルのもとへ行った。シーヌのその目は、すでに復讐心に燃え、元通りになっていた。
「あーあ、失敗したか。」
「やってくれたな、と言いたいところだが、俺が甘かったんだろう。」
「なら、忠告。これから復讐しにいく人たちは、もう君のことを知っている。」
なぜ、とは思わなかった。それは、彼女が最初にシーヌが来たことに驚かなかったことで、薄々察していた。
「ルドー=ゲシュレイ=アトルの“伝達者”の三念。それに加えて、フィナ=ギド=アトルが君の名前を名指しした。僕みたいに、会ってすぐに殺せなかったことが災いしたね。」
話し続ける彼女が、突如血を吹く。
「こ、ころさ、ない、のかい?」
「勝手に死ぬだろう。放置しておけば。」
「死ぬ苦しみを、長引かせない、やさしさ、は」
「ない。必要ない。」
「こいつ、に、いき、残らせ、たのは。」
間違いだったよね、絶対。そう言おうとしたのだろう。実際、唇もそう動いていた。が、それが言葉になることはなかった。
もう声が出ないのだろう。シーヌは安心する。もう復讐は果たしたも同義。残る復讐仇も、大物はあと二人、中級クラスがあと六人。
「ティキ。……ごめんね、ありがとう。」
彼は、おそらく初めて、自分からティキを抱き寄せた。シーヌ自身の感謝の気持ちを伝えるのに、それ以上の方法はおそらく思いつかなかったのだろう。
「じゃあ、最後の仕上げだね。」
どちらからともなく二人は離れ、シーヌは周囲全体に声を行き渡らせるように意識しつつ、叫んだ。
「央都レイの聖人会の兵士どもよ、聞こえるか!」
息を継ぐ。戦闘音が止んだのを確認し、周りの兵士たちすべてが声に注意をしたのを察してから、シーヌは続けた。
「貴様らの首魁、ユミル=ファリナは討ち取った!疾く、セーゲルに降伏せよ。繰り返す……」
そうして、セーゲルを襲った三度目の問題は、ここに終焉を迎えたのである。
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