洗脳の聖女
シーヌはひたすら、目的地へと向かう。バグーリダが兵士たちを宙に浮かせ、行動の自由を奪い去った。その光景は、しっかりと視界の隅に映っている。
エスティナが“体調管理”の能力を使い、敵兵たちから行動する体力の全てを奪い去った。敵兵たちは既に皆膝をつき、立ち上がる余裕のあるものなど一人もいない。
「ご老体には厳しいと思うよ、シーヌ。」
ピッタリ張り付いた背から、ティキが言う。わかっている、と軽く頷いた。
アフィータは自分の役目をしっかりとこなしている。“授与の聖人”“要塞の聖女”“攪乱の聖女”がそれぞれ二千人ずつの指揮を執り、必死で敵を押し込んでいた。
「バグーリダさんは、もう歳だ。大規模な魔法の常時的な行使は、とんでもない負荷がかかるはず。」
目的地が見え始めた。早く決着をつけなければ、と自らの憎悪も含めてそう思う。
「ティキ!」
「うん!撃つよ!!」
ティキの十八番、剣の雨。もはや彼女の代名詞と呼べるほどまで洗練された魔法を行使して、敵陣の最奥、危険地域に真っすぐに飛び込んだ。
「やっぱり、前の戦闘は陽動だったか。その割には苛烈だったから、まさか、と悩んではいたのだけれど。」
空を飛ぶペガサスから降りたときに最初に聞こえたのは、敵首魁の独白するような軽い呟き。死屍累々たる惨状になった敵陣の中に、血まみれの兵たちに守られて、彼女はそこにいた。
「“清廉な扇動者”ユミル=ファリナか。」
「その名前で僕を呼ぶものがいるなんて、思っていなかったな。普通聖人会に関わる者は僕のことを“洗脳の聖女”と呼ぶはずなんだけれど。」
彼女は何かわかったかのようにそう呟く。
「ガレットが死んだと聞いていたけど、その分だとケイも死んだね。」
事実だ。だが、その事実に彼女が辿り着くまでの時間が、どう考えても短すぎた。
「どうして、って顔に出てるよ。シーヌ=アニャーラ。腹芸は隣のお嬢ちゃんの方が得意らしいや。」
早く殺した方がいい。本能的にわかった。
「止めておきな。僕を殺すと、聖人会すべてを敵に回すよ。」
「問題ない。どちらにせよ戦う必要があるからな。」
「ほう、どうしてだい?」
「冒険者組合と喧嘩をするんだろう、お前たち聖人会は。なら、僕も戦わないといけないだろうさ。」
それを聞いて、ユミルは信じられないものを見るような目でシーヌを見た。
「へえ、君が。クロウの生き残りが、冒険者組合に尻尾を振ったのかい?」
「俺が許せないのは、あの場にいて、仲間を殺し、殺されるのを見逃した奴らだ!」
「シーヌ!!落ち着いて、時間がない!!」
激高するシーヌをなだめようとするでなく、ティキは無理矢理乱入して言った。
ティキはこの流れが危険だと感じたのだ。何がとは語れない、彼女に乗せられているという感覚があった。
「君はどうしてシーヌの味方をするんだい?正直、あの場にいたわけでもない君が彼に手を貸すのはおかしいと思うのだけれど。」
「私はシーヌといたいだけ!!」
ハッと気がついて、跳躍しながら言う。ユミルの方に矢を投げながら、ティキは叫んだ。
「シーヌ!彼女の狙いは、バグーリダさんだよ!」
シーヌはそれですべてを察した。かけ始め、剣を抜き、ユミルの足場を崩そうと二度三度地面を揺らす。
「うわ、僕の話術が効かないなんて、相性の悪い嬢ちゃんだよ!!」
口笛を吹いた後にそう叫ぶ。体は既にその場から離れていて、シーヌやティキに戸惑いと危機意識を与えた。
「シーヌ。多分狙いは、一つじゃないよ。」
「わかっていた。が、つられてしまったな。助かった、ティキ。」
既にシーヌは復讐鬼としての仮面を纏っていた。それなのに、彼女の話につられてしまったのだ。
「魔法の気配は、微塵もなかった。攻撃されていると感じすらしなかったのに。」
無駄だとわかりつつもシーヌは反省し、再び大地を蹴る。彼女に戦闘能力はほとんどない。だから瞬殺できるはずであると、シーヌは踏んでいた。
「風よ、僕を逃がすんだ!」
彼女がそう言った瞬間、突風が吹いて彼女の体が宙に浮く。
シーヌは驚き、足を止めた。ティキも訝し気に彼女を見る。
「大地よ、敵を僕から遠ざけて!!」
今度はシーヌとティキの足元が、斜め後方に隆起した。斜めに伸び続ける岩の柱に、別方向からも岩の柱が伸びてくる。
衝突される前に、シーヌは魔法でそれらを止めようと試みた。大仰な口調ではあるものの、あれは魔法で操っているだけとあたりをつけて。
「操作できない?……ああもう!!」
シーヌはそれがどうしてかできないと気がつくと、すぐさま跳躍する。同時に彼の足元に、さっきまで乗っていたペガサスが駆け寄り、シーヌを乗せた。
ティキも空を飛んでシーヌの乗るペガサスまで移動すると、その背にヒラリと跨る。
「どうして魔法が大地に作用しない?」
「わからない。けど、彼女自身が魔法を使っているわけじゃないと思うよ。」
その彼女の予想は、おそらく正しい。シーヌは実際、あの動く大地に、彼女の意志を感じなかった。
「あれもう追いついてきたんだ。早いね。」
シーヌたちが彼女の元へ追いつくと、彼女はペガサスに乗って駆けていた。まだ駆け始めだから追いつけたものの、手遅れになっていたらと思うと恐ろしく感じる。
「知っての通り、僕は戦えない。できるのは人を洗脳して攻撃するくらいでさ。」
再びぺらぺらと話し始めた彼女に、飽きないのかなとシーヌは思う。
同時に後ろでもぞりと動く気配がした。ティキが何か対策でも立てたのだろうか。
「だから、こう言うね、お嬢さん。シーヌを殺してよ。」
「お断りします。」
ティキは即答した。その即答は、まるでユミルの行動を予想しているようだった。
「……どうしてだい?」
「あなたの声は、恐ろしい。復讐に憑かれたシーヌを復讐から解き放たせることが出来るかもしれないほどに。」
ティキが信じられないような、予想しがたいようなことを言った。シーヌが復讐にどれほど取り憑かれているかは、彼女が一番よく知っていように。
「ですが、読唇術に心得はあるから。声が聞こえなければ、問題はありません。」
彼女の洗脳技術は魔法とは関係ないものだとティキは思ったらしい。
「正解。すごいね、凡才程度の人間だったらすぐに洗脳できるし、天才でもたいてい時間をかければ洗脳できるのに、君にはかからないんだ。怖いよ、正直。」
ユミルは笑う。が、シーヌにとってはそれどころの話ではなかった。
「魔法を使わない、洗脳だって……?」
「生まれつきの体質だよ。話術にぴったりの声があったんだ。人の無意識に働きかけて、人を魅了するって言うね。」
恐ろしい才能だ。シーヌはさっきから、全く冷汗が止まらない。
「シーヌは無意識に、あの人に話させられてる。有意義な情報集めと、時間稼ぎのために。多分、洗脳しきるには時間が足りないんだと思うよ。」
その言葉を受けて、シーヌは怒りに目の前が黒く染まりかける。脚で馬腹を蹴ってさらに加速させようとして。
「お嬢さんがダメなら、仕方がない。ペガサスさん、彼をシトライアに連れて行ってよ。」
最悪のセリフが聞こえた。シーヌは慌てて鞍を蹴飛ばし、空中に作り上げた足場から彼女の方へと走りはじめる。
ペガサスはちょうどシーヌが下りた直後に反転し、ティキを乗せたまま反対の方へと飛び始めた。
遅れて、ティキがペガサスから転げ落ち、そのままシーヌのもとへ飛んでくる。
「ありゃ、二人とも飛べるんだ。失敗したなあ、じゃあ。」
次々と話し続ける。
「風よ、彼を斬れ。ペガサスよ、彼を振り切れ!!」
魔法を使っていないのに飛んでくる鎌鼬、急加速するペガサス。
「扇動者!!どうしてクロウの民を皆殺しにした!!」
「必要だったからだよ、シーヌ=アニャーラ!!この世にね、強者はいらない!」
叫び声。シーヌの問いに、絶叫するように彼女は言った。
「いいか、僕が冒険者組合を滅ぼそうとするのも同じさ!人間はもっと弱者に配慮しなくちゃいけない!!」
どんどん加速するペガサスに、足場を大量生産し体に魔法をかけて速度をあげることで並んでかける。
もう、御託はいい。魔法もいらない。最後の言葉を、ありとあらゆる元凶となった女の言葉さえ聞けたら、何もいらない。
「僕の夢は!強者と弱者という概念のない、すべての人間の手に負える世界だ!世界の理を歪められるような人間がいない世界だ!」
彼女は、言い募る。今際の際であることに気付いて、それを納得したくなくて。
「“奇跡”の研究?強者の多い街?それを倒すべく集まった強者?いらなかったんだよ、そういう御託は!!」
世界よ、シーヌ=アニャーラを殺し尽くせ!その叫びを無視されながら、それでも彼女は叫び続ける。
「あの時肝心だったのは、冒険者組合の要請に逆らえない人間が大勢いたという事だ!」
「その冒険者組合が恐れる街があったということだ!」
「いずれ弱者になる強者が、いずれ強者になる弱者を滅ぼす図式!それは、強者という概念が無ければ成立しない!魔法が、“奇跡”が、“三念”が!なかったら、成立しない図式なんだ!!!」
それを聞いて、シーヌは、彼女を哀れに思った。自分がやったことは、目的にとって過程でしかないと、彼女は言った。
「いずれ僕はこの世界から魔法という考えそのものを消し去ってやる!わかるか、シーヌ!それが出来れば、クロウの悲劇は、虚構の恐怖に支配されて殺される人々は、もう誰もいなくなる!!」
彼女の乗るペガサスの翼を斬り落とした。痛みと落下する恐怖に暴れまわるペガサスから体を放し、彼女は風に頼んでシーヌから離れようとする。
「無理だ、ユミル=ファリナ。その図式は、決して成立しない。」
魔法を知る人間をすべて殺さなければ成立しない夢。それは、世界全ての人を殺すに等しい。
「差別や戦争を、人が決してなくせないのと同じ。それは、人類すべてが死滅しないと叶わない。」
それは、憎しみの連鎖にすでに身をゆだねたシーヌだから言えること。そして、その連鎖に身をゆだねた彼女が主張していなければおかしいこと。
「ユミル=ファリナ。見果てぬ夢を見た女の子。」
ティキが呟く。まだ16歳の彼女の倍近い年齢をしたユミルに『少女』とはおかしい話だが、彼女の夢はとても子供らしいものだった。
「あなたの想いは、聞きました。でも、それは決して叶わない。」
そう言うと、ティキはシーヌに目くばせする。
「……あ。あーぁ、死ぬのか、私。」
ユミルの目から光が消える。生きようという願いも、まだ目的を果たしていないというその悲しみも。今まで一度も手を汚さず、されど死を身近で見てきた彼女だからこそ、知っていた。
「本当に死ぬなら、それまでなんか意味ないよ。『死ねば、ただの屍』だもの。」
彼女は最後に、そういった。死ぬ瞬間まで、己の人生を走馬灯として見つめながら。
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