10.憤怒と憎悪
ティキの持つ技術は、シーヌの予想をはるかに超えて優秀だった。魔法の威力に関しては、さっきドラッドが言っていた通り弱く、シーヌに分があるともいえるだろう。
「……意外とスマートだったね。」
「そうか?お前、あの女の実力、考えようとも思わなかったんじゃないか?」
デリアに言われて、シーヌは自らの視野を狭めていたことに気付いた。当然だ、彼は庇護対象としてティキを見ていたのだから。
会ってからそう時間が経っていないのに、ティキについての判断をさっさとしてしまった失敗を、シーヌは反省する。
同時に、人との関わりの少なさが露骨のせいかな、とひとりごちる。
アリスに近づいていくデリアに後からついていきつつ、ティキの扱いについてシーヌは頭を悩ませる。
もしかしたら彼女といる限り、ずっと悩まされるかもしれない。性格、魔法技術。ティキという人間。
シーヌには理解しがたいほど、彼女はちぐはぐな存在だった。
「アリス、お疲れ様。」
デリアが少女に声をかけた。彼女はその声にパッと表情を明るくすると、飛びついて抱きつく。
「デリア!ちゃんと出て来られたんだね!」
きっと、戦闘が始まる前の段階で、デリアがガラフとずっと戦い続ける可能性も考えられていたのだろう。
彼女にとって一番いい形で再会できたことに、彼女は非常に喜んでいた。
「……シーヌ、どうしたの?」
ほんの数分離れただけで、再会を情熱的に行える二人を見て、シーヌは嫉妬の念を抱いた。
恋人ではないティキにそんなことを求めるのは間違っている、とはわかっていたが、それとこれとは話が別だ。
「いや、何でもないよ。ティキって、思っていたより強いんだね。」
「そうでもないよ。だって威力は追いついてきてないもの。」
ドラッドにも言われたことだが、彼女がそれを気にしているようには見えなかった。
「昔から言われているから、あまり気にしていないんだけれどね。想像力だけなら十分攪乱に使えるし。」
それだけではないのだろう、とシーヌは感じた。彼女の想像力=技術力は圧巻の一言に尽きる。ドラッドのような一つの想像と意思=強度ですべての技術を押し潰せるわけでもない限り、負けることはまずありえない。
「訓練施設で戦ったフェーダティーガーも倒せたんじゃないの?」
「多分できると思うけれど、初見では慌てている間に殺されてたかも。」
それを聞いて、やはり経験が浅いと実力を十分に発揮できるわけではないんだ、とシーヌは感じた。
シーヌはティキがきちんと、もしも一人で取り残されても自分が助けに行けるまで生き残れるようにする必要性を、改めて実感させられていた。
しかし、今は試験中である。試験の間にもある程度は強化できるかもしれないが、十分といえるほど強化はできないかもしれなかった。
「シーヌさん。」
悩むシーヌに、この四人の中でシーヌが一度も話したことのない相手がシーヌに声をかけてきた。
デリアの相棒の、赤組の少女。シーヌより威力の高い魔法を使える才女。アリス=ククロニャ。
「最後の黄色い魔力弾、あれはあなたが放ったものですか?」
傭兵にとどめを刺した一撃について、話をするように求められた。
シーヌは真っ先に、倒れた傭兵の容態を確認した。死んでいるか生きているかを見る必要があったからだ。
「ここからすぐに離れよう。今ここに居続けるのはまずい。」
シーヌは傭兵を診てすぐ、そこから離れる決断をした。デリアとアリスは顔を見合わせつつシーヌに従い、ティキは当たり前のようにシーヌの手を握ってとことこと後をついていく。
可愛らしいその仕草の、どこまでが彼女の無意識なのだろうか、シーヌは頬を緩めた。
「あの魔力弾は僕が撃ったものではない。」
しかし、すぐさま真顔に戻ると、シーヌは確かな事実から言った。それは間違いない。
ティキが自分で金のカードを盗めたことに驚いていた彼は、そんな攻撃をするという余裕がなかった。
「あの魔力弾は、きっと倒された傭兵の運動能力の停止を目的としたものだと思う。あの傭兵、意識があった。」
次に、さっき診た傭兵の状態について説明する。彼の目は全然死んでいなかった。動けたらお前たちを殺してやるのに、と瞳で語っていた。
いつ動けるようになったかわからないから、彼はその敵から離れる道を選んだ。また戦闘になる手間をかけることを惜しむかのように。
「……シーヌ、この金のカード、どう思う?」
ティキは自分が奪い取った金のカードをシーヌに差し出した。彼女の動作を見ていたアリスが、慌ててティキの腕を止めようとする。
「……裏切りがアリな試験だってことは伝えたよね?このまま盗んでいくとは思わないの?」
カードを受け取らないまま、シーヌはティキに聞く。彼女がどう答えるのか、シーヌはすでに薄々ながら察していたが、聞かないといけなかった。
「シーヌは裏切らないでしょ?信じているから大丈夫。」
やっぱり、と思う。人を信じるのが速すぎる、とも、信じてくれてありがたい、とも彼は感じたが……
「ちゃんと裏切られる心配もしておいてよ、頼むから。」
念を押した。誰でも信じたりされては敵わない。人を信じるにしても、無条件で信じるには世の中は危険すぎるのだから。
しかし、ティキの方も確信をもってシーヌを信用していた。
チェガとの会話で聞こえていた、シーヌがティキに惚れているという事。そして、今はまだ、ティキを切り捨てる場面ではないという予想。そして、二人で合格させるという彼の今回決めているらしい条件。
それだけの理由から、今の彼はまだティキを切り捨てないだろう、という確信を持っていたのだ。
事実、シーヌにはまだ、ティキを切り捨てるつもりはない。転がり方次第で一度置いてけぼりにしないといけない、という考えはあった。しかし、彼女が思った以上の実力を見せたことで、その可能性もかなり低くなっている。
「……わかった。ありがとう。」
彼はとりあえずティキに礼を言う。
ティキがそこまで見抜けていることには、何の驚きも覚えていない。シーヌはあくまで魔法使いだから、判断基準が魔法に寄りすぎているのだ。
ティキの主張に納得してすぐ、金のカードを手に取る。顔の上に掲げつつ、何かの痕跡を探すように自分の意思を纏わせ始めた。
そのまま彼は、数十秒ほど動かなくなっていた。
「何がある?」
じっと黙って動かないシーヌに、デリアが急かすように声をかける。それを聞いて、今が状態なのかをやっと思い出したのだろう。シーヌが顔を上げて全員の顔を見た。
「条件付けの魔法発動だ。魔法をかけていない他人から他人に強奪された場合に発動する麻痺魔法。」
シーヌは瞬時にそこまで読み取り、そこまで意思を残留させた事実に驚愕して固まっていたのだ。
「……常駐型の魔法は存在しないんじゃ?」
アリスが何を言っているの?というふうに尋ね返す。
「……条件を決めれば、残留思念として魔法を発動できるよ。『敗北したふがいない部下に罰を与える』とかね。」
しかし、眠っている間とかは魔法を発動できないし、睡眠場所の安全を守るための結界なんてものは、起きている間しか張れない。
冒険者組合の研究者が、常駐型の魔法の開発に取り組んでいるが……
「魔法が僕たち術者の想いや意思でしか発動できない以上、常駐型の魔法は不可能だから、これは常駐型の魔法ではない。」
定められた条件の下で発動できる、極めて例外的な魔法技術だよ……とシーヌはかたり、ギリっと歯を鳴らした。
「……シーヌ?」
ティキはまだ見たことのないシーヌの表情に疑問を浮かべる。
怒りの表情は、ティキが初めて見たものだ。まだ二日間しか一緒に生活してはいないが、彼のそれを見ることそのものに、ティキはとても驚いていた。
(「シーヌはとても暗い過去を抱えていてな」)
チェガの言っていた言葉が頭に響く。その暗い過去が、シーヌの表情を怒りに染めているのではないか、とティキは予想した。
事実、その通りではある。しかし、シーヌがその表情を浮かべたもっと大きな理由は、シーヌの過去以外にもあった。
「ドラッド=アレイ……‼」
怒りの念だけではなく、声まで出ていた。あぁ、こいつは危険な奴かもしれない。デリアはシーヌの怒りを見て妄執に近いものを見て取った。
アリスはその感情の発露に頼もしさを覚え、ティキは初めてシーヌに恐怖を感じた。
もしもこれゆえに自分が置いて行かれるのなら、それに文句をつけるのは難しい。いや、つけようと思う方がおこがましい。ティキはついついそう思った。
「『それ』が、お前が副団長を狙う理由か?」
シーヌはデリアの一言に対して、彼の予想外の言葉を告げた。
「いや、僕が狙うのはガラフ傭兵団副団長のドラッド=アレイではない。」
それはデリアの質問の答えにはなっていない。なってはいないが、デリアにそこを追及させないだけの価値を持つ言葉だった。
しかし、デリアが言葉をのんだ理由を知らない、世間知らずが一人。
「どういうこと、シーヌ?」
ティキ=アツーアという、シーヌの、あるいはガラフ傭兵団の過去を知らないものがいた。
沈黙が場を支配する。シーヌは話すべきか否か、デリアとアリスは止めるべきか否か、真剣に迷っていた。
しかし、長い沈黙は、ティキに何か失敗したことを悟らせる。彼女も少し目が泳ぎ、よくわからない雰囲気ができていた。
最初に沈黙を破る決意をしたのはアリスだった。沈黙しているわけにもいかない、と。
しかし、先に沈黙を破ったのはシーヌだった。アリスが言葉を選ぶ間に、シーヌは話すことを決意した。
彼は彼女にいつか話すこと、と割りきった。だから、部分的に情報を開示することにした。
「副団長を狙うのは、彼を倒せば後々の活動が楽になるからだ。」
まずは建前を。そして、デリアへの回答を。
「ドラッド=アレイを狙うのは、僕の私怨。僕が絶望させたいのは、シキノ傭兵団団長、ドラッド=ファーベ=アレイだ。」
次にシーヌははっきりと、ティキに対して自らの今回の目的を告げた。
ドラッド=ファーベ=アレイ。シキノ傭兵団を率いた団長で、決して傷つかない魔法を得意としていた。
その魔法能力は優れたものはない。しかし、その強固さは極めて強く、こと野戦においては世界で上位五百人ほどには入る、という、1傭兵としては極めて高い魔法評価を得ていた。
しかし、とある戦争参加の依頼で、その評価は一変する。
ただ一つの街を、複数の国家が取り巻きその研究成果を消し去らんと戦争を起こしたときの、その戦場。
そこで彼は、自身の享楽に酔い、虐殺を楽しんだ。
実態はそんなに生易しいものではない。あの日の彼は、とんでもない悪魔に見えたとシーヌは思う。
奴等さえいなければ。シーヌはいまでも、それを夢想してやまない。
後に、そこから起こった惨劇は、『歯止めなき暴虐事件』として知られるようになり、シキノ傭兵団はその引き金として語られることになった。
街の騎士団の壊滅。彼らがやった最初の惨劇を、きっかけとして。
なぜかその時に、ドラッドの右脚が斬られて失ったという情報があり、その時に『隻脚の魔法師』のあだ名を得ることになった。
ドラッド自身は右脚を失っていることを認めず、今は右脚があるために、真偽のほどは闇に葬られている。
シキノ傭兵団の面々は『歯止めなき暴虐事件』の引き金を引いた、その世間からの風当たりを受けて傭兵団を解散。
世間ではシキノ盗賊団と名を変えて、これまでの傭兵団としての評判を、をさらに悪評で塗りつぶすことになる。
それを受けて、冒険者組合はシキノ盗賊団を粛正することを決定した。
民草に対して行う暴虐、目に余る、と。
当時新米傭兵団だったガラフ傭兵団に討伐を要請、多額の報酬を支払ってシキノ傭兵団全員の捕縛、および団長ドラッドの殺害を命令した。
ガラフ傭兵団はその要請を一度受諾、意気揚々とシキノ盗賊団を滅ぼしに行き……結果として、ガラフ傭兵団は冒険者組合の依頼を踏み倒した。
そこで何があったのかは、傭兵団と盗賊団のメンバー以外は知らない。しかし、シキノ盗賊団はガラフ傭兵団に吸収合併、盗賊団の持つ莫大な富と実力者を、その組織内に抱え込むことになった。
ガラフに『金の亡者』というあだ名がついたのは、この時に受け入れた莫大な富が、のちにより高い報酬を呈示したものに付くという傭兵らしい在り方と混同された結果だと、理解あるものは知っていた。
これが、ドラッド=アレイにまつわる話である。シーヌは彼らに、「シキノ傭兵団団長のドラッド=ファーベ=アレイが狙いだ」と宣言した。
ガラフ傭兵団副団長のドラッド=アレイでも、シキノ盗賊団のドラッド=ファーベ=アレイでもない、シキノ傭兵団のドラッド=ファーベ=アレイだと。
その意味を、デリアとアリスは理解した。彼の行く道が、何であるかも。彼が何のために生きてきたのかも。
ティキはそれを理解していなかった。わかっていなかった。デリアとアリスは、なかば本能的に、ティキがシーヌのそばにいることに、不安と安心を同時に覚えさせられた。




