1.卒業
魔法とは、理屈では説明できない奇跡のことである。魔法を最初に使った英雄は、世界中の人々にそう語ったと言われている。
僕にとっての魔法は、今は君だけが持っている。シーヌ=ヒンメル=ブラウがかつて彼の妻に言ったとされるこのセリフは、後世まで語り継がれ、ロマンティックな少女たちが一度は言われたいセリフとして定着していた。
そのシーヌ=ヒンメル=ブラウが生きた時代、魔法とは奇跡ではなく、かつての英雄のセリフはおとぎ話の中のセリフでしかなかったという。
のちに最高の美王妃と語られた、彼と同じ時代に生きた女性は、手記のこう書いた。私たちにとって魔法とは、奇跡の手を離れた技術であり、本当の魔法を知るものはいなかったのだ、と。
これは、魔法がまだ、技術であった時代の、シーヌと妻の物語である。
ざわめき、落ち着きをみせない一つの部屋。多くの十六になった少年少女が、ここでは最後になるであろう話を楽しんでいた。
「今日で卒業していく皆さん、まずは卒業、おめでとうございます。」
教壇に立つ教師。落ち着きを取り戻していく生徒たち。生徒たちは皆均等に黒に近い灰色の髪をしていて、ようやく幼さが抜け始めた顔立ちをしている。
今日は、デイニール魔法学校で卒業式を迎え、そして今は、その式が終えていた。
「皆さんを祝福する前に、一つ、最後の授業があります。」
教師の発言に、部屋が完全に沈黙する。魔法技術を習い終え、もう一人前の魔法使いになったと信じている彼らには、最後の授業なんて言われても受けたいとは思えない。
「社会に出ていくための復習だ。先生を安心させてくれ。」
ブーイングが起きることを察知した、というよりかは前年ブーイングをされた教師が、機先を制して、建前を使って一度なだめた。
そんな発言でなだめきれるわけがないのだが、それでもブーイング自体は起きない。それは、その教師の人望を示している。
「チェガ。魔法を使うにあたって、基礎となる大切なことを三つ、答えろ。」
有無を言わさず命令するかのように指名した。場の空気を見るに、話を先に進めるべきだという判断のもとで。
正面で、真っ先に我に返り文句を言おうとした生徒に疑問をぶつける。チェガと言われた生徒は一瞬、押し黙って考えた。
「一つ目は、想像力。二つ目は、意志をしっかり持つこと。三つ目は……わかりません。」
わかりません、の部分は、かなり沈んだ声で言った。
卒業をして、もうこの部屋を出れば自分たちは生徒ではなくなる。そんなときに、質問されたことに答えられなかったことを、チェガという生徒は悔しがった。
一つ目と二つ目ははっきりと覚えているだろう。何度も何度も自分で実践させてきたし、してきただろう。しかし、3つ目は全く頭に浮かんでこないのは当然だ。教えていないのだから。
まだ覚えられていないことがあるという屈辱が、彼には許しがたいことのように思えたことが、教師にはわかった。自分も経験のあることだった。
「ええ、答えられないでしょう。先生も、教えたことはありません。」
チェガが恨めしそうな目で教師を見つめる。他の生徒もまた同様だった。六年間、この学校で魔法技術を学んで、まだ知らないことがある。教えられていないことがある。それは、生徒たちにとって受け入れたくない事実であったから。
なぜなら、ここは魔法が上手くなるための、自分たちのための学校だったはずなのだから。
6年で、多くのことを学んだ。そう生徒たちは思っている。しかし、知識だけあっても人生が成功するわけではないことを知っているのは、この中のいったい何人か。ほんとうに大事なこと、魔法にとって最も大事なことを知っているのは、どれだけか。
16歳という年齢は、人生について身をもって理解するには非常に足りない年齢である。
そんな中、落ち着いた眼でその様子を眺めている生徒がいた。彼は、三つ目の答えに心当たりがあったから、とても冷静でいられたようだ。
その三つ目は、そう簡単に得られるものではない。そう簡単に、見つけ出せるものではない。
得て初めて、その存在を認識できるものだ。
彼はそれだけの何かを見てきたのではないか、というのは、この教師が1年この生徒を見てきて思ってきたことである。
「一つ目の想像力。魔法使いは、この想像力で魔法を形にしています。二つ目の意志力。これが、魔法の強度を定めます。」
教師が右手で炎を見せる。想像力の説明時に炎を鶴に変化させ、強度の説明で炎の密度と勢いを上げる。
「先生は、三つ目の答えを、教えません。皆さんの将来への、宿題とします。」
社会に出て働いていく生徒たちに、教師は笑って言った。
「大丈夫、ちゃんと考えていればいつかきっとわかりますよ。だから、必ず答えを導き出してください。」
教師は、自分が生徒たちにとっていつまでも先生であり続けることを望んで、生徒たちがまだ知らないことの答えを言わない。
この解答は、自分で導き出した答えではないと、意味のないものであることを、教師はよく知っていた。
もっと教えたいことがあった。しかし、ずっと彼らの教師でいては、いけない。教師は、特に魔法の教師は、子供たちの思想に多くの影響を与えすぎてはいけなかった。学生から真っ直ぐ教師になるような、社会を欠片も知らないものが、皆無能であることと同様に。
知りすぎたものが、それを知らないものに素直に教えて、絶望させてはいけないのも、知っていた。
「さあ、皆さん。卒業しましょうか。」
全員に立ち上がることを促す。全員の顔を見る。この挨拶の後、もうこの教師は彼らに会うことはほとんどない。
卒業していく生徒たちは、素直に従う。しかし、すぐさま動き出したりはぜずに。おそらくは取り決め通りに、一人の女の子の発言を待った。
「先生、今日までありがとうございました!」
「「「ありがとうございました‼」」」
その後に続いて、皆が唱和して、生徒はみんな帰っていく。生徒同士では、またいつか会おう、とか、結婚してくれという叫びもある。今日が最後に会う人も、当然この中にはいるだろう。教師はその光景を目に焼き付ける。
このメンバーが再び揃って教師の前に姿を見せる日は、もう二度とない。
教師は、教室を出ていく前に、いまだに泰然として椅子に座っている生徒をチラリと見やって、何を言うでもなく教室を出ていく。そのすぐ後で、チェガが大声でずっと落ち着いていた生徒に話しかけた。
「おい、シーヌ!おまえ、冒険者組合の試験、まだ行ってないのか?」
教師は教室内から響いてきたそのセリフに満足して、時間を確認して少しだけ安堵して、教師はゆっくりと卒業生たちの間を縫って帰路についた。
「おい、シーヌ!おまえ、冒険者組合の試験、まだ行ってないのか?」
チェガの叫びに、生徒たちの中で唯一、水色に近い髪の色をした少年が振り返る。彼の特徴は、髪の色よりもむしろ瞳の色だろう。彼は空を彷彿とさせる瞳を持っていた。
「うん、今日から最終試験だよ。」
彼は笑ってそう答える。チェガの質問の意図はそういう意味ではなかったのだが、だからこそその態度がチェガの話の出鼻を挫いた。
シーヌと呼ばれたその少年は、今日、自分の人生の岐路に立つことになっている。だからこその声掛けなのだが、何のことかわかっていないようだ。
チェガはなんとなく話を変えて少年と意思疎通を図ることにした。
「第一、冒険者組合の試験ってなんであるんだ?冒険者になろうとするなら受け入れればいいだろうに。」
そうチェガが少し怒りを込めて呟く。彼はその冒険者組合に、一次試験で落選していた。
「基本的に、名前が売れた人の寄り合いのためのものだから。名が知れていない僕たちを受け入れるのは厳しいからね。特に若い僕らなら。」
冒険者組合は、古くからあった。名のある冒険者たちが、手に入れたいらない宝や情報などの交換をするためだけに、最初は作られた機関だった。今でこそ、名の知れた傭兵や研究者もその機関の中に入っているが。
傭兵や研究者が冒険者組合という少し場違いなところに所属し始めた理由は、『新しい風を受け入れる』ためである。
あるいは、国や世界から完全に隔離されたルールのもとで活動しているからである。
しかし、冒険者であっても名がないものを受け入れない姿勢を崩さない組合は、傭兵や研究者にもその『名のある』もの限定の姿勢を崩さなかった。
学校卒業直後の少年少女の受け入れは、『新しい風を受け入れる』一環だが、同時に『名のある』ものを受け入れるという本来の決まりは破れない。それにより課されたのが、組合員における試験だった。
「……まあ、いい。お前、受かる自信があるのか?」
チェガが、落ちた事実を受け入れたくないという思いを脇において、最終試験まで残っている友人に尋ねる。
組合員の門は狭く、一年に4,5人しか通らない。そんな中での試験なのだから、シーヌが最後まで残っているのはその才能と努力の結果である。そうチェガという少年は信じていた。その努力を、最も身近で見てきてもいる。
「まあ、ここまで来たしね。受からないといけないよ。」
少し頼りなさげな声で、彼は答える。その頼りない声の中にも、少しの自信が垣間見えた。チェガはその自信を頼もしいと思うと同時に、一つ肝心なことを言わなければならなかった。
「いや、それならよ、時間、大丈夫なのか?卒業式の終了と同時に出発するとか言っていなかったか?」
チェガが時計を確認しながら聞いてきて、慌てて少年の方も時間を確認した。
「ヤバイ、ギリギリだ。」
ほとんど感情のこもらない声で少年が呟く。それが、シーヌが冷静さを一瞬失った証拠だとよく知るチェガは、慌てて彼の前から一歩引く。
いままでシーヌが冷静さを欠くと、大概面倒くさい事態になってきたからだ。例えば水筒をひっくり返して、後始末は自分に押し付けられたりとか。
シーヌはチェガが反応できないような速さで立ち上がった。その衝撃でチェガの髪が一瞬逆立つ。
「じゃあな、チェガ、行ってくるよ。またパン屋で会おう。」
そう言って走り出す。茫然となりかけていたチェガが、彼の行動で椅子が壊れたりしなかったことに安堵しつつ「絶対受かって来いよ!」と叫んだが、その時にはもう少年は教室の中にはいなかった。
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