第136話 獣人の王子とエルフの王女(上)
馬車は丸一日走りとおした後、夕焼けに染まった荒野のまん中で、ようやく停まった。
「い、痛たたた……」
客車から降りた俺は、そっと自分のお尻を撫でた。長い間、振動で下から突きあげられ、お尻の皮がむけそうだった。
「だらしないのう、グレン坊は」
マールが、白く輝く杖の先で、俺の腰に触れる。
痛みがすうっと引いた。
「賢者様、ありがとう」
「ふう、都合のよいときだけ、尊敬の視線を向けるでない」
マールは、やれやれといった感じで、白いアゴひげを揺すった。
「今日は、ここで野宿だよ」
全く疲れの見られないラディクが、みんなに声をかけた。
「テントに寝るんですか?」
「そうだよ、グレン君。
外で寝るのは気持ちいいぞ。
さあ、テントの設営を手伝ってくれ」
ずっと御者役をしてくれていたゴリアテと、まだ元気がない白ローブを除き、テントを組みたてる。
「あれ、これってタープテント?
天幕しかありませんね」
「グレン、贅沢言うでない。
夜露に濡れぬだけ幸せに思え」
長旅で疲れているのか、ルシルは機嫌が悪い。
三つ並べて張られた天幕の下に皮のようなものを敷き、その上に帆布っぽい布を敷いてテントは完成だった。
みんながぞろぞろ天幕の下に入り、くつろぎだす。
「グレン、あなたと私は食事当番だって」
近づいてきたミリネは、かなり疲れた顔をしていた。
「簡単なものなら、俺だけでも大丈夫。
ミリネは横になっておくといいよ」
「そう?
じゃ、お願いする。
ありがとう」
◇
俺が適当に作ったスープのような夕食は、あまり評判が良くなかった。
ただ、お腹は満たされたようで、みんなごろりと横になり寝てしまった。
起きているのは、最初の見張り当番であるルシルと俺だけだ。
テントから十メートルほど離しておいた焚火の横に座る。
椅子は、食材が入っている木の樽だ。
「ルシル先生、ミリネがガオゥンの娘ってどういうことです?」
テントまで声が届かないよう、小声で尋ねてみる。
「しいっ!
ミリネに聞かれたらどうするつもりじゃ、このマヌケ!
ただ、これからの事を考えると、お前は事情を知っておいた方がよいじゃろう」
「事情?」
「ああ、前獣王のガオゥンが、なぜあのような場所に幽閉されておったか?
そして、なぜゴリアテがミリネを娘として育てたか?
お前も知りたいじゃろう?」
「ええ、それは、まあ」
「かつて獣人国と森の国には、それぞれ見目麗しい皇太子と王女がいた。
それほど仲が良くない両国のこと、この二人が出会うことなど、まずないはずだった」
燃えている薪を細い木の枝でつつきながら、ルシルは物語風に語り始めた。
揺らめく焚火の炎が、彼女の顔に陰を作った。
「ある日、両国の国境近くで狩りをしていた皇太子が、魔狼の群れに襲われ、仲間とはぐれた彼は、一人、森をさまようことになった。
その森は暗く深く、食料も水も尽きた皇太子は、ぼんやりと大木の根元に横たわっていた。
通りかかった男がそんな彼を見つけ、助けを呼びに走った。
近くで薬草摘みをしていた一団が、彼のところへやってきた。
薄れゆく意識の中で、獣人の皇太子が目にしたのは、信じられないほど美しいエルフの少女だった」




