第11話 奇跡の代償(下)
昼食の時間帯に向け食堂で準備をしていると、突然戸口から白ローブの女性が飛びこんできた。
「ゴ、ゴリアテさんは?」
あ、この人、ミリネが治った時、シャーリーさんと一緒にいた教会の人だね。
キッチンの中で働いているゴリアテさんに声を掛ける。
「ゴリアテさん、お客さんですよ」
「忙しいときに誰だ?」
白ローブの女性は俺を押しのけ、キッチンへ入っていく。
何か急ぎの用らしい。
彼女はゴリアテさんの耳元で何か伝えていた。
「ほ、本当か!?」
ゴリアテさんが、すごく驚いている。
「グレン、表の扉を閉めろっ! つっかい棒を忘れるな!」
俺はすぐ言われた通りにした。
その途端、扉が叩かれる。
「開けてください。教会から来ました。シャーリーです」
扉の向こうで、そんな声がする。
「グレン、お前、冒険者登録したって言ってたな?」
ゴリアテさん、なんで今そんなこと訊くんだろう?
「これからすぐミリネを連れてこの街から逃げろ! そうだな……東へ向かえ! 街道はなるべく避けるんだぞ。クレタンって街があるから、そこへ行け。ギルドマスターに会って、俺に言われて来たって伝えろ。急げ!」
表扉を誰かが強く叩いている。
「誰かいないのか? 教会の者だ!」
今度は男性の声だった。
それを聞いたゴリアテさんが奥へ走る。彼はすぐにミリネを連れ、食堂に戻ってきた。
寝間着だろう白いワンピースを着たミリネは、今まで寝ていたのだろう、まぶたを擦っている。
「お父さん、どうしたの?」
「話は後だ! すぐに裏口から出て、クレタンへ行け! なるべく人に見られるな! 名前は変えておくんだぞ」
ゴリアテさんが、手に持っていた袋を俺に押しつける。
「だけど、父さん、なんで――」
「ミリネ、頼むから言う通りしてくれ! グレン、急いでくれ!」
俺はミリネの手を取ると、キッチンを通り、裏口の扉から外へ出た。
壁伝いに裏路地へ抜け、そのまま走る。
「グレン、痛い!」
「ご、ごめん」
手を強く握りすぎたらしい。
「あっ、ミリネ、裸足じゃない!」
グレンさんからもらった袋の中を見たが、靴は入っていなかった。しかし、恐らく硬貨が入ってるだろう、ずっしりと重い革の小袋はあった。
「仕方ないじゃない! 寝てたらいきなりだもん」
しょうがない、まずは靴を買うか。
「ミリネ、靴を売っているお店に行くよ。なるべく人通りがない道を選ぼう」
俺はミリネの手を取ると、裏路地を早足で歩きはじめた。
◇ ― 枢機卿 ―
長い事待って、やっと宿屋の扉が開く。
そこには、筋肉の鎧を着た大男がいた。
「事故でケガをした娘に会いたいのだが」
「あんた、誰だ?」
「こちら帝都の教会からいらっしゃったセラノ枢機卿です」
巫女シャーリーが、男に私の名を告げる。
「枢機卿? そりゃまた、えらくお偉い方が出張ってきたな。娘は寝てるぞ」
「そうか。申しわけないが、すぐここに連れてきてくれ」
「何のためだ?」
「ここで奇跡が行われた疑いがある。その場合、教会が調べるのが決まりだ」
「なるほどな。まあ、そんな決まり、信者でもない俺が従う必要もないが、とりあえず娘を連れてこよう」
大男は急ぐ風もなく奥へ入っていった。
あの男、無礼千万だ! 教会に対する尊敬の念はないのか?
「奇跡はどこで行われたのだ?」
娘が来るまでに、シャーリーから情報を聞きだしておこう。
「奇跡が起きたとはっきりしていませんが、私が彼女の治療をしたのはここです」
シャーリーが、木のテーブルを指さす。
「こんなところで?」
「はい」
男が奥に入ったまま出てこない。
「どうした? なにかあったのか?」
奥へ声を掛けても、返事が返ってこない。
私は意を決して、そちらへ向かおうとした。
突然姿を現した大男のぶ厚い胸板に行く手を阻まれる。
「娘は散歩に出たようだ」
「散歩だと?」
「ああ、あの子は、朝起きると散歩する習慣があるんだ」
朝だと? もう昼近いぞ。この男は信用できぬな。
「どのくらいで戻ってくる」
「すぐだと思うが――」
「ここで待たせてもらう」
「勝手にしろ、だが、そこは邪魔だ。カウンターの端にでも座ってろ」
男の口調には、全く教会に対する敬意が感じられない。このような片田舎では仕方ないことかもしれないが、この街での布教には、もっと力を入れるべきだな。
……。
……。
……。
店が客でいっぱいになっても娘は帰ってこない。もしかして、逃げられたのか?
私はこのことを神殿に伝えるようシャーリーに命じた。
どうせ逃げきれるはずはないのだ。教会の手は長く、どこまでも届くのだ。奇跡を受けた娘は、奇跡を起こしたかもしれないシャーリー共々教会本部に「住む」べきなのだ。




