最終話
降り注ぐ穏やかな木漏れ日の中、静かに両手を合わせて
ナキアは祈りを捧げる。
精霊の声と共に、かすかに語りかける聞きなれた優しい声に
目を閉じながらナキアは微笑を浮かべた。
カリ・ヒ様……
― 巫女の暮らしにはもう慣れたか ナキア?
ナキアがこくりとうなずくと
― ミヤナはやさしくしてくれるか?
尋ねる声に、わずかに曇らせた表情になった。
ミヤナに冷たくされているわけではなかった。
しかしカリ・ヒの乳母であったミヤナにとっての
唯一人の『聖なる巫女』はカリ・ヒだけなのだ。
今でもカリ・ヒの事をミヤナは忘れたことはない。
だがそれはミヤナだけではなかった。
マウリ島が大波に飲まれてから、すでに二年の月日が流れ
島が随分と復旧した今でも島民たちの心の中にはカリ・ヒが住んでいた。
巫女としての最期の務めを果たし大波に姿を消したカリ・ヒを
誰もが聖なる巫女姫として讃えた。
カリ・ヒから受け継ぎ、ナキアが巫女となった現在でも
島民達は幼いナキアの背後に在りし日のカリ・ヒの姿を重ねて見ていた。
『カリ・ヒ様、悪魔の子として生まれ故郷を追われ
嵐に巻き込まれて、この島に流れ着いた私にやさしくしてくれた
貴女のご恩は決して忘れません。
でも、未だに声を出す事の出来ない私にカリ・ヒ様の跡を継ぐのは
あまりにも大きすぎるのです……
カリ・ヒ様は偉大すぎます。私はこの先、どうしたらいいのか……』
心の中で語りかけるナキアに、カリ・ヒは答える。
― 何もわたくしのようにすることはない。
おまえとわたくしとでは持っている力が違うのだから。
おまえはおまえの出来る事をすれば良いのです。
そしておまえを新しい巫女に選んだのは精霊達。
その意味を考えて行動するのですよ。
そこまで語りかけると、カリ・ヒの声は急に遠のいた。
― いつまでもわたくしの魂は、精霊と共におまえのそばにいます……
という言葉を最後に残して。
さわさわと耳元を渡っていく海風に乗って、遠くからミヤナの声が聞こえる。
しきりにナキアの名を呼びながら近づいてくる声に、ナキアは
『ここにいます』と念じてみた。
それはナキアにとって初めての試みだった。
今まで姿なき精霊たちと言葉を交わすことはあっても
生身の人間に言葉を念じて送ることはなかった。
これはナキアにとっても、ひとつの賭けであった。
もしも自分の念じた言葉が相手に伝えることが出来たのなら
巫女としての役割を果たすことが可能になるのかもしれないと
幼いながらもナキアは考えた。
しばらくして姿を現したミヤナは、呆然とした面持ちで
「ナキア様……、今、ここにいるとおっしゃいましたか」
と尋ねた。
こくりとナキアがうなづくとミヤナは
「ああ、なんということでしょう。私は今までナキア様のお力を信じておりませんでした」
跪きながらナキアの手を取り、涙ぐんだ。
「どうかお許し下さい。私は今までカリ・ヒ様のことばかりを思い浮かべて
貴女様に向き合うことをしませんでした。私が間違っておりました」
『自分を責めてはいけません。それだけカリ・ヒ様を愛していたのでしょう』
頭の中に響いてくる声に、ミヤナは顔をくしゃくしゃにして泣いた。
ミヤナの胸には初めて霊力に目覚めたカリ・ヒの幼い頃の姿が蘇った。
『ミヤナ、わたくしはまだカリ・ヒ様には遠く及びませんが
わたくしを助けて支えてくれますか』
そう聞くナキアに、何度もうなづきミヤナは立ち上がると
「心をこめてお仕えさせていただきます。聖なる巫女よ」
涙を拭いてもう一度ナキアの小さい手を取った。
「さあ、ナキア様、参りましょう。島民たちが待っております」
― 終 ―