雨。ときどきハゲ
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そんなBB弾みたいな、生易しいもんじゃなくって。
もっとこう…容赦ないマシンガンみたいな。
怒涛の唸りをあげるガトリング砲みたいな。
いっそのことそんな雨が、この地表の全てを蜂の巣にしてくれたらいいのに。
そんなことを考えながら、あたしは部屋の畳に寝転び、ナメクジみたいにネロネロうねくっていた。
ハンガーには、苦節の受験を乗り越え、晴れて勝ち取ったばかりの制服。
棚には、高校入学のお祝いに叔父さんに買ってもらった、ティガレックスのフィギュア。
そんなつい先日までの春の朗らかさに、6月の長雨は突然バケツでもって盛大に水をぶっかけやがったんだ。
ほんの、つい一昨日のことだ。
駅前通りでたまたま目撃した優奈の傘の中には、
相合い傘で密着して歩く男子の背中があった。
高校生活始まって早々、親友につけられた差がどれほどのものかと、
あたしは薬局のケロヨンに隠れて様子をうかがった。
どうせアイアイの相手なんかお猿さんだろうと、僻み根性丸出しの想定。
それを雷鳴のように撃ち裂いた、彼の横顔。
誰はどっからどう見たって、あたしのトキメキランキングナンバーワン、
サッカー部エースの西村先輩に他ならなかったのだ。
ショックで頭が真っ白になって、
その後無気力と苛立ちが交互にやってきて、
結果あたしは今こうして、畳に生えた巨大なカビと化している。
これだから雨は、子供の頃から嫌いなんだ。
特にこんな休日の雨は、物凄い損した気分になったのを覚えてる。
楽しみにしてた子供会のソフトボール大会が雨天中止になった時、あたしは家中を暴れ狂って、泣き喚いたっけ……
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奇声を発して畳の上でクロールしてたら、いきなり部屋の扉がノックも無しに開いた。
顔を出したお母さんは、我が子の痴態に呆れながら言った。
「友梨、コウちゃん店に来てるよ」
奇声の延長線上みたいな声で「う゛ぇぇ」と返事したあたしの本音は、
──だから何?──
だった。
全くお母さんは、いつまであたしを子供扱いするんだろう?
相変わらず“コウちゃん”と聞けば、子供の頃みたいに喜んでちょっかい出しに行くとでも思ってるんだろうか?
あいにくあたしはもう、畳の上でクロールするくらいに、恋に悶絶する可憐な乙女。
そういつまでもいつまでも、幼なじみの男の子とジャッキーチェンごっこなんかしてられないんだ。
さっぱりテンションの上がらないあたしを見て、お母さんが含み笑いしながら言った。
「今行くと、面白いもん見れるんだけどなー。
コウちゃんの、断髪式」
断髪式?
ちょっと考えてから、ああそうか!と思いつく。
あの、小学生の頃からオシャレなマセガキだったコウちゃんにも、ついに年貢の収め時が来たってこと。
これはちょっと…
多少なりとも、興味湧かずにはいられないかも…
お母さんの足音が完全にフェードアウトしたのを確認してから、あたしは跳ね起き、お店へと飛んでった。
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正確には、
“サインポール”と言うらしい。
動脈を表す赤と、静脈を表す青。そして白は包帯の色だとか。
もともとヨーロッパのお医者さんの看板だったものが、なんでいつの間にか日本中の床屋の看板になったのか──
まぁ、そんなことどうでも良くって、
とにかくあたしは小さい頃、我が家の理髪店に掲げられたこのグルグルウネウネを、飽きもせずにずっと眺めてるのが日課だった。
家族経営の、町の小さな理髪店。
たった1つだけのシートに座るのは、昔から顔馴染みのご近所さん達。
時には、たいした用もないのに髭だけ剃ってもらってから、その後お父さんと日が暮れるまで長話しして帰るオジサンもいる。
そんな感じの新規顧客獲得の営業努力も、収益増加の向上心も、
なぁんにも感じられない、ひたすらまったりとした“だべり場”
それが、うちのお父さんの職場だった。
家の廊下を突き当たったドアは、そのまますぐお店の奥の扉へと繋がっている。
数センチほど開き、そっと中を覗いてみると、
入り口付近のガラス貼りに、伝い流れる水玉模様。
待合い席には何年も前のジャンプが無造作に積み重なってるだけで、他のお客さんはいないみたい。
そしてさらに目線の角度を変えると、
シートには、この曇天をそのまま反映したみたいな顔で、ボウズ頭のコウちゃんが座っていた。
「ぷっ…
ひゃははははっ!
やぁーい、ハーゲッ!
ハーゲッ!!」
思わず爆笑しながら店内に飛び出したあたしを、お父さんが怒鳴りつける。
「友梨っ!
ハゲハゲ言うなやボケがぁっ!」
コウちゃんもムッとしながら、小さく口ごもった。
「ハゲじゃねぇよ…
ボウズ頭だよ…ボケが…」
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元々男子にしては長めな髪で、ジャニーズにでもいそうな感じにキメめていたコウちゃん。
あれほどこだわっていた自慢のヘアスタイルが、今はスッカラカンの丸裸。
いくらお父さんに頭をひっぱたかれたって、こんなものを見せられては、笑いを堪えろってほうが無理難題だろう。
「友梨、てめぇ、いつまでもヘラヘラしてんじゃねぇ。
俺ぁちょっくら男の浪漫を追いに行ってくっから。
あとのコウちゃんのシャンプー、よろしくな」
そう言ってお父さんは競馬新聞を握りしめ、あたし達2人を残して家へ行ってしまった。
なんとなく気まずい雰囲気のお店を、雨音がしっとりと包み込む。
コウちゃんの頭から離脱したマセガキの残骸が、どこか虚しく床に散乱している。
お父さんてば、競馬中継ならお店のテレビでも観れるのに、どういうつもりなんだろう…
そう言えば、こうしてコウちゃんと2人きりになるなんて、いったいいつ以来だろうか。
勿論ご近所さんだからしょっちゅう顔は見てるけど、じっくり話した記憶も随分と無い。
子供の頃はそれこそ毎日のように、一緒に遊び回っていたのに……
鏡に写ったコウちゃんは、いつの間にか、あたしの知ってるコウちゃんとどこか違ってるように見えた。
そりゃあ頭がハゲになったんだから、見た目の印象も変わるだろうけど…
それとはまた別の、なんだかよくわからない雰囲気の変化に、ちょっとだけ躊躇っているあたしがいる。
「早く…シャンプー」
「…え?」
「髪洗ってくれって言ってんだろ」
「え…ハゲのどこに髪が……?」
「うるせぇよ!
じゃあ頭洗ってくれよ、ア・タ・マッ!」
あたしは洗台を開き、シートを前屈みにリクライニングさせた。
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ぎこちなくも、あの頃みたいに回りだしたコウちゃんとの会話に、なんとなくホッとする。
一分刈りになったコウちゃんの頭が、手のひらでジョリジョリ言って、なんだかこそばゆい。
異様に泡立つ頭を爪の腹でこすりながら、あたしはコウちゃんに話しかけてみたんだ。
「コウちゃん、なんだかんだ言って、やっぱり野球部入ったんだね」
「……おう。
入っちまった」
「丸刈りが嫌だから、絶対やらないとか言ってたのに」
「…やっぱ俺、
どうしようもなく野球が好きみたいだ…」
そう言えば、子供の頃のコウちゃんとの遊びは、圧倒的に野球が一番多かった。
キャッチボールしたり、他の子集めて三角ベースやったり。
あの頃のコウちゃんの嬉々としてボールを追いかける顔は、今でも脳裏に焼き付いている。
思えばその時の笑顔こそが、あたしの持つコウちゃんのイメージの全てだったかもしれない。
やっぱりコウちゃんには、あんなふうにいつまでも輝いてて欲しいと思うんだ。
ふと、
コウちゃんがこんな事を言った。
「なぁ友梨、小六の頃のさ、子供会のソフトボール大会のこと…覚えてっか?」
「うん、あの、雨で中止になっちゃったやつでしょ?
あたし悔しくて暴れ狂った」
「ははは。
俺もだよ。
悔しくて、悔しくてたまらなかった」
そんなコウちゃんの言葉に、あたしは少し違和感を感じてしまった。
だってコウちゃんは、あの頃スポーツ少年団で、嫌ってくらいに野球やってたじゃないか。
1日くらい、それも町内のヘタクソども相手にソフトボールが出来なかったからって、そんなに悔しがる事もないだろうに。
「俺、あの時さ。
デッカいてるてる坊主作ったんだよ。
そんでそのてるてる坊主にさ、この天気予報を覆すようにって、必死で祈ったんだよ。
まぁやっぱり…所詮迷信は迷信にすぎなかったんだけどな」
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ますますわからない。
あのソフトボール大会に、コウちゃんはそんなにまで何を賭けていたのか?
「ねぇコウちゃん、なんでそんなにソフトボール大会やりたかったの?
そりゃああたしだって、すっごい楽しみにしてから、ショック大きかったけどさ。
何もコウちゃんまで……」
少しの沈黙の隙間を、穏やかに埋めていく雨音。
店先で濡れる紫陽花は、曇天にもくすむことなく、より鮮明な色彩を際立たせてる。
やがて聞こえたコウちゃんの声は、さっきよりも随分と小さかった。
「だって、あれで最後だったろ?
友梨と一緒に、野球の試合で盛り上がれるのって。
中学になってまで、一緒に野球して遊ぶ男女なんて、普通いないし」
あたしの手が止まった。
洗面台に顔をつけてる、コウちゃんの表情はわからない。
そしてコウちゃんから次に出たのは、この後頭部の裏のもの凄い照れ顔が、容易に想像できるような台詞だった。
「俺が野球部入ったのはさ、また友梨に、応援してもらいたかったから…ってのもあるんだ…
サッカー部ばかりじゃなくって、野球部の俺の活躍もさ…もっと見て欲しくて…」
あたしの胸のキャッチャーミットで、およそ150キロの豪速球が、
“ズバンッ!”
と音を立てた気がした。
ど、どういうことだろう?
今の言葉、なんだか意味ありげに聞こえてしまうのは、乙女ゲームのやりすぎだろうか……?
動揺があたしの手をどんどん速くしていく。
コウちゃんの頭が、摩擦熱で発火しそうなくらい激しいジョリジョリ音を放っている。
バクバクの心臓。
戸惑いながらも、聞き返さずにはおれないその真意。
コウちゃんは小さい頃から身近すぎて、あんまりそういう意識をしたことなかったけど…
顔だって、どちらかと言えばイケメン寄りだし…ハゲだけど。
性格だって、ぶっきらぼうだけど本当は優しいのを良く知ってるし…ハゲだけど。
「コウちゃん…それってつまり…
あたしのこと……」
緊張しながら聞いてみたら、
コウちゃんは少しの躊躇いを置き、
そして意を決したように、声を張り上げたのだった。
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「いってぇなぁ、このゴリラ女っ!
もうちょっと優しく洗えないのかよっ!」
──カチーン!──
舞い上がりかけてたあたしのハートは、一瞬にして奈落の底まで急降下。
そして奈落の底さえも突き破ったそれは、地中のマグマを一気に噴出させた。
「ゴリラ女って何だよっ!
せめてアイアイくらいに言えよっ!」
「うるせぇ、ゴリラみてぇな力でゴリゴリゴリゴリ洗うからゴリラ女っつったんだよっ!」
「なによ、あんたなんてハゲのくせにっ!」
「ハゲじゃねぇよ、ボウズ頭だよっ!」
「後頭部の右側に五円ハゲあるもんっ!
バーカ、ハーゲッ!」
「それ、幼稚園の時お前につけられた傷痕だよっ!
どうしてくれんだよ、一生消えねぇんだからなっ!」
「えっ!?
この五円ハゲって、あたしがコウちゃんの頭につけたの!?」
「そうだよっ!
お前が俺にバックドロップかけようとして……」
コウちゃんは最後まで言い切らず、なぜか途中で口を開けたまま止まってしまった。
そしてその後、
急に一変したように、大口を開けて笑い出したではないか。
「あはははははっ!
俺たちってさぁ、そう考えると、なんか凄い腐れ縁だよなぁ。
俺の頭から一生お前の痕跡が消えないなんて、なんか不思議な感じだなぁ」
──俺の頭から、一生お前の痕跡が消えない──
コウちゃんのその言葉を、ついじんわりと噛みしめてしまう。
コウちゃんは五円ハゲの事を言ったんだろうけど、聞く人が聞いたら、
“お前の事を一生忘れられない”
そんなニュアンスにも取れてしまうんじゃないだろうか。
そうだよね、コウちゃん。
あたしも多分、もしこの町を離れることがあっても、年をとってオバアチャンになっても、
コウちゃんの事は、ずっとずっと覚えてると思うよ。
だってあたしの、人生初の友達だもんね。
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鏡には、コウちゃんの頭をタオルでゴシゴシ拭くあたしが写っていた。
その自分の口元に、ほんのりと笑みが浮かんでるのに気づいた時、
あたしはコウちゃんに、とびきりの明るい声で言っていた。
「ねぇ、コウちゃん、明日の日曜日さぁ、ひさびさにキャッチボールしよっか?」
「明日?
バァカ、天気予報じゃあ明日も雨だよ」
「そうなの?
じゃあ、またてるてる坊主作る?」
「はぁ?
子供じゃあるまいし、今時そんな迷信なんて…」
「あはははははっ!
あはははははぁーっ!」
いきなりお腹を抱えて笑い出したあたしを、コウちゃんは驚いて振り向いた。
わけがわからず、ポカンとするコウちゃんに、あたしは笑いながら言ってやったんだ。
「てるてる坊主、迷信じゃないよ。
だってあたし、
晴れたしっ!」
コウちゃんが外を見向き、怪訝な顔であたしに言う。
「何言ってんのおまえ?
まだ雨降ってんじゃん…
それに…てるてる坊主なんてどこもないじゃん」
「いいや、あたしは晴れたっ!
てるてる坊主なら、バッチリ鏡に写ってるしっ!
だから明日は、雨が降ろうが槍が降ろうが、キャッチボール決行だっ!」
さっぱり意味がわからないコウちゃんは、まるで“へのへのもへじ”みたいに素っ頓狂な顔。
丸坊主な頭。
そして、首から体をすっぽりと包み込んだ、真っ白なヘアーエプロン。
なんか、改めて気づいた。
あたしにはすぐ近くに、こんな愉快な幼なじみがいたんだって。
どんな時でも笑顔になれる、素敵な“てるてる坊主”がいてくれたんだって。
外は雨。
紫陽花の葉っぱの上で、楽しそうに弾んでいる雨粒。
ガラスに張り付いた水滴達が、駆けっこするみたいに我先にと下へ伝ってゆく。
てるてる坊主
てる坊主
明日も元気に
しておくれ
~了~