狼な彼女と人間の僕
僕はしがないサラリーマンだ。
顔も能力も業績も中の中。いわゆる平凡。よって会社の女の子達にも相手にされない。
それでもより良い生活のため業務に励むのだった。
残業を仕上げ帰宅についた金曜日は、最近の夏特有の集中ゲリラ豪雨に見舞われた。
折り畳み傘では凌ぐのが難しい。傘に隠れるように歩く僕は女の子とぶつかった。
軽い相手の体は階段から落ちるあっという間の出来事で助けることはできなかった。
慌て駆け寄る。意識はあるよかった。
「すみません。すぐに救急車を呼びますね」
携帯を取り出そうとする手を彼女が止める。
「…やめて」
掴まれてる腕が痛む。余りの力に「訳ありか」そうだ。僕は弱った彼女をそのままにすることはできずに背負い連れ帰ることにした。
彼女は嫌がりもせず、家につく頃には寝てしまっていた。
取りあえず、濡れている互いの服を何とかしなければ。やましい気持ちは今それどこではない。冷たくなっている彼女を介抱しなければ服に手をかけようとしたところで俺は固まった。
犬だ。
え!彼女は!ええ!
そこには服を羽織った灰色の大きな犬がいた。
夢か…。思わず頬をつねったが痛い。
苦しそうな粗い息に我に返った。
服を脱がせるが毛も濡れている。いや汚れている。
僕は犬を風呂場につれこみ暖かいシャワーをかけ洗いタオルで拭き布団に入れた。
一応女の子。犬だから放り出すなど無体な真似はできなかった。
改めてみると狼っぽい。これが世間一般、物語に出てくる人狼というやつか。
救急車を断る訳だ。
冷蔵庫にあったポカリスエットを少しづつスプーンで口に流し入れ看病し、そのかいあってか明け方に女の子の姿に戻り翌日の昼には目が覚めた。
「あ、目が覚めた?具合はどう?大丈夫?」
警戒感が顕な彼女に明るく声をかける。
「お腹は空いてないかい?」
その言葉にぐぐ~と音がなる。途端に真っ赤になった彼女にほっとする。
「ちょっと待ってて」
俺はレトルトのお粥を暖めてだすと彼女は掻き込むように食べだした。これは相当腹が減ってる。
まだレトルトのストックはある。
粥だから喉には詰まらないだろうがなんとなく危なさそうで、コップにポカリスエットを入れて差し出す。
一気に飲み干した彼女は驚いて呟いた。
「…甘い」
(この味を知らないってどんだけ人間ばなれしてんの)
そういえば服も粗い麻の服。どっかの民族衣装みたいな。
そこまで考えてると空になったお椀を物欲しそうに見ていることに気付いた。
お代わりを渡して食べ終えた所で落ち着いたらしい、辺りをキョロキョロと見渡す。
僕は話を切り出した。
「悪いとは思ったが濡れていたから僕の服に着替えさした。元の服はぼろぼろだったから替えを買ってくるまで我慢してほしい」
「いいえ買うなど。ご主人の服を貸して頂けるだけでもありがたいです。
行き倒れの私を助けて頂きありがとうございます。
どうぞ私を奴隷として扱ってください」
奴隷っ!なにそれ!
「いやいやいやいや。君が訳あり家出少女だとしてもそんな鬼畜なことはしないよ」
「しかし私は「こっちが傘をさして前方不注意だったんだ。だからさ、元気になるまで利用すればいい」」
変なことを言われるよりは元気になるまで面倒を見た方がいい。
「いえ、そんなこと「それとも自宅にでも帰るの?」」
それが一番いい。
「………。」
押し黙ったと思ったら、みるみる大粒の涙が溢れ出す。
「わ、わ、わ、泣かないで!聞かないから!何かしないと落ち着かないなら仕事をしてもらうから!お願いします!」
僕は慌てて土下座をする。生まれてこのかた女の子と付き合ったことなどない。どう対処していいかわからなかった。
ちらりと見ると彼女は驚いて僕を見てた。恥ずかしい。
「よかった。泣き止んで。えーと、じゃあ掃除、洗濯をお願いします」
彼女はほっとすると頷き、
「洗い場はどこですか?井戸か川は裏手ですか」
「川?冗談?…にしては顔が笑ってないよね。洗濯機って分かる?」
ダメだ。人間のことを知らないのは決定だ。
言ってしまった手前、洗濯機の使い方を教える。
すごく驚き、そしてなぜか喜ぶ姿に毒気が抜けた。
このまま世の中に出したらこの子どうなるんだろう。
素直な彼女に常識を教えよう、そう心に決めた。
彼女に名前を聞くと「アマリエ」と答えた。
名前も日本人離れしている。可愛いからいいかと油断したら「ご主人様」と微笑まれた。
「お願い。僕そんな趣味はないから。誤解されるからやめてください。本当お願いします」
アパートの壁は薄い。近隣の住人から変質者とは思われたくはない。
「しかし、「博人でお願いします!」」
「ヒロト様」
「ヒロト」
「ヒロト様」
「ヒロト、ヒロト、ヒロト、ヒロト!」
彼女の足にすがり付く。本当勘弁してください。こっちが涙目になると、観念したのか小さな声で
「…ヒ、ヒロト」
「はい、アマリエ。それでお願いします!」
何回かそんなやり取りをして名前で呼び合うようになった。
彼女は本当に素直だ。
朝に朝昼の食事を作り、食事はなるべく一緒にとり箸の使い方や味を覚えさせた。
ニコニコと美味しそうに食べる姿は夫婦ってこんな感じかなと勘違いしそうになる。
仕事から帰って寝るまでの間は世間話をする。彼女は興味深々で話をせがみ、僕の話を真剣に聞いてくれる。寝不足になるくらい相手をした。
楽しくて次第に早く家に帰るようになった。
「江島さん。ちょっといいですか?」
総務の事務の子に呼び止められる。
「はい?」
「最近明るくなった江島さんはなんかいいなって、今晩二人で飲みに行きません?」
一瞬アマリエが頭をよぎった。
「すみません。所用がありまして」
「え~。じゃあ空いてる日はありますか?」
「本当ごめなさい。僕無理です」
食い付いてくる女性は獲物を物色する、そんな雰囲気がある。
派手な巻き髪で常に男と浮き名を流している彼女とアマリエを比べた。
あの幸せな時間を壊したくはなかった。
平凡な僕が断ったことが気に障ったらしく、就業間近に総務から書類を突っ返される。
今日はいつも受領してしてくれる年配の女性職員は居なかった。
何度直しても返される書類に、とうとう課長に泣き付くと、上から睨みをきかせ、総務はしぶしぶと書類を受け取った。
お礼に課長と飲みに行くはめになり、アマリエと暮らしてから初めて遅くなってしまった。
最終列車で駅に着くと、珍しく駅員が声をかけていた。
「周辺を大きな犬がうろついています。お帰り方は注意してください」
アマリエを一人おいたままだ。足早に帰る。
アパートに帰るとアマリエは居なかった。
嘘。
俺は愕然とした。
彼女の服が落ちていた。
『決して出ては行けないよ。女の子は襲われるからね』
彼女にはそう言い含めていた。
出て行ってしまったのか。目の前が真っ暗になった気がした。
駅員の言葉を思い出す。
駅の周辺を大きな犬がうろついて…
彼女だ。
服を鞄に詰めこむと駅の周辺を探した。
駅員や周辺にいる人々にも聞くが誰も行方を知らない。
落ち込む俺に一人のホームレスが話しかけた。
「あんちゃん、おっきな犬を探してんのかい?」
「はい。なにかご存知ありませんか?何でもいいんです。お願いします」
「俺みてえな奴にも丁寧な言葉使いをすんだな。へへっ。
さっきな悪ガキが二人、灰色の大きな犬を捕まえて連れてったよ」
「どちらの方にですか!」
「あいつらは、いつも俺らをコケにする奴らでな。○○中の後ろにある豪邸に住んでるよ。猟犬が庭にいるからすぐにわかるさ」
「ありがとうございます。あっ!よかったらこれどうぞ」
上司との飲み会土産、寿司を押し付ける。ほくほくとしたホームレスは頑張れよ~と声援をくれた。
庭には話の通り猟犬がいて入ることはできない。
一匹が遠吠えを始めた。釣られるように他の犬達も鳴き出す。僕は裏にまわった。
塀を乗り越えると檻の中にあの灰色の犬がいた。
慌てて駆け寄り声をかけた。
「アマリエ。助けにきたよ。一緒に帰ろう」
動かない彼女に更に話しかける。
「アマリエがね、狼に変身しているのは前から知っていた。そのことを隠していたのも。
でも僕にとってはアマリエはアマリエ。
そんなこと関係ない。大切な女の子だ」
閂を外そうとするが硬い。悪戦苦闘する。
「ヒロト、ちょっと離れてください」
彼女はそう言うと人化、裸のアマリエが鉄格子を掴みねじ開く。呆気に取られた。
「す、すごい怪力だね」
「はい獣人は魔力はありませんが力が強いのです」
「獣人…そうか。ごめん。目のやり場にちょっと困るからコレを着て」
僕は目線を逸らしながら服が入った袋を差し出す。着替え終えた彼女は僕を担ぎ上げると、ヒラリと跳ね夜の住宅街を駆け抜けた。
アパートに着くと明かりの下で彼女の額に殴られた痕があった。憤りが込み上げる。湿布を貼り落ち着くようにホットミルクを渡す。
やはり僕を探して外に出たそうだ。ごめなさいと呟く。悪いのは遅くなった僕なのに、彼女は自分を責める。損な彼女の過去を知りたくなった。
「よかったら僕に君の事情を話してくれないか?」
視線を漂わせた彼女はぽつりぽつりと話し出した。
異世界から来た奴隷。虐げられる魔法の使えない狼の獣人。移転魔法の実験でここに飛ばされた。
戻ることもできない。
想像していたより酷い。
こんな素直な子がそんな目に会うなんて、僕はもらい泣きする。
「ぐすっ。そうか辛かったね。よく頑張った」
僕が絶対幸せにする。彼女の手を握る。
「アマリエ。どこにも行く所がないのなら、これからも僕と暮らさないか?
ここは魔法使いもいない。獣人という種族もだ。
僕は君を利用したり、いじめたりしない。
ここで暮らすのに必要な知識も教えるから」
僕は君をいじめた人間と同じ種族だけど信じて欲しかった。
「僕は人間だけど君と仲良くなりたい」
彼女の目を見つめ真剣に伝える。
彼女は見開いた大きな目が潤み、涙が溢れ出す。
彼女が初めて僕にしがみつき泣いた。
溜まっていたものを吐き出せばいい。
彼女の背中をいつまでも撫でた。
あれから僕は彼女に楽しさを知って欲しくて、色んな所へ連れて行った。
電車やスーパー、自販機の使い方や、水族館、遊園地にレストラン。
この世界は君を受け入れてくれる。優しい場所。
怯えながらもどんどん彼女の世界は広がる。
側にいて笑う彼女を見ると僕も嬉しくなる。
僕は決意する。
本当はボールやフリスビーを渡して、怒ったアマリエに肉球でぷにぷにと踏まれてもみたいが、その後の機嫌を直すまで大変だと思うので絶対にしない。
迷ったが自分の欲望に忠実になることにした。
愛があれば大丈夫。
「アマリエ。僕の一生のお願いです。どうかコレを着けてください!」
用意したケモ耳カチューシャと尻尾、肉球手袋をそっと渡す。
ちょっと呆れた顔をされたが間違ってはいない!(断言)
世間一般(男)の思いだ。僕は悪くない。
この後にプロポーズするための指輪は既に肉球手袋の薬指に入れてある。
僕はどや顔で告げる。
「ケモ耳娘は男のロマンです!」
お読み頂きありがとうございました。