壱章・発端……始まり・4
大体、各国の言い伝えがバラバラな時点ですでにあやしいだろう。
セイリオスでは前述の通り、『銀砂の民』が残した最終魔術。
イグザイオでは百年前に存在した天才科学者が発狂し、発明した恐るべき兵器が封印されている、らしいとのこと。
女王国家シルメリアでは古代の血まみれ王子に生け贄にされた者たちのミイラが、死してなお呪いの声を上げている場所と言われている。
これだけですでに眉唾なのに、あとの二国でも言い伝えは全く違う。
和の国ホマレでは荒ぶり猛る火の神が眠っていて、眠りを妨げたものには灼熱の業火で答えるという。
そして水上国家ヒニアでは決して触れてはならない致死の呪いがかかった宝玉が安置されているという言い伝えだ。
各国実にバラエティに富んでいる。富みすぎていて、かえって疑わしい。
共通しているのは『世界を滅ぼす力』のみだ。
そんな言い伝え今時子供でも信じない。大方国の威光を示すための作り話なのだろう。
世界を滅ぼすようなものでもちゃんと封じているのだよ、だから我が国はすごいのだ、と。
笑い話だ。ラグドラリヴには何もない。彼の地に破滅の力など存在しないのだろうに。
「……ラニ・ソルト、一つ訊きたい」
食事を終えて食器を片付けながら、そう言うとラニはわずかにぎくりとした。
先ほどの話を蒸し返されると思ったらしい。
「な、なに?」視線を逸らしている。
「ラグドラリヴがなぜ禁忌の地なのか知っている?」
突然そう質問されたのはラニの予想外のことだったのだろう。話題としても全く関連性がないのだから当然だろうに、それがおかしく思えるほど彼女は目に見えてうろたえた。訊いたユイのほうが驚いたくらいだ。
「な、何よ急に?」動揺を隠そうとして紅茶を口に運ぼうとする手がかすかに震えていた。
「いや、別に意味はないの。ただなんとなく聖書が目に付いたから。あの中でラグドラリヴのことが禁忌の地だと表記されているのに、前行ったときそんなふうには見えなくて」
取り繕うようにそう言いつつ、ユイは彼女の様子を観察していた。ユイの言葉にラニはほっとし、動揺はすぐ消えたようだが、彼女もこちらをうかがっている。
何かの含みがあるのではないかと。
ユイにはその反応だけで充分だった。今の今までラグドラリヴのことは全て迷信、世迷言だと思っていたが、情報収集が主のラニがああいう態度を取るということは、あそこには何かがあるのだ。伝説とは笑えないものが存在しているのだ。
「あそこはいいところだったよ? ほのぼのしていて牛でも飼って牧場をやるのによさそう」
「そ、そう……アンタ凄いこと言うわねぇ、禁忌の地で牧場なんて……」
なにかを恐れている。裏神官のラニが。
――一体、何を。
「ともかく、あそこに興味を持つなんてことやめときなさい。いいことないわ」ひらひらと手を振ってラニは会話を終わらせた。
逆効果だったことを彼女は知るまい。
ユイは今までの自分の考えが幼かったことを知った。ありえないと思うことにこそ真実があるのではないか?
子供でも信じないようなでたらめを並べ立てて、五皇国は何を考えている?
ラグドラリヴ……あの場所にはなにがあるのだろう。
もしや本当に世界を滅ぼす何かが存在しているのか?
魔術、兵器、ミイラ、神、呪いの宝玉……そのいずれかが本当に存在していたら。
それを解き放つことで本当に世界が終わったら。
…………ありえない。そう思いつつもユイはその考えを捨てることができなかった。
世界が無くなるという考えは何故かとても魅力的に思えた。何も期待していないから、何もかも無くなってしまうことはとても素晴らしいことなのではないか、と。
食器を洗いながら、ラグドラリヴの風景を思い起こす。
あの時は平和な場所に見えた。それはごく表面だったのかもしれない。見えないどこかで何かが行われているのかもしれない。
調べてみたら、真実がわかるだろうか?
どう調べよう?
自分は情報収集には向いていない。他人に協力など頼む気はなかった。
後ろでテーブルを拭いているラニにはもちろん駄目だ。へたをすれば彼女から本部に洩れる。ラグドラリヴを調べているなどと知れたら、どんな処罰を受けるかわかったものではない。最悪、処刑だろう。
ユイがそんなことを考えているとは知らずに、ラニが声をかけてきた。
「ユイ、本部に連絡入れときなさいよ、まだアンタから報告してないでしょ?」言われてあぁ、と思い返す。そう言えば任務成功の報告をしていない。昨夜の迎えの男とラニから報告は入っているだろうが、一応ユイ本人にも報告の義務があるのだ。
「わかった。しておく」
答えたとき、玄関の方からノックの音がした。今日は礼拝の日ではないはずだ。敬虔なセリオス信徒なら、休日平日関係なく訪れて祈るので、誰かが来ても不思議はないが。
「アンタは奥に行ってちゃんと報告するのよ」先ほどとは一変して老女の声をつくり、ラニは玄関に行ってしまった。
報告は端末を使わなければならず、本人がやらなければ意味もない。機械オンチなユイには気の重い作業だ。
仕方なくといった様子で廊下を歩き、端末が置いてある地下へ向かう。ドアには暗証番号が必要な鍵がかかっている。これはどこへ行っても共通だ。死ぬ気で暗記した19桁の数字を入力する。個人個人にあてがわれている番号でこれが入力されると誰がどこにいるかそれで皇都本部に知れる。ようは首輪だ。強力な力を持つ裏神官を野放しにしないためのもの。
「……面倒くさい……」
呟きながら中に入る。ユイが足を踏み入れた瞬間に室内に明かりがともる。先ほどの暗証番号と人の体温に反応する仕組みらしいが、機械オンチに理解することは至難の技だ。
魔法的な技術も絡んでいると聞いたことがあるけれど、魔術師でも能力者でもないユイにはやっぱり理解できない。少し奥に入ったところに仰々しい機械がどっしりとかまえている。あちこちにパネルやボタンがついていて、一見何の機械か分らないようになっている。一定の順序を踏まないと起動すらしない。どこか一箇所を押せば起動するような市販品の機械とは違う。
機密情報をやりとりするわけだから当然と言えば当然なのだろうが、このとっつきずらさはどうにかならないのか、と触るたびにユイは思う。
「えぇと……まずは、ここからで……」
ここのパネルにさわり、あっちのボタンを押し、隙間から指を入れて外からは見えないスイッチを入れて――起動させるだけで順序が7ついる。
それからさらにドアを開けるときに入力した19桁の数字を入れて、ようやく起動できるのだ、やり終わるまでにユイはいつもどこかを間違えてしまう。
間違えたらもう一度最初からなのでげんなりする。間違えたことも本部には伝わるため、大概繋がったときには怒られる羽目になるのだ。
「何年『神官』をやっているんだ?ユイ・ヒガ。いい加減に端末の使い方を覚えろ」
今回も本部のオペレーターに言われてしまった。反論できないのでさっさと済ませようと手短に報告する。
「目標の『排除』は完了。なお、目標以外の『削除』は……」
淡々と昨夜自分が行ったことを述べていく。そういえばあの家の息子はどうしただろう。
命じられた任務は両親と祖父の『排除』だったから、とりたてて気にしていなかったがひょっとして一緒に『排除』したほうがよかったのだろうか。
なんなら今からちょっと行ってきて後を追わせてやろうか。残るよりはシアワセかもしれない。人の命などなんとも思っていないようなことを考えながら、言葉を続ける。
「ご苦労だった」報告が終わり、あとはいつものセリフ「追って次の指令があるまで現状で待機」が来て終わりだろうと予想していた。
「ユイ・ヒガ。次の指令だ」しかし、休みなく次の任務があるという。
「次? ……なんです」
珍しい。いつもなら1日から1週間は待機時間が与えられるのに。
別段動くことに不都合はない。ないがムッとする。いいように使われているのが分るのだ。
「今すぐカンジューラへ向かい、そこで次の任務まで待機せよ」カンジューラ……隣町だ。
「? いますぐ、ですか?」
「そうだ。この通信を終えたらすぐに向かえ、とのことだ。これは厳命である」腑に落ちない指令だ。
待機ならここでも充分だろうに、わざわざ隣町で休暇をとらねばならない理由とは何なのだろう?
「わかりました」
了解を伝え、通信を切る。それ以上の情報など訊いても答えてはもらえまい。
聞く必要はない、といわれて終わりだ。
道具に答える義務などないということなのだろう。使われる身だ、仕方ない。
指令に従って隣町に移動しようとユイは地下室を出た。
出たところでラニにばったりでくわした。
「あ、済んだの?」訊かれてうなずく。
「隣町に移動する。世話になった」
「へ?!」ラニはひどく驚いたようだ。ただユイが移動するということだけで。
「? 指令があった。おかしい?」
「あ、いえ、おかしくないけど……」唇を尖らせている。
「急だなぁと思って」何かが不満らしい。彼女が何を不満に思っているのかユイにはさっぱり分らなかった。
「なにか都合が悪いの?」
ふくれっつらの彼女にそう問う。
「うー、わるくはないけどぉ……」歯にものがはさまっているかのような物言いだ。
「なに?」
無表情でラニにつめより、はっきり答えろと雰囲気が促している。
「……アンタに携帯のレクチャーとあと彼氏のタイプを訊こうと思ってたのよっ!」つめよられてラニは悲鳴のような声で答えた。ユイの指先が傘の柄を握っていたからだ。
「かれし?」
目が点になるユイである。そんなもの訊いてどうするのだ?
「何故?」
「個人的興味……」消え入りそうな声でラニが言う。目線は落ち着きなくユイの手元を(つまりは傘の柄を握る手を)見ていた。ユイに本気で抜く気はないが、充分すぎるほどの脅しになっているようだ。
「ふぅん……『こじんてききょうみ』ねぇ」
納得したわけではないが、指令を受けた身だ、ぼんやりしていられない。
「まぁいいや、今度聞かせてもらうから」
「こ、こんど?」どもるラニ。
「そう、今度。じゃあまたね」
笑いかけてユイは身を翻した。ラニには肉食獣の笑みに見えたのかもしれない。
笑顔を返そうとしてひきつっていた。
かまわずにまず昨夜泊まった部屋へ向かう。
任務に向かう前に自分の荷物を置きっぱなしにしていた。ベッドのわきに放り投げておいたクマのついた(これも上からの配給品。どうやら上はユイにはクマグッズと決めているようだ)ウェストポーチをつけて、それから裏口へ向かう。
ラニはぶつぶつ何かを呟きながらついてきた。耳を澄まさなくても「武器に手をかけることないじゃないのよぅ」とか言っているのがわかる。さっきまで自分のことを可愛いとほめていたのに完全にふくれてしまった。
同じ裏神官なのに、自分はそんなに怖いだろうかとユイは内心首をかしげた。確かにユイとラニとではユイのほうが圧倒的に強いだろう。受けた訓練量が違うし、経験も遥かに違う。ラニのほうが2歳ほど年上だが、実戦経験量はユイのほうが遥かに上だ。
しかしそれは単に向き不向きというのがあるだけの話で、ラニが弱いというわけではない。一般人から見たら充分ラニだって強い部類だ。ただ、上には上がいるということ。
ユイにもまだ勝てない相手がいるように。
「気をつけてね」なんだかんだいいつつも、ラニは裏口まで見送りに出てくれた。しわがれた老女の声でまたねと言い、ユイに紙袋を渡した。
一見すると、なにかお菓子でも入っていそうな質素な紙袋だが、本部からの給付金――ようは給料が入っている。一定の任務をこなす度にこうやって支払われるのだ。
普通は現金でなく口座に自動的に振り込まれるものが一般的だが、ユイはいつも半額を現金でもらうことを希望している。銀行などに行くヒマがないからだ。安全に引き落とすことができるところにいつもいられるとも限らない。
内乱が続き、銀行などがまともに機能していない地域にいくことだってあるのだ。引き落とすことができずに裏神官が飢え死になどしたら笑えない。現金は必要だ。こんな仕事をしているといつ何が起きても不思議はないから。
……自身の死も。
無造作に紙袋をウェストポーチに詰め込んで教会を後にした。
「あとでメールするからちゃんと見なさいよ?」とのラニのささやきは悪いがかなう事はないだろう。
その時はそう思っていた。
自分が機械オンチだから。
ただそれだけのつもりで、そう思っていた。
手を振るラニの気配を感じながら、振り返りもしないで教会を後にした。