四章・壁……越えるべきもの・4
今のうちになんとかして国境まで近付かなくては。ヒニアはセイリオスとあまり国家間の関係が良くない。今ここにいるのがセイリオスの要人ならヒニアに入ってしまえばそう簡単には手出しできないはずだ。ユイはそう考えていた。
甘い予想かもしれない。ケイは走りながらそう考えていた。五皇国のどこからでもいける土地、ラグドラリヴ。どこの土地にもある『破滅』の伝承。どれも全て実在の『破滅』であるツバサからは遥かに外れたものではあるが、裏を返せばそれは本物をカモフラージュするためではないのか?
あれだけ外れたものを世間に広めておけば、いざ本物と出会ったときそれが『破滅』とは思えない。
実際ユイとケイはツバサと行動を共にしているのに信じられずにいる。
そして、だからこそヒニアへ逃げることは甘い予想ではないかと感じる。
『破滅』の伝承はどこの国にもあるのだ。
それが意味することはすなわち、どの国も『ツバサの存在を知っている』のではないかということ。
セイリオス、イグザイオのみならず、ヒニアやホマレ、シルメリア――五皇国の全てが知っていてツバサの存在を隠しているのではないか。
だとしたら、この件に関して五皇国は結託しているのかもしれなかった。『破滅』に関することだけは国家間がどうこう言える問題ではない。国家うんぬん言っている間に世界自体が消えてしまう可能性があるのだから、自国を滅ぼすよりは他の国と手を結ぶほうを選ぶだろう。そう仮定すれば、自分たちが逃げる場所などどこにもなくなる。
世界の全てが敵になるのだから。
……今更だ。ケイはそう気付いて薄く笑った。世界を滅ぼすつもりでここまで来たのだ。世界が敵に回ろうが怯える必要はない。『破滅』であるツバサを護ることを決めるよりも先に自分たちは世界に絶望し、決別したのだ。
滅ぼそうという気持ちに変わりはない。ただ、それをツバサに頼む気がないだけだ。
自分たちに世界を滅ぼす力があれば、とうにやっている。
ただ、それはツバサに会う前限定の話だ。会ってしまった今となっては、ツバサを連れてとにかく生きて逃げることしか考えていない。命を捨てるつもりでラグドラリヴに入ったのに、出るときはどうやってうまく逃げるかを考える羽目になるとは、人生というヤツは分からないものである。
「…ケイ、止まれ」
思考しながら走るケイの背後からユイは待ったをかけた。
「? なんだ」
「囲まれた」
言葉短く彼女に指摘され、ケイは言葉を失った。
「……本当か」
「間違いない……後ろの連中はこっちの気を引くためのおとりだったらしい」
苦くユイはそう言った。草むらに隠れている連中は気配を隠してはいるものの、裏神官の彼女には感じとれる。その数、十数人と見た。
無論、ユイにとってはたいしたことのない相手である。それでも片付けるまでにはそれなりの時間がかかるだろう。その間に後ろの連中に追いつかれたらそれで終わりだ。
こんな簡単な陽動に引っかかるなんてとユイは唇を噛みしめた。
足を止めた彼女たちの周りに次々とフライングカーが停止する。それと同時に身を潜めていた追っ手も姿を現した。全ての人間が武器を携帯している。それも確実に人を殺傷する類のものだ。
自分たちを生かして返すつもりはなさそうだ。せめてツバサだけでも逃がしたい。
けれど肝心のツバサは周りを囲まれているというのに光翼を出すそぶりさえ見せない。
武器を向けられているのに、怖がる様子もなかった。フライングカーを見て、不思議そうにしている。ユイは苦笑してツバサを地面に下ろした。
ツバサはどうしたのと言いたげにこちらを見上げてくる。もう駄目なんだよと答えるのはあまりにこの子が可哀想で、ユイには答えることができなかった。
「待て」
追っ手がいまにも発砲しようとしたとき、男性の声がそれを止めた。
追っ手は発砲をやめたが銃口を下ろそうとはせず、道だけを開ける。
まるで質の悪い映画の一シーンのようだ、とケイは考えた。ありがちすぎる。威厳を出すための演出だと、すぐに理解できた。
ユイも声を聞いて誰が来るのか確信した。何度か画面越しではあるが聞いた声だったからだ。
開けた人壁の間を歩いてくるのは五皇国の住民なら確実に知っている顔。
「まだ子供ではないか」
そんなことを言いながらユイ達に近付いてくる――その男。
法王、リリド・セイリオス。セトラが仕える金髪の男。もう青年というような年齢ではない。けれど中年とあらわすのは気が引ける、そんな感じの男性で女性に人気があるとはユイも知っていた。顔が良いだけではもちろんなくて、政治的手腕もかなりの腕前だとケイは知っている。
そんな男がなぜここにいるのだろう。自分たちは侵入者でその上『破滅』を連れているのだ。ここの警備の人間から見れば危険この上ない存在のはずである。
そんな危険な連中の前に、何故、法王は姿を見せたのだろう?
……ユイにもケイにもなんとなく予想はついた。
腐りきった五皇国。
そのてっぺんにいる人間。
普段なら己の保身ばかりを考える人間が、こんな場面で姿を現す理由などたかが知れてくる。
「見ろ、怯えているではないか。ああ、そう怖がらずとも良い、余がそなたたちを護ろう。安心するが良い」
陳腐な言いように、ユイはしらけ、ケイはあきれた。法王が言っているように怯えているわけでは断じてない。あまりにもあからさまなのでかえって呆れたのだ。
始めから大人に絶望しきっている子供たちに、とってつけたような薄っぺらい言葉など通用するわけがないのに、法王はそんなことにも気付かず続ける。
「興味本位でここに入ったことも許そう。罪には問わぬ。そなたたちがどこから迷い込んだのか分からぬが、そなたたちもその子も余のほうで保護しよう。さぁ、その子をこちらへ」
はー。ユイとケイは同時にため息をついた。予想は的中している。法王の視線はツバサに向いていた。
「……あほか」
ユイが言い、
「……いや、自分は賢いと思っているんだろ」
ケイも言う。
『破滅』が解き放たれたと知ったら、まず上の人間はどう出るか。その見本の二つ目がここにいる。
一人目はセトラだ。彼女は手に負えぬ力を持つものを再び封印しようとした。
二人目が法王。彼は多大で強力な力を持つものを手中に収めようとしている。
「……わかりやすいな」
手に取るように考えが分かる。法王はツバサを利用する気満々だ。
「法王閣下? この子はわたしの妹です。迷い込んだのではなく、ここまで一緒に来ました。だから一緒に処断してください」
さっくりとユイは言い切った。ここで法王にツバサを渡す気など毛頭無い。ツバサを渡してしまえば、少女にとっていいことなど何一つないだろうと容易に予想できる。
「何を言う。処罰などせぬよ。そう警戒せずとも良いだろう。とにかくこのような場所ではなく、暖かい部屋に入ろうではないか。車に乗りなさい」
表面上は優しい声に聞こえた。だが、その視線はツバサからちらちらと離れない。
警戒と好奇、欲望が見え隠れしているのはよく分かった。『破滅』に触れるのは恐ろしいが、その力は魅力的なのだ。
ユイの陳腐な嘘など意味がない。向こうはツバサが『破滅』と分かっている。如何にしてユイたちからツバサを引き離すか、それだけを狙っている。ツバサを渡してしまえばユイもケイも用なしだろう。即座に殺されること確実である。
ツバサを渡せば殺される。ユイはそう予想していたのだが、ケイの考えていた予想はもっといやらしいものだった。
「法王閣下。俺……いや、私たちの罪は問わないと仰せですか?」
ケイの問いに法王は鷹揚に頷いた。いかにも懐が深そうに。
「なんと寛大なご処置、いたみいります閣下。ですが一つお伺いしたいことがございます」
「なんなりと申してみるが良い」
笑みと余裕をたたえ、法王は質問を促した。
「この子は本当に『厄災』と呼ばれるほどの存在なのでしょうか?もしそうならば、一体何をして『厄災』と称されるようになったのです?」
彼の問いに法王は瞬間惑いを見せたが、答えた。
「そなたたちも存じておろう、五百年前のアッパード山脈の崩壊を。あれは史実上では天災ということになっておるが、実際はその少女が起こしたことなのだ」
「!」
ユイは目を見張って自分のマントにくっついているツバサを見下ろす。
史上最大の地震で跡形もなくなった山脈のことは、歴史学で必ず一度は習うほどの有名な天災だ。ラグドラリヴの東に数十キロにわたって存在していた山脈で、それが一夜にして全てなくなったという。それほどの規模だったにも関わらず、周囲の町などに被害はなかったため、セリオスの加護だの奇跡だの言われていた。
それが、ツバサがやったことだというのか?!
「ちょ、ちょっと待て! ツバサがそれを? だってこの子は外も見たことないような感じだったぞ?! ずっとあのカプセルに封じられていたんじゃないのか?!」
あまりの驚きに敬語も忘れたユイに警備が銃を向けたが、法王はそれを制して続けた。
「そうとも。その子はずっとあの地下にいた。地下でまどろんでおった。あの天変地異はその眠りを邪魔した当時の人間に向かって放たれた寝言のようなものだ」
言葉を失うユイに法王はたたみかける。
「それをようやくあのように厳重に封じたのがわれわれの先祖なのだよ。だがその封も解かれてしまった。何度も言うが罪には問わぬ。目覚めてしまったものは仕方がなかろう。如何な『破滅』と言えどその子とて一個の命。再び封じるのは忍びない……不憫でならぬ」
とくとくとそう言う法王に見えぬ角度でケイがユイのわき腹をつついてきた。彼が隠し持っている端末を見ろと指図されているようだ。法王に気付かれないようにユイは視線の角度をわずかに変えた。画面にケイが打ちこんだらしい文字が見える。
『法王は俺とお前がツバサを制御できると見ている。俺たちを手中にすればツバサも手に入ると思っている』
ユイはあまりの勝手さにめまいのような怒りを覚えた。法王は『破滅』は欲しいが危険は避けたいのだ。危険を少しでも低くするために、ツバサになつかれているユイたちから先に手なずけるようとしているのだと、ケイはそう指摘している。
その予想は外れてはいないだろう。そうでもなければ自分たちが助かる理由がない。
……断じて受けたりするものか。懐柔などされるものか。ツバサは自分たちが護るのだ。
こんな腐った連中にむざむざこの子を渡してなるものか。
つん、とケイが再びユイのわき腹をつつき、何かを押し付けてきた。『それ』を密かに受け取りながら端末に視線をやると、さっきとは違う文字が画面に出ている。
たったひとこと。
『法王を人質に取れ』
なるほど、とユイは内心うなずいた。この場で一番偉い立場の人間で、他の人間に指図できるのは、目の前でユイたちをなんとか丸め込もうとしている腐った男だ。
さすがケイ、性格が悪いだけあって考えることがエグい。ユイは心底感心した。