四章・壁……越えるべきもの・3
どうやって脱出するかも問題だった。地下道は一本道で、地上に戻る方法はエレベーターだけ。隠し通路でもないかと端末に残っていたデータで探してみたが、そんなものは一切なかった。
しかしこのまま進むのは自殺行為だ。エレベーターで上に上がったところを狙われたらひとたまりもない。出入り口が一つだけの場所では回避のしようがないのだ。
うう、と悩み始めた二人をツバサは不思議そうに眺めている。
「でたい?」
何を悩んでいるのだろうと言いたげだ。
「うん、でもね、問題があってね」
「この先には怖い人がたくさん待ってる。このまま行くのは危ないんだ」
説明する二人に、ツバサはコクコクと頷いてから、何か思いついたようだった。
目を輝かせて天井を指差す。
「ツバサ、できるよ。ユイとケイだしてあげる」
その声につられて見上げた二人の視界が一瞬ぶれた。
「?」
あれだけ鳴っていた警報音も聞こえなくなったと思い、その上とんでもないことに気付いたのは二人同時だった。
「……星……?」
視界一面を埋めるかのような星空。ちょっとまて、ここは地下だったはずだと気付いて周りを見渡す。
――景色は変わっていた。瞬きをするまではどこを見ても地下の岩壁とコケだった風景が、今は緑生い茂る草原だ。
たった一瞬。
それこそ瞬きをするそのわずかな間で、自分たちは地上に出た、らしい。
疑ってしまうような状況だが、ここの空気は澄んでいる。地下の換気もできないようなよどんだ空気とは全く違った。
「ま、まぼろし……じゃ、ないよな?」
ケイを見る。彼もユイを見た。お互いの目には『信じられない』と太い文字で書かれている。今一体何が起こったのか。
自分たちは確かに地下にいた。逃れようがない状態で心底から困っていたはずだ。
それがなにをどうして地上にいるのか。言葉で説明するのは簡単だ。それを意味する言葉は存在している。たったひとこと――『瞬間移動』と。
「ツバサ、だよな、コレは間違いなく」
ツバサがやったこと意外に可能性はない。ユイは魔法士ではないし、ケイも能力者ではないのだ。
「……とんでもないな、しかし……」
あきれたようにケイは呟いた。驚くしかない。多人数を連れて、しかもタイム・ラグのない瞬間移動だ。ツバサが精神集中している様子はかけらも見受けられなかった。だしてあげるといった直後にこれだ。
ありえない。
すくなくとも五皇国に存在している公式記録上で、こんなことができる者は存在していない。裏の記録でも珍しいくらいのレベルだ。
今現在存在している魔法士、能力者の誰をとってもこんなことができる者はいないだろう。
それは、ツバサがケイの知っているどの存在よりも強力な力を持っているということを表している。
「……『厄災』……この子が、『破滅』……」
再び唸り始めるケイである。どうしても納得できない。
その横でユイはぽかんとしていた。
目の前でこんなことをされると、さすがにツバサがとんでもない力の持ち主と実感する。
当の本人はユイにニコニコ笑いかけていて、自分がどれだけ途方もないことをやったのかという自覚もないようだったが。
とりあえず、今ユイがやることはツバサをほめてやることくらいしかない。
「あ。ありがとうね、ツバサ」
手を伸ばし、なでてあげると本当に嬉しそうにツバサはにっこり笑う。
こんなにかわいいのに。とユイもどうしても納得できない。この子に『破滅』だの『厄災』だのという単語は似つかわしくない。
やっぱり何かの間違いだ。そう心に折り合いをつけたユイに現実は襲いかかってきた。
月だけが穏やかに照らしていたラグドラリヴの草原を、人工的な光が、音が切り裂いてゆく。
どうやら侵入者が屋外に逃げたことが警備に知れたらしい。一体警備の人間が何を感知しているのかユイには分からなかったが、とにかくぼやぼやしていると危険だ。見つかったら容赦なく殺される。なにせラグドラリヴという土地は、中に入っただけで死刑になるような場所なのだ。のうのうと突っ立っていたらあっというまに蜂の巣にされる。
「逃げるぞ」
「それしかないな」
我に返ったケイとうなずきあう。とりあえず『破滅』には触れたようだが、世界の滅亡を頼むわけにもいかない『破滅』と分かった以上、ここで死ぬのは嫌だった。なによりこの、常識どころか何も知らない『破滅』を放り投げて殺されるわけには行かない。
『破滅』――ツバサを護らなければ!
「どっちの方向に行けばいい?」
「とりあえず、ヒニア方向に逃げよう。そっちが近い」
端末を切り替えながらケイが指示する。
国境を抜けてしまえば、一時的にせよ追っ手はふりきれるはずだ。少しでも時間が稼げたら、どこかに潜入して隠れることができる。
「よし。ツバサ、行こう」
「いく?」
不思議そうにツバサは小首をかしげる。
「そう、逃げるの。外に行くんだよ」
「そと」
いまいち分かっていないようだが、ユイたちについてくる気はあるらしい。
「ほら、ツバサ、行くぞ」
『破滅』はケイの差し出した手に嬉しそうにしがみついた。それだけでユイにもケイにも充分だった。
この子を護ろうと思うにはただそれだけで充分だった。
ぬくもりを知らない裏神官と軍人にぬくもりを教えてくれたのだから。
護るものを持たなかった彼女たちが、初めて護りたいと思うものを得たのだから。
たとえそれが万人に認められないものでも、もはや手放せない。
手放すことなど考えたくもなかった。
世界を滅ぼしに来た先で『破滅』を護りながら逃げることになるとは――皮肉もいいところである。それに気付いてユイは苦笑した。
世界を滅ぼそうと思っているのに、その気持ちに変わりはないのに、でも、妙に心は晴れやかだ。何故だろう?
『破滅』が目の前にいるからだろうか?
いつでも世界を滅ぼすことができると思っているから?
……そうじゃないな、と彼女は思う。
ツバサにその力があるなどと、全く信じていない。できるとは微塵も思っていない。
万が一ツバサにそんな力があるとしても、ユイにもケイにも頼む気はさらさらないのだ。
この子に腐りきったこの世界を背負わせる気など毛頭ない。押し付けることなど考えたくもない。もっと他の未来をツバサにあげたい、そう思うようになっていた。
自身の未来など何一つ求めず、希望も持たなかった少女と少年は、あろうことか『破滅』に対して未来を、希望を与えてやろうとし始めていた。
それは他人から見たならば滑稽なことに見えるだろう。
愚かなことだと笑うものもいるだろう。
けれど、きっと、ほかのどんなことよりも彼女と彼には。
どんなに急ごうとも強化されていない者と一緒に走っていれば追いつかれるのは時間の問題だ。まして追っ手は、丈の長い草に邪魔されないフライングカーに乗っているのが独特のエンジン音から判別できた。距離がかなり離れていたが裏神官のユイには聞き落とさず判別できる。魔法を惜しげもなくつぎ込んだ空飛ぶ車だ。やたらと高価な上、コストがかかるしスピードもあまり出ないので、そこらで見られるものではないが、ラグドラリヴの警備には採用されていたらしい。足場の悪い草原を四苦八苦して逃げているユイたちにはすこぶる分が悪い。
その上、夜には目立ちすぎる光翼のツバサを連れている。追うのはさぞかし楽だろう。
なにせ他には何もない土地である。遮蔽物がないため、草の上を飛んでいるツバサの光はかなり距離があっても丸見えのはずだ。
「ツバサ、その羽しまえない?」
さほど期待はしていなかったが、ユイは一応訊いてみた。このまま走っていると追いつかれてしまうのは目に見えている。せめて目印になるツバサの光翼が抑えられるなら、まだ視覚的にはごまかせるのではないだろうか。
「しまう」
ひょんと光が消えた。光源がいきなり消えたので、月の明かりに目が慣れていないケイが足元を取られてすっ転ぶ。
「な、なに? その羽しまえるのか?!」
起きあがってそう叫ぶケイの気持ちが悔しくも理解できるユイである。しまえるのなら最初からそうしてもらえば良かった。
「しまう。できる。だめ?」
ツバサは不思議そうだ。何故か地面に降りてしまっている。
「うぅん、だめじゃないよ。できれば外に出るまで夜の間はそうしててほしいな」
ユイがそう言うとツバサはコクコクうなずいた。
「行くぞ」
とにかくツバサの光が消えたのなら、わずかの時間でも追っ手をごまかすことができそうだ。今のうちに距離を稼ごうと走り出そうとして、気付いた。
ツバサが飛ぼうとしない。さっきまでユイたちにあわせた速度で飛んでくれていたのに、今はユイたちと同じように地面を走っている。いかに『破滅』とはいえ子供の足だ。速度は格段に落ちている。まして、ルバサは裸足なのだ。
「……もしかして、ツバサは羽出してないと飛べないのか?」
「とべる」
言うなりホワンと浮かび上がる。が、そのすぐ後に背中に光翼が現れた。
「……ツバサ? 羽、出てるよ??」
ユイが指摘すると本人は困った顔になった。
「むずかしい」
どうやら本人としては光翼が出ている状態が普通らしい。しまうとかえって意識してしまい、力を使うのが難しくなるようだ。この分では力の制御方法も知らないのではないだろうか。それはそれで気になることではあるが、安全な場所まで逃れてから改めて心配することだ。
「……仕方ない。わたしが抱っこしていくから、ツバサは羽しまっててね」
時間が惜しいので、ユイはツバサを抱えていくことにした。ケイを担いでいくよりは百万倍ましである。ツバサは小さくて軽いのでその点でもケイより楽だ。
「行くぞ、ケイ」
「あぁ」
さすがにケイも今は毒舌を発揮しなかった。ユイとしては怪力怪獣女くらいのことは言ってくるかもしれないと予想していて、言ってきたら即座に全力で足を踏んでやろうと準備していたが、彼が何も言ってこなかったので惨劇は起こらずに済んだ。
そのまま走り出す。ツバサを両手で抱え込んだ状態で追っ手に追いつかれたら対抗の仕様がない。