四章・壁……越えるべきもの・2
背中に光翼と尾羽をもつ天使のようなツバサが、世界を滅ぼす『破滅』?
ユイは思わずまじまじとツバサを眺めた。あどけなく、無邪気な笑顔が返ってくる。まさしく『天使』のような笑顔だ。
「……ありえないだろうそれは……」
納得できずに呟く。到底信じられる話ではない。
信じろというほうが無理な話だ。
「こんな小さな子供が『破滅』? 『厄災』? 世界を滅ぼすもの? そんなわけがないだろうが」
ユイの意見にケイは肩をすくめた。
「俺もそう思う。でもな、セトラほどの重鎮がなんであそこまでツバサを警戒するんだ?
どうしてツバサはあんな場所に封じられていたんだ? 考えてみろよ、あそこにあったものは全て内側に向けられていたんだぞ。内側にあったのはなんだ? その中にいたのは誰だ?」
内側に向けての警戒が厳重な施設。通路を進むごとにごつごつとした封印と銃器が増えていった。
あげくのはてのあの封印されていた部屋。中にはキメイラの群れと強力な兵器が、これまた内側に向けられていた。
その部屋の中心にあったカプセル。
その中にいたのは――ツバサだ。死んでいると思っていた彼女は謎の液体の中でも生きていて、あげく厳重な封のされているカプセルからすんなりと抜け出してきた。
少なくとも、並の人間のできることではない。ユイとてそのくらいは理解している。
それでも特殊な能力者か、魔法士なのだろうと想像していた。人間外だというのなら『天使』だろうと思っていた。清らかで、美しく、世界を護るものだと考えていた。
どう見ても『破滅』を連想するような要素はツバサにはなかったからだ。この少女が『破滅』ならばユイにだって世界は滅ぼせるとも思う。
「こんな小さな女の子が『厄災』で『破滅』だなんて……五皇国は頭おかしい集団か。この子に世界が滅ぼせるようならわたしにだって滅ぼせる気がするぞ?」
「まぁ、お前は人間凶器だから破滅といっても嘘ではないけどな」
失礼なことを否定せずにうなずいてから、ケイはツバサに手招きした。ツバサは喜んで、じゃれつく子猫のようにケイにくっついていく。
「ツバサ、ここにはどうやって連れてこられたのか覚えているか?」
問うと少女は首をかしげた。覚えていないのかとユイは感じたが、ケイは質問を変えた。
「そうか、じゃあ訊き方を変えよう。ツバサは連れてこられたのか? それとも最初からここにいたのか?」
「ずっといたよ」
ツバサはあっさりと答えた。自分は連れてこられたのではなく、最初からここにいたのだと。
「ツバサがさいしょ。あいつらきた。ツバサのこときらった。ケイとユイ、ツバサきらいじゃない。だからツバサ、ケイとユイすき」
そう言ってあどけなく笑う。ユイはケイを見た。ケイは真剣な顔で考え込んでいる。今ツバサから得た情報でいろいろなことを予想し、整理しているのだろう。ユイには判断できないこともケイにはできるのだろうから、彼が何か言い出すのを待った。
頭を使うのはケイの役目だ。その視線の前で、何か思いついたのか彼は質問を重ねた。
「……嫌われているのか? どうして?」
訊かれて少女は困ったように眉を寄せた。
「わかんない」
何故自分が嫌われているのか、その理由は分からないがとにかく嫌われているのは理解できるらしい。
「分からないの? でもどうやってあんなふうに封印されたのかとか、ちょっとは覚えてないの?」
「ツバサ、ねてた。わかんない」
ユイの問いにツバサは怒られたと感じたのかしょんぼりと答える。
「ああ、いや、ツバサは悪いことないよ? そんな顔しなくても大丈夫。嫌いになったりしてないからね?」
そういってあげると安心したのか笑顔に戻った。その表情を見てユイもホッとする。やっぱりこの子には笑っていてほしい。
「寝てた? ……あの液体の中で呼吸もしないで生きていられるのか? いや、仮死状態になっていたということもありえる……? 純粋に睡眠なんてあの状態で取れるわけがないし……」
ぶつくさ言っているケイは、また自分の思考に入り込んでいるらしい。
ぼかりと殴って引き戻す。
「ツバサを人間外扱いするな。どっからどう見てもかわいい女の子だろうが」
「あほ。別に人外とは言ってない。ただ五皇国の連中が俺やお前のように考えはしないだろうと言ってるんだ。それにツバサはどう考えても普通の能力者ではないぞ。な、ツバサ?」
ツバサはうなずいたが、理解しているかどうかはちょっと怪しい。
「で、でも」
まだ納得できないユイにケイは壁を指してひとこと。
「あのセトラをあんな風に退けることが普通の人間にできると思うか?」
説得力のある言葉だった。さすがにそれには反論できない。ツバサがセトラを退けたのは間違いないだろう。ユイでもケイでもないのだから、ツバサしかいない。
「……『破滅』?」
ツバサを見る。本人はそう呼ばれてもきょとんとしていた。
――背中の光翼、尾羽さえなければ普通の女の子で通じる。
それはユイとて同じことだ。
傘から刃を引き抜きさえしなければ、普通の少女で通じる。
ケイだって、口を開きさえしなければごく普通の少年だ。
特殊に育った彼女たちだって歩いている分にはとても裏神官や軍人には見えない。
ツバサもそれと同じなのだ。ユイはそう思うことにした。
たとえこの子が人間でなくても、『破滅』であろうとも、ツバサはツバサだ。
「で、どうする」
ケイにそう言われ、ユイは眉をひそめた。何を訊かれたのかが分からない。
「なにが」
「なにがって、何しに来たのか忘れたのか? 俺たちは世界を滅ぼすために『破滅』を探してたんだぞ? で、目の前にその『破滅』がいるんだ。どうする?」
改めて言われてようやく気がついた。そもそもラグドラリヴに潜入したのは世界を滅ぼすためである。この腐りきった世界を消し去るために、自分の命を捨てる覚悟でこんなところまで来たのだ。
……今、目の前には探していた『破滅』があどけない顔で存在している。
ツバサから視線を逸らしてユイは思わず叫んだ。
「宝玉でも魔法でも兵器でも火の神でもミイラでもないじゃないかっ?!」
ケイも負けじと言い返す。
「俺に言ってもしょうがねぇだろうがッ?!」
言い伝えなど微塵も関係ない、可愛らしい女の子の姿だ。さすがにこれは予想していなかった。こんな事態は考えてもいなかったため、ユイもケイも動揺が隠せない。
いたいけな少女に世界を滅ぼしてほしいと頼むのははっきり言って気が引ける。
これが兵器だの魔法だのミイラだの宝玉だの火の神だのと間違いなく人外の存在とわかるものなら、躊躇なく世界を滅ぼせと命令するなり頼むなりできただろうに、現実は天使のような女の子で、自分たちのような人でなしにさえ子猫みたいになついてくる。
いくら裏神官のユイでも、初めて護りたいと思った存在に世界を丸ごと滅ぼせとは言えなかった。
したがって、
「お前言え」
ユイはケイに押し付けた。
「てめぇ、卑怯だぞ?!」
ケイも心境的にはユイと同じらしい。何を見ても大喜びするツバサに、世界を滅ぼせと頼むのは、酷なことを望んでいるのではないかという気がするのだ。少し金があれば誰でも手に入れられる(ケイの物は特注なので他にはないのだが)端末の存在さえ知らなかったツバサ。自分たちの言うことにいちいち楽しそうに反応を返してくる少女。
おそらくは封じられていたために外の世界を知らないのだろう。言葉も知らず、名前さえなかったこの子に世界を消し去ってくれとは――頼めない。
「というか、ツバサにそれができるのか? ひょっとして五皇国の連中がなにか勘違いしているということはないか?」
「ないとは言えんが……ツバサが何らかの力を持っているのは確かだぞ」
「それだって『ちょっと特殊な能力者』くらいのものかもしれないだろう?」
どうにかしてツバサが『破滅』ではない可能性を考え始める。今までツバサが二人に見せた力はかなりのレベルのものではあったが、世界を滅ぼすほどのものではないような気がする。命を奪うとか、何かを壊すなどの破壊的な力は使ってはいない。
作動していた銃器は止めたが、あれも壊すというよりは穏やかに止めたという感じだった。
「……確かめる方法はある」
「本当か? どうするんだ?」
身を乗り出すユイにケイは苦々しく答えた。
「実際頼んでみればいい」
「却下だ!!」
「それしかないだろ、確かめるのは」
ツバサを見る。少女は二人が何を心配しているのか分かっていない。きょとんとして二人を見見下ろしていた。
……何も言えない。ツバサの前で睨み合うわけにもいかず、二人は息をついて妥協した。
「……とりあえず、脱出しよう」
「……そうだな」
とにかくここから脱出するべきだ。セトラはツバサが退けてくれたが、他の警備が来ないとは限らない。ここは決して安全な場所ではないのだ。