参章・開放……ツバサ・5
「分かった、こっちに来い! 扉の内側にも呪符があるんだ、お前たちがそっちにいると反動が殺しきれない、こっちに来い!」
叫び返すとケイは機械につなげていたコードを引きちぎるようにして離し、ツバサの手を引いてユイのほうへ走ってきた。すぐさま彼女の後ろに隠れる。
「ツバサを抱えてろよ」
「分かってる」
彼の声には緊張がある。よほどのことを端末から拾ったのだろう。急ぐべきだ。
彼がツバサを抱えたのを気配で察してから、ユイは刀を振り下ろした。
バチバチと火花が散り、彼女は愕然とする。
――呪符からの圧力で扉まで刃が届かない!
「……この!」
歯を食いしばって力を振り絞る。全力で刃を振り下ろそうとするのだが、呪符はそれを許さない。外側のものより内側の呪符のほうが数段強いものらしく、腕力ではびくともしなかった。
バチンと火花がはじける。ユイの刃は弾き返された。
「なんだ?! だめなのか?!」
「弾かれる!」
特殊な書かれ方をしているのだろう。扉の外側のものはユイの刀でも斬り裂くことができたが、内側のものは物理的な力ではどうにもできないものらしい。すくなくともユイの刀の強度では話にもならないレベルだ。こうなると魔法士でなければどうにもできない。それも並大抵の魔法士では駄目だ。国家間のトップレベルでないと無理だろう。
「どうにもならないのか?!」
ケイの声には焦りがにじんでいる。
ユイは何度も斬りつけたが結果は同じだった。この呪符には彼女の刃は通用しない。
「くぅっ!」
何度目かの火花が散った時、ユイの耳は音を聞いた。
シュー。空気を排出するような音だ。
「!! くそ、終わりか……ッ!」
ケイが絶望に呻く。
「なんだ、この音?」
シューシューと音は勢いを増してくる。
「消火剤だ」
「? 火を消すアレか?」
「そうだ。火を消すものだ」
どこからか注がれてくるのだろう。音は強くなるばかりだ。
ケイはツバサを抱えたまま、うつろに言った。
「……酸素をかき消してな」
「!」
それでユイにも理解できた。火が燃えるためには酸素がいる。酸素さえなければ火は燃えることができない。
そして、酸素がなくなるということは呼吸ができなくなるということだ。
扉が閉まった室内は密閉されている。窓どころか換気口もないのだ。すぐに息が苦しくなってきた。
「くぅ……!」
呻きながら扉に斬りつける。ここから逃げなければ。
自分たちが逃げることが不可能なら、せめてツバサだけでも!
ユイの背後でケイがのどを抑えてうずくまる。強化されていない普通の人間だ。耐えられる時間は短い。ユイでもさほど長くは耐えられないだろう。いくら強化されていても呼吸は基本だ。それができなくなれば無力化される。
「ツバサ……逃げろッ」
「そうだ、ツバサは通り抜けできるんだよね? 早くここから出て! 逃げて!」
ケイはツバサから手を離し、ユイはツバサを壁のほうへ押しやった。ツバサだけなら逃げられる。
「はやく!」
「行くんだ!」
彼女たちの剣幕にツバサは驚き、そして首をかしげた。苦しそうなユイたちを見て不思議そうなそのしぐさでユイもケイも気づいた。
ツバサは苦しそうではない。キメイラでさえむこうで苦しみにのたうちまわっている中で、ツバサだけが平然としている。どんどん空気が薄くなってきているこの室内で。
呼吸をしていないわけではないだろう。この地上の生物である以上呼吸は必然的なもののはずだ。
何故? そう思う間はなかった。
「あっちいけ」
ツバサが一言呟いた途端、いきなり呼吸が楽になった。普通に息ができる。朦朧としていた視界が開けて、事態が見えてきた。身を起こしたユイとケイが見たもの。
自分たちの体を覆うように淡く光る薄い空気の膜がある。シューシューという音はいまだ続いていて、消化剤は注がれているようだ。膜の向こうでキメイラが痙攣しているのがうかがえた。
屈強なキメイラが絶命しかかっていて、自分たちはなんともない。
二人はツバサを見た。彼女たちよりも小さな少女を。
「……これ、ツバサがやってるの?」
空気の膜を指差しておそるおそるそう訊いてみる。少女はこっくりうなずいた。
「ユイ、ケイ、くるしい。くるしいのよってくる。ツバサ、くるしいのあっちいけした」
そう、胸を張る。ツバサがやったと思って間違いはないようだ。
「……うそだろ……」
呆然とケイがつぶやく。にわかには信じられない。
消化剤からガードするだけでなく、同時にこの薄い膜内で酸素を造りだしているのだ。不自由なく呼吸ができるように。それもほぼ一瞬で。
――とんでもない能力者である。いまさらながらそれが分かった。
「ユイ、ケイ、くるしい?」
まだ苦しい? と本人は心配そうだ。
「あ、いや、平気。もう苦しくないよ、大丈夫。ありがと、ツバサ」
ユイが笑いかけるとツバサはほっとしたのかやっと笑い、こう言った。
「ユイ、でたい?」
と、扉を指差す。先ほど必死で扉を斬りつけたので、よほどここから出たいのだと理解したらしい。
「う、ん。一応……」
気弱に答える。どう反応してよいものか。ユイでも歯が立たなかった扉だが、ひょっとしたらツバサには簡単に開けられるのではなかろうか。
そう思った次の瞬間には予想が的中したことを知った。
ツバサが扉に向けて手を軽く振っただけで、あの重かった扉がひとりでに音を立てて開いてゆく。
……もはや何もいえない。ぽかんと口を開けるだけだ。アレだけ苦労して二人がかりで扉を押し開けたのに、ツバサはいとも簡単に開けてしまった。呪符も彼女には意味を成さないらしい。
「……どうする?」
「どうって……出るか、とりあえず……」
空気が抜かれていく室内に長居はしたくない。なによりも思考回路が停止してしまった。
室内へ出た途端、天井に設置されていた銃から弾丸が連射されたが、察知したユイはあっさりとそれを斬りおとした。
続けてツバサが「いや」とひとこと。それで全ての銃が沈黙した。銃だけではなく、さまざまなトラップが全て停止したようだった。
ツバサがやったことはもはや明確だが、なにをどうしてこうなるのか。
魔法や能力を行使したようには見えない。呪文どころか精神集中の様子もなかったのだ。
「いや」のたったひとことである。
「こ、言霊か? でもあれは法暦785年に迷信とオルタ博士が公式発表したはず……ん、いや、それ自体がすでに五皇国の情報操作で、実は隠していた? それならツバサがここに閉じ込められていたことも説明できる」
なにやらケイがぶつぶつ言っている。脳内コンピューターで納得のいく理論を構築しているらしい。
「ことだま?」
聞きなれない単語だったので訊いてみる。侵入した道を戻りながら。
「あぁ、言葉を使っておよそ不可能と思われることをやってしまう能力だ。理論的には魔法に近いが全くの別物で、魔法は元素にしかアクセスできないが、言霊は言葉が及ぶもの全てに影響を与えることができると言われていた。ほぼ万能だな」
「それはたいそうな力だな。で、ツバサがその言霊使いだと?」
「ことだまー」
わかっていないツバサがふわふわ抱きついてくるのを受け止めて、ユイは会話を続ける。
「でも今、迷信だとか言ってなかったか」
「それなんだ。高名な研究者が三十年ほど前にありえないと発表してる。実際に研究が成功した例も残ってない。でもそれも情報隠滅の可能性がないとは言えないしなぁ」
ケイが悩んでいる横でツバサはユイに構ってもらえてご機嫌だ。とてもそんなすごい力の持ち主には見えない。
「で、その『ことだま』ってやつはどうやって発動するんだ?」
何気なくそう訊いたユイにケイはあっさり答える。
「そりゃ言葉でだろ」
「……じゃあ喋れないと発動しない?」
「だろう」
「ツバサは最初カプセルの中にいたぞ? あの中では喋ることなんて無理じゃないか?」
指摘にケイははっとしたようだ。カプセルを通りぬけてきたツバサを見て最初は能力者ではないかと思ったことを失念していた。
「そうか、そうだな、最初ツバサは言葉も理解していないようだったし……くそ、お前に指摘されるまで気づかんとは! 屈辱だ!」
どこまでも腹の立つ男である。ツバサの手前、殴りたくてもできないのでなおさら腹が立つ。
「うーん、じゃあ一体ツバサの力は何に属するものなんだ?」
まだ悩んでいるので死ぬまで悩んでいろとほうっておくことにした。
今はとにかく『破滅』を探すのが先だ。悩んでいるケイはあてにしないでユイは自分で隠し通路などを探すことにした。あの部屋には存在していなかったことは明らかなので、どこかに隠し通路があるはずだ。
『破滅』が本当に存在していればの話ではあるが、ここまで来て何もなかったなど納得できない。あれだけの警備を敷いておいてなにもないほうがおかしい。
絶対に何かあるはずなのだ。
視線をめぐらせるユイをまねているのか、はたまた単に周りが物珍しいのか、ツバサも一緒にきょろきょろしていた。
通路に生えている光るコケを触っては感心したようにうなずいている。
浮き上がって銃をツンツン触ったり、降りてきて床をじいっと見つめたりと、何でも珍しいらしい。外に出たことがないような態度だ。そうするといつからあそこにいたのだろうと不思議に思う。どう見てもツバサは小学年ぐらいだ。幼児とはいかないが言語能力はそれに近かった。
言葉も知らないような女の子をこんなところに閉じ込めて、五皇国は何をするつもりだったのだろう?
ほめられるようなことでないことは確かだ。
「ツバサ、わたしのそばから離れたら危ないよ。こっちにおいで」
よぶと素直に戻ってくる。可愛らしい。なんだか妹ができたみたいで少しくすぐったいような気もする。こんな感情は初めてだ。
誰かを護りたいと思うことなど今までなかった。
任務で仕方なく護ることは多々あったが、自分の意思で何者かを護ろうと思うことなど初体験である。家族もおらず、友人と呼べる存在も作らなかったので、ツバサのように無邪気に寄ってこられるのはちょっと照れる。かといって不快ではないのが不思議だ。
ケイも似たような心境なのだろうか。彼のツバサに対する態度もユイと同じように柔らかい。小さな女の子であろうとすげなくするようなタイプだと思っていたのだが、そこまで嫌な奴でもないようだ。
ツバサはケイのほうに浮かんでいって彼のまねをして腕を組んで首をかしげている。
ほほえましいが状況はそんなに優しいものではない。警報はあいかわらずけたたましく鳴っているし、『破滅』は見つからない。
自分たちが追い詰められているのは変わらないのだ。
「ケイ、お前ここに何しに来たのか忘れてないか」
まだ唸っていたケイにやむなく突っ込む。この男の力がないと隠し通路を見つけるのは至難だ。
「あ? あぁ、そうだった」
思考の迷路からようやく出る気になったらしく、ケイは端末を起動させた。先ほど無理に連結を切ったので、起動に少しかかると言う。厳重なプロテクトに押し入り、あげく強引に接続を切って、それでも壊れていないあたり、さすがに天才の作ったものといえよう。
なまじの端末ならとうに壊れている。
「早くしろ」
機械にうといユイには遅いか早いかの違いしか分からない。せかしてうるさいと嫌がられた。
「機械オンチはだまってろ。なぁツバサ?」
ツバサにふられては言い返せない。ユイは反撃の言葉を飲み込んだ。ケイがツバサに向かって言ったのはちょっとまえの仕返しだろう。ユイにしてやられたのがよほど悔しかったらしい。
今度はどうやってやり返してやろうかと考えていたユイのマントをツバサがくいくいと引っ張った。
「? どうしたの、ツバサ」
「ユイ、くる」
ツバサは通路の先を見ている。何かが来ると言うのか。ユイはケイとツバサの前に出た。
警備が来たのだろうか。侵入者の死亡を確認に来たのかもしれない。扉が開けられたことを感知した可能性もある。どちらにせよ歓迎できる相手ではない。
できれば生け捕りにしたいところだ。ここの警備に『破滅』の存在を問いただすのが一番手っ取り早い。
ユイはそう考えた。油断なく刀をかまえる。
簡単にことをなせると思っていた。ここまで入り込むのは容易だったからだ。
それが甘い判断だったと、彼女はすぐに知った。
足音もなく現われたのはユイが知っている人間だった。
すらりとした肢体に銀色の髪。
五皇国の誰もが知っているだろう高名な――女。
ユイは絶望的な気分でその名を呼んだ。
「セトラ・オウンゴン……!」