参章・開放……ツバサ・4
何の罪もなくても、世界を滅ぼすそのために殺す。世界が滅んだらどうせみな死ぬのだ。
遅いか早いかの違いだけ、それだけだ。
自分に言い聞かせるようにそう考えた。それで納得ができるかどうかは別だったが。
ツバサは機嫌よく浮いている。ときどきユイやケイの顔を覗き込んできては何が楽しいのか微笑んでいた。二人がやることなすこと全てが物珍しいらしく、興味深々で眺めている。
……凄く、やりずらい。無邪気な視線のまえで『破滅』を探すという、わけの分からない状態だ。やりずらいことこの上ない。
それでもそのために来たのだ。警備の人間が来てしまったら自分たちは殺される。
警報が鳴り響く中、焦りを押し殺して辺りを探る。ごつごつした機械や、キメイラが閉じ込められている檻などが目に入った。
「ケイ・カゲツ、あの辺の機械とかはどうだ? 最終兵器っぽくないか?」
「あほ。あれはレーザーだ。あっちはただの銃。あの程度ならイグザイオに普通にある」
どれもこれもケイには目新しい物ではないらしい。『破滅』を呼ぶ最終兵器には到底なりえないものばかりだと彼は言った。
「それよりあのキメイラはどうだ?」
「いや、アレは弱い。『破滅』ではないだろ」
彼が指すキメイラの存在もユイから見たら同レベルのものである。これらのキメイラはとても『破滅』とは思えないくらいの弱さだ。裏神官にたやすく返り討ちにあうような『破滅』などありえまい。
首を振ったとき、ガシャンと音がした。同じような音が続く。
……先ほど、キメイラが出てきたときと同じ音だ。
「まさか……」
嫌な予感は的中した。多数の檻からキメイラが続々と現れる。十や二十ではない。さすがに数が多く、ユイ一人ではケイとツバサを護りきれないだろう。
「! まずい……」
ケイが呻くように呟いた。キメイラだけでなく、機械が作動し始めたのがわかったのである。容赦なくレーザーや銃弾を撃ち込むタイプのもので、完全に侵入者を殺すための兵器だ。キメイラで動きを制限されたところへ、銃やレーザーを撃ち込まれたら避けようがない。ユイだけなら逃げようがあるかもしれないが、ケイはまず間違いなく死ぬ。
どうやら警備陣にここに侵入したことが知られたようだ。キメイラはともかく、機械が起動するには人の手が要る。それを考えると、キメイラの檻を開けたのも警備陣だろう。
確実に侵入者をしとめるために。
「ツバサもいるのに……!」
彼女の存在を切り捨てたのだろうか。それとも彼女は無事逃れることができると見越してのことか。
確かにツバサが逃れることは簡単だろう。彼女には翼があるのだから、それで天井近くまで行けばいいのだ。
「ここまでか……!」
ユイも呻いた。助からないという直感が、痛いほどの絶望感となって心を覆う。ここまで来て、『破滅』に触れることすらできずに死ぬのか。
この腐った世界を滅ぼしてやりたかった……!
「ツバサ、逃げろ」
ケイが頭上のツバサに言い放つ。
「わかるな? 上まで飛んで、じっとしてるんだ。そうすれば助かるから」
「そうだよ、こいつの言うことに従ってね、ツバサ」
ユイもケイも、考えもしなかった。思いつきもしなかった。
自分たちはここで死ぬのだと、覚悟していた。
だから、失念していた。
ツバサもここに『封じられていた』ということを。
「だめ」
あどけない声がした。幼い少女の声。ツバサの声だ。
ツバサはだめと言った。制止とも思えないくらいの普通の声音だ。そこには怯えはない。恐怖もない。キメイラや兵器に怖がる様子もなく、ツバサはすいとユイの前に出た。
「危ないっ!」
とっさに傘も刀も放り投げて、ツバサを抱え込んでかばったユイの目の前で、キメイラは地面に伏した。
暴れる様子もない。凶暴そうな面相とうらはらな従順さで、待てと指示された犬のようにおとなしく伏せている。あっけにとられるユイの背後でケイも気がついた。
「機械が停止した……?」
さきほどまでしていた作動音が聞こえない。目をやると、あちこちの作動を示す光が消えている。
「なんでだ?」
呆然とする。今何が起こったのだろう。ツバサが駄目と言ったらキメイラがおとなしくなり、機械が止まった――のだろうか?
確信は持てない。ツバサはユイの腕の中で抱っこされたことにご満悦なのかにこにこしているだけだ。
「? ツバサ、今なにかしたの?」
「なにか。なぁに?」
本人はきょとんとしている。とぼけているようには見えない。こちらからの質問の意味が理解できていない可能性もある。さっきまで言葉も解らないような反応をしていたのだし、ツバサと意思の疎通を図るのはまだ困難なようだ。
「この子がやった……? いまいち確信が持てんが、可能性としてはそれが一番高いのか」
ケイはそう言ってツバサを眺めた。にこぉっと満面の笑顔を返される。
「解らん……」
すくなくとも外見からはそんなことができるとは思えない。大体、ツバサがまれなほどの能力者としても、能力を使うのであれば必ず精神の集中が必要なはずだ。どんな能力者であれ例外はない。必ず一定の間集中しなければ能力は発動しない。ツバサが集中をしていたような気配はなかった。魔法に呪文が必要なように能力には精神集中が必須なのだ。これは常識である。熟練者であれば魔法も能力も短縮の術はあるようだが、今ツバサは短縮して能力を行使したのだろうか。
「……ツバサ? 短縮の方法って知ってるか?」
尋ねるがツバサはやはりきょとんとするのみ。
「たんしゅく。たんしゅく?」
言葉を理解できてはいるようなので、単純に意味を知らないのだろう。やたらと楽しげにケイの言った言葉を繰り返している。
「だめか。せめて意思の疎通は図りたいよなぁ」
「そつー」
「……難しいようだぞ、ケイ・カゲツ」
ユイはツバサから手を離し、放り投げた傘と刀を拾い上げた。ツバサはそのままケイのほうへふわふわ流れてゆく。空気に乗っているかのようだ。
「とにかく、ツバサに助けられたんだろう? ならお礼を言わないと。ツバサ、ありがとうね」
笑いかける。にこにこしながらツバサは返してきた。
「ありがとー」
「うん。感謝の気持ちだよ」
「かんしゃ」
……ひとつひとつ教えていくしかなさそうだ。その時間があればの話ではあるが。
「それにしても、『破滅』はどこにあるんだ?」
まとわりついてくるツバサの頭をよしよしとなでてやりながら、ケイがぼやく。
いまや室内にあるのは『おすわり』しているキメイラの群れと、動かない機械だけである。
ツバサの光翼はずいぶん縮んで小さくなっており、今は彼女の小さな背を覆うくらいの大きさなので離れた場所は暗くてケイには見えないが、さっきまでの様子で大体のことは頭に入った。
どれも『破滅』とは思えないものだ。目新しいものなどない。珍しいと思ったのはツバサの存在くらいだ。翼と尾羽の生えた人間など見たことはないが、表現するなら『天使』だろう。 『破滅』という言葉とは真逆のイメージである。
ここにいたのなら、ツバサが『破滅』の詳細を知っているかもしれないが、質問しても意味を解ってくれるかどうか疑問である。この子がもし天使なら、『破滅』のことなど答えてくれはしないだろうとの思いもある。
「ここには、ないのか?」
進退窮まった。やはり当初考えていたように『破滅』の存在はデマだったのか?
五皇国がつくりだした、架空の存在。それを真に受けてここまで来てしまった自分たちがひどく間抜けに思える。
「どうする。これ以上ここにいても意味はないぞ」
かといって外に出てしまえば、警備に殺されるのは明らかだ。逃げようがない。ここに来るまではほぼ一本道だった。
その一本道に銃やいろいろなトラップが配置されているので、避けて通るのは不可能に近い。トラップの類は来るときは作動していなかったが、この分では間違いなく作動しているだろう。そのうえ地上に戻る術はエレベーターのみである。
殺してくれといっているようなものだ。
もとから命が惜しいとは考えていないが、この状態は悔しかった。
せめて『破滅』に触れてでもいればまだ満足して死ねたものを。
「他に道はないのか? ケイ・カゲツ。『破滅』がいそうな隠し場所や隠し通路があったりはしないか?」
「可能性は薄いけどな……一応調べてみる」
息をついてケイは端末を起動させた。その辺の機械に接続して、そこからハッキングをしかける。ユイには何をしているかさっぱり分からないが、これらの機械の大元に接続して何かするらしい。素早く端末を操作するケイの頭上でツバサが目を輝かせて端末を覗き込んでいる。
「なぁに? なぁに?」
「これか? これは端末。いろいろできる機械だ」
「いろいろきかい」
納得したのかコクコクと頷いている。本当に理解しているのかは不明だが。
それにしても人懐っこい子である。ユイとケイにここまでなつくとは、奇特な子だ。
ユイはあまり表情を表に出さないし、ケイもお世辞にも愛想が良いとはいえない。
特に子供好きでもないうえに、子供に好かれるタイプでもないはずだ。
天使のようなこの子に、どうして自分たちのような腐った人間がなつかれるのか不思議でたまらない。
「ツバサ、ケイの邪魔をしちゃだめ。大事なことしようとしてるからね」
言って少女を抱えてケイから離す。
「……呼び捨てかよ、おい」
ぼそりとケイがぼやいたのが聞こえた。
意識してはいなかったので言われて気がついた。
「あぁ、そうだな。気にしてなかった。気に障ったか」
「さわりまくりだ、暴力女」
「そうか。ではこれからずっと呼び捨てにしてやる。喜べ」
嫌がらせ以外のなにものでもない。ケイが嫌がるならずっとこう呼んでやろう。
いままで散々言われたイヤミのお返しだ。
「……この女どうにかして殺す方法ないもんかな……ゴキブリ並みの生命力だから洗剤か熱湯かければ一発か?」
ぶちぶち言っている。ゴキブリ扱いにはさすがにカチンときたので穏やかにやりかえした。
「うわぁ、怖いねぇツバサ。こんな大人になっちゃだめだよ?」
「ケイ、だめ?」
「そうだね、だめだね」
にこやかにツバサにそう教えていると、ケイは唸った。
「変なこと教えるなッ」
「わぁ、こわい。怖いねツバサ」
わざとらしいまでの朗らかな声でそう言ってやる。
「く……ッ」
無邪気なツバサに言われてはさすがに強く出ることができず、ケイは歯噛みした。珍しく知恵使いやがってなどと口の中で呟いているのもユイには聞こえていたが、勝ったと思っているので不快には思わなかった。
「ケイ、ユイ、なかよし。けんかだめ。ツバサいや。かなしい」
プルプルと首を振り、ツバサはそう訴えてきた。真剣に二人がけんかするのは悲しいと訴えている少女の様子に、ケンカする気もしぼんでしまう。
仕方なくユイはうなずいた。それとなく話を逸らすつもりで。
「う……うん。分かった……ツバサずいぶん喋れるようになってきたね」
カプセルから出たときより大分語尾が増えてきている。このわずかな時間で、すさまじい学習速度だ。
「ツバサは一体何者なんだろうな」
端末を操作しながらケイは言う。言われた本人のツバサは不思議そうだ。自分のことを言われていると理解しているようだが、答えは持っていないようでキョトンとしている。
ツバサがここに封じられていた理由はなんなのだろう。危険な存在とは到底思えないし、危険度ならキメイラや銃のほうがよっぽど高い。
「ツバサはどうしてここにいたの? 覚えてることある?」
ふと思いついてそう訊いてみた。なにかあるはすだ、ツバサがここに封じられる理由が。
だが、ツバサが何か答える前に、物音が答えた。ズン!と腹に響く音だ。
「?!」
音がしたのは扉のほうだ。大分歩いたためツバサの光は扉に届かず、暗闇の中に隠れてしまっている。だから見えたのはユイだけだ。
あの重い扉が閉じている。
「しまった!」
あれだけの重い扉が自然に閉まるわけがない。警備が操作したのだろう。キメイラか銃で侵入者は始末できたと見越したのか。
「まずい。閉じ込められた」
ケイと力を合わせれば何とか開けられるだろうが、開けている間に狙われたらひとたまりもない。『破滅』にたどり着く前に終わるのは嫌だ。
とりあえずケイの検索が終わるまではヒマなので(キメイラも機械銃も動く様子は全くない)扉を安全に開ける方法がないだろうかと試してみる。刀で何度か斬りつけたら穴ぐらいは開かないだろうかと考え近付くが、内側にも呪符が貼られているので反動が危ないとあきらめた。
ケイが作業中の今は位置的に彼をかばうのが難しい。ましてツバサもいるのだ。
二人を背にかばって反動をうまくやり過ごすには、ケイにツバサを抱えてもらわなければならない。ユイの傘はいっぺんに複数を護れるほど大きいサイズではないのである。
「ツバサ、そっち行くな。ここにいてくれ、暗くて見えない」
ケイがツバサを呼んだ。ユイについてこようとしていたらしい。本当にひな鳥のようだ。
こんな状況なのになんだかほほえましいな、などと感じてしまう。
ツバサは本当に『天使』なのかもしれない。殺伐とした空気もツバサがいると浄化されるような気がした。
ケ イのところへ戻っていくツバサを目で追い――必然的にケイの姿も視界に入る。
光源のツバサが近寄り見えるようになったのだろう。ケイは端末を覗き込み、そして彼の体に緊張が走ったのがユイには分かった。
何かまずいことが起きたとユイは直感する。
「ユイ!扉を開けろ! 開けないと俺たちは死ぬぞ!」
ケイの叫びで直感は正しかったと知れた。