参章・開放……ツバサ・3
「……ついてくるぞ」
背後から、ケイが報告してきた。気配を探ると、確かにケイの後方に気配がもう一つ。
振り返ると、生まれたてのひな鳥のように少女はついてきていた。ふわふわと浮いたまま。
「どうする? ついてくるぞ」
彼には珍しく、心底困った様子でケイが言ってくる。心境的にはユイも一緒だ。
連れて行くわけにはいかないが、置いていくのも危険だろう。万一さっきのようにキメイラが現れたら、こんなか弱い少女はあっけなく食い殺される。惨事は間違いないだろう。
さすがにそれは気分が悪い。ユイが少女をカプセルからひっぱりだしたのだから。
「ううぅ……でも連れて行くわけにもいかない、よな?」
「当たり前だろ、何がいるのかわからんのに」
お互いに困りきった表情で言い合う。まさかこんなところに小さな女の子がいるとは想像していなかったため、対応に困ってしまう。
「まぁ、明るくなって便利は便利だけどなぁ……」
呟くケイに少女は抱きついてきた。あわてる彼にじゃれ付くようにまとわりつき、次はユイへ抱きついてくる。まるで子猫のようである。
「わ、わ、わ」
少女はとても楽しそうだ。そんな可愛らしい表情をされたら、拒むのは可哀想になってくる。かといってこんな危険な場所を連れて歩く気にはなれない。この子が強力な能力者だとしても、子供なのだ。まして言葉も通じないような子である。
「なんとかしろ、ユイ・ヒガ。まがりなりにも女という子供を産む生き物だろうが」
「わたしには向いていないということくらい想像がつくだろうが。お前こそその御自慢の脳みそからいいアイディアは浮かんでこないのか? ケイ・カゲツ!」
言い合う二人をじっと見ていた少女が、不意にユイを指した。
「ゆい?」
「え」
今度はケイを指す。
「けい?」
喋った。たどたどしい発音ではあったが確かに言葉を発した。
「う、うん。わたしはユイ・ヒガで、こっちはケイ・カゲツだよ」
さっきまで言葉などわからないようなそぶりを見せていたのに。少女はこの短い間に『ユイ』と『ケイ』が二人の名前だということは理解したようだ。
「そう言えば……お前、名前は? あるのか?」
ふと気付いたケイがそう尋ねる。
「ナマエ」
少 女はにこにこ。覚えたての言葉が嬉しいのか、輝くような笑顔だ。しかし、会話は通じていない。
「……わかってないな?」
ケイはユイを見た。お前も何とかしろと、目が語っている。
「え、ええと、名前。わかる? わたしはユイ。それが名前。あなたの名前は?」
少女はきょとんとし、ユイを指した。
「ゆい?」
「うん、それが名前」
ケイを指す。
「けい?」
「そう。それは俺の名前」
そして少女は自分を指差した。
「なまえ」
さっきとは微妙に発音が変わった。なんとなく、要求されているような気がする。心なしか少女の視線も要求しているように見えた。
「これって……」
ケイを見ると彼もそう感じているのか、こう言った。
「つけろってことか?」
自分に名前をつけてほしいと少女は言っているようだ。
「この子、名前もない……?」
初めてそのことに気がついた。カプセルにはそれらしい名称など一切書かれていなかったし、少女がいつから閉じ込められていたのか定かではないが、教育すら受けていないのであれば名前がないこともうなずける。
「なまえ」
少女は宙に浮かび上がり、くるんと逆さになってユイの顔を覗き込んできた。早くつけてとせかされているようで、かえってあせる。
「え、ええっと、えっと、あ! ツバサ!」
あせりながら考えて、とっさに頭に浮かんだ単語を口にしてしまった。
「なまえ、ツバサ?」
少女はぱぁっと花咲く笑顔をみせた。そんなに喜ばれては、頷くしかない。
「う、うん、ツバサ」
少女の背にある光の翼が頭にあったせいだろう。ついそう言ってしまったとは今更いえない。だがケイにはすぐさまあきれたように指摘された。
「……ひねりがない」
「う、うるさい!」
自分でも分かっている。反射的に考えたのだから仕方ない。それでも反発は覚えるので言い返してやった。
「だったらお前が苗字のほう考えろ!」
ユイのその突っ込みは予想外だったようで、ケイは数瞬黙った。少女も今度はケイの頭上に移動し、彼の顔を覗き込む。
「…………ひ、ヒヅキ、とか」
どもりながらもそう答える。その様子から、彼もかなりあわてて考えたと知れた。
一見関連性がないように感じてユイよりはひねったようにも思えたが、待てよと彼女は少し考えた。
ようは日と月だ。そして、ユイの苗字はヒガ。
ケイの苗字はカゲツ――月である。
気付くなり猛烈な勢いでユイは突っ込んだ。
「わたしとお前の苗字からめただけだろうっ!」
人のことは言えず、ケイもまた単純に頭に浮かんだ単語を口にしただけに違いない。
「お前よりましだ! 俺はひねった!」
「半回転ぐらいしかひねってない!」
低レベルな会話である。なおもぎゃあぎゃあ続きそうだった口喧嘩はすぐに止まった。
「ツバサ・ヒヅキ、ツバサ、ツバサ、ヒヅキ・ツバサ!」
低レベルな争いを止めたのは少女――ツバサの嬉しそうな声だった。あまりにも嬉しそうな顔をするので、ユイもケイもちょっと後悔した。もう少し考えて、もっと可愛らしい名前にすればよかった、と。
もっといい名前がないかなぁ、と考えて、気付いた。
それどころではない。ツバサにせがまれつい考えてしまったが、状況はそんなのんきなものではないのである。早く『破滅』を見つけて目覚めさせなくては警備が追いついてきてしまう。
「こんなことしてる場合じゃない。急いで『破滅』を見つけないと」
ケイもはっとした。状況を思い出したらしい。ツバサに流されて時間をかなりロスしてしまった。いそいで視線を走らせるが、部屋が広すぎる。ユイには支障なく見渡せても、どれがそれらしいものか見当がつけづらい。見当をつけられるケイには暗いと周りが見えない。だからといって暗視スコープは危なくて使えない。光の翼をもつツバサのそばで暗視スコープなど使えば反対に目が焼ける。
問題のツバサが二人から離れる様子もない。鳥の雛が思い込むように、刷り込みでもしてしまったかのようだ。名前をつけてあげたせいもあるのだろう、完全になつかれてしまった。
「くそ、せめてもう少し明るければまだ見えるのに」
ケイのぼやきに反応したのはツバサだった。
「けい、みえない?」
たどたどしくそう言って彼女はケイの頭上に移動した。
同時に光が室内にあふれる。驚いてツバサをみると、彼女の光翼と尾羽が大きく広がっているのが見て取れた。先ほどまではツバサの体より少し大きいくらいの大きさだったのが、今は室内全てを覆うくらいの巨大な光だ。どうやら伸縮は自在らしい。
「みえる」
これで見えるでしょ? と言いたげにツバサは小首をかしげた。ケイは言葉も返せず唖然としている。
あまりにも非現実的な光景だ。
光の翼を持つ少女。天使のような女の子。
「……神学をもっと研究しておくべきだったかな……」
ケイの呟きにユイも同感だった。天使など神学や伝承、おとぎ話の中だけの存在だと認識していたのに、実際にその存在を目にするとは。
しかも、『破滅』を求めて訪れた場所で天使に会うとは皮肉もいいところだ。
自分たちは世界を滅ぼしに来たのに。
「つ、ツバサ? あのね、わたしたちは危ないことをしに来たの。お願いだから邪魔しないでね?」
世界を滅ぼしに来たと、この子が知ったらどうするだろう? そう考えてぞっとした。
この子が天使なのだとしたら、世界を滅ぼそうとする自分たちを止めるだろう。天使とは世界を護る神の使いだ。神学ではそう言われている。まかり間違っても、世界の滅亡を望んだりはしないだろう。それならば、ツバサは自分たちの敵だ。戦うことになる。
――だが、自分にこの子を斬ることが出来るだろうか?
今も無邪気にニコニコしてユイにすり寄ってくるツバサ。
か弱い女の子だ。可愛らしい女の子だ。弱く、善良な存在だ。護ってやらなければならない生き物だ。そして、この子をカプセルから出したのは自分だ。
五皇国の犠牲者のこの子を斬る――その覚悟はできるか?
無慈悲な裏神官として、手を下す覚悟はあるか?
考えながら、視線をめぐらせる。『破滅』を見つけたら。
もしもツバサが天使なら。
(……自分たちはこの子を殺さなければならない。)
絶望のまま世界を滅ぼそうとしている二人は、この子供を、殺すのか。
……殺せるのか?