弐章・破滅の地……厄災の間・3
「イグザイオがからんでいるのか? イグザイオのコンピューターにデータがあったということは」
軍事国家イグザイオならなんらかの兵器だろうかと考えたユイだが、ケイは首を横に振った。
「いや、他の国でも同じだった。念のために他国のあちこちにハッキングかけて調べたから確かだ。どの国にも同じ地図が存在している。セイリオスでも、ヒニアでも。だから、どこかの国が率先して兵器開発や魔術開発しているってわけでもないらしい」
どこの国にも同じデータが存在していたということで、ケイは何かの存在を確信したと言う。五皇国のどれもが恐れる――あるいは敬う、何かがある、と。
「何かが存在しているのは間違いない、か……問題はその『何か』が何なのかだけど」
「ま、他人を救うものではないだろうな」
あっさりとケイが断言する。その点ではユイも同感だった。万人の役に立つようなものなら隠す必要はない。隠すということはその時点ですでにやましいということだ。
公にできない何か。きな臭いことこの上ない。
「お前でもそれが何なのか調べられなかったのか?」
「無理だった。そもそもデータが存在していない」
「? どういう意味だ」
汲み取れずに聞き返す。
「データ化しているなら俺の手にかかれば間違いなく見つけることができる。俺が見つけられなかったんだからデータ自体がないってことだ」
「だから、どういう意味だ?」
「……脳みそ使えよ、データ化すらできないってことだろ。いいか? データとして残すのもやばいってことだ」
そう説明されて、ようやくユイも理解した。痕跡も残せないほどのもの。少しでも残ってしまったらまずいもの。
「なるほど。それは確かに『破滅』っぽいな」
ケイが断言するだけのことはあるのかもしれない。
なにはともあれ、これで向かう先の見当はついた。ケイのナビがあればさほど迷うこともないだろう。ここで彼の手を借りることができたのは幸運だった。世界には気の毒なことだろうが。
「……そう言えば、お前何故セイリオスにいたんだ? ラグドラリヴに行くならイグザイオからだって行けるのに」
方角を確かめてから、ふと気づいてそう訊いた。
「あ? あぁ、一応カモフラージュだ、休暇とって旅行を装った」
「それで大荷物を背負っているのか? 置いて行け、邪魔になるだけだ」
親切心からそう忠告した彼女にケイはかえっていぶかしげに返す。
「お前は何でそんなに身軽なんだ? まさか食料とか用意してないのか?」
「……ってそれ、食料なのか?! 一体何日かける気だっ?」
「いや、着替えとかも入ってる」
あきれて脱力しかけたユイだが、かろうじて問いかける。
「……なんのために」
「ここに入るまでは私服だったんだ! 旅行の名目で来てんだから当たり前だろう!」
森に入ってから制服に着替えたということらしい。何が起こるかわからないのだから、防弾、防刃の制服に着替えるのは間違っていない。間違っているのは他のことだ。
「……ケイ・カゲツ」
「なんだ」
「お前山歩きとかしたことないだろう」
「……ねぇよ」
ため息をついてユイは言った。
「悪いことは言わん、荷物は置いていけ。置いていくのがいやなら、もう少し持っていく物を絞りこめ。途中でばてたお前を背負っていくなんてわたしはいやだ」
先ほどとは立場が逆になった。今度レクチャーを受けるのはケイだ。
不要なものは置いていくに限る。帰ってくることを考える必要がないのだから、身軽に動くことのみ考えればいい。ようは『破滅』のもとへたどりつき、それを目覚めさせれば終わるのだ。世界も、自分も。
後のことを考える必要はない。『破滅』を目覚めさせた瞬間に終わりは訪れるのだから。
目覚めなくとも自分たちはそこで終わる。どのみち先などない。
「水と食料は最低限でいい。あと、着替えも必要ないぞ。いくらなんでも今日中にはつくだろうし……まぁ、上着の一枚くらいにしておけ」
「わかった、そうしよう」
ケイは素直にユイの言葉に従った。得意な分野が違うというのは理解しているのだろう。変に意地を張るのも馬鹿くさいと思っているようだ。
「武器のたぐいは……お前がいるからいらないな?俺は銃とかナイフとかの扱いは、はっきり言って素人だからな、あてにするなよ」
「あてにしろと言われても絶対にしない」
ユイは断言した。ケイに格闘などを期待する気は毛頭無い。
「お前は頭だけ使っていればいい。戦うのはわたしの役目だ」
「……男前だな……性別間違ってないか?ユイ・ヒガ」
「殴るぞ」
「やめろ。お前に殴られたら軽く死ねる」
まがりなりにも軍人のクセに、体力に自信のないケイはあっさりと白旗をあげた。
大体、体を鍛えたことなどない少年だろう。鍛える暇があるなら、そのあいだに機械を一台作り上げるはず。もちろん山歩きなど初体験に違いない。
「それから、俺が足手まといなのは確実だ。だからって置いていくなよ」
「そうしたくてもできない。お前のナビがなければ遭難しかねないから」
殺伐とした相談をし、お互い一蓮托生だと再確認した。
ユイの戦闘能力、ケイの頭脳、どちらが欠けてもたどりつけないだろう。
「よし、こんなもんか」
さほど時間をかけず、ケイの荷物整理は終わった。リュックから出した物は茂みの中に押し込んで置いていく。
方角は大体ユイの身体感覚で分かるので、森の中で迷うことはないが、万が一ということもある。ケイが彼女の後ろからフォローするということで前後に並んで歩く。
見た感じは、華奢な少女の背中に背の高い少年が庇われているという、すごく情けない光景である。実際は少女のほうが遥かに強いのだが、いかんせん見た目が可愛らしいためとてもそうは見えない。親鳥を雛が守っているような印象だ。
本人たちには違和感はまるでなく、当然だと思っている。適材適所という言葉通りに。
自分たちの得意分野をきちんと自覚しているのだ。迷いはない。
深い森の中二人連れ立って歩く。時折時間を計りながら、国境警備とかち合わないよう気をつけた。無駄を省き、ひたすら先を急ぐ。一人のときとは違い、体力的に劣るケイが同行しているため、時間のロスは増える。日が暮れる前にはラグドラリヴに入るつもりだったが、このペースでは日が暮れてからの潜入になりそうだ。
かえってそのほうが都合は良いだろうという気もする。潜入は視界が利かない暗闇の内に、というのが彼女にとっての常識だ。夜の闇は裏神官の彼女にとって妨げにはならない。
問題は同行者ケイの夜目がきくかどうかだが、最悪、手を引いて引きずってやればいい。
触るのは嫌だが、用が終わるまでならなんとか辛抱できるだろう。
「……変な感じだな」
後ろを歩くケイが不意にそう呟いたのが聞こえた。
「なにがだ?」
振り返らず、歩みも止めずに訊き返す。
「よりによってお前と世界を滅ぼしに行くとは思わなかった」
「それはそうだろう。わたしだってお前がいるとは思わなかった」
最初は自分一人でラグドラリヴに行くつもりだったのだ。ケイの力は確かにありがたいが、あまり口に出したくない。ユイはそう思ってそう言ったのだが、
「……本当に知らないのか? ユイ・ヒガ」
ケイは心から意外そうにそう訊いて来た。
「……? なにを」
問われる意味が分からない。
「……いや、知らないならいい」
「何だ? 気になるだろう、言え」
気になると言いつつも振り返らないユイである。彼女が振り返らないのでかえって安心したのかケイは話し出した。とんでもない爆弾発言を。
「……あと何日か後に俺とお前の結婚が決まる」
――バランスを崩してユイは転びそうになった。
かろうじて踏みとどまり、傘に手をかける。刃を引き抜きたくなるのを必死にこらえながら、なんとか声をしぼりだした。
「な……ど、どういうことだっ?」
「俺が知るか。セイリオスとイグザイオの上層部が勝手に決めたんだろう。当然俺の意思じゃない。お前の意思でもない……よな、その様子だと」
ケイは心底からほっとしたようだった。その心境はユイにも分かる。
「当たり前だっ!!」
「良かった……どうしても俺と結婚したいとか言われたら、俺はここで舌を噛んで死のうとか思ってたぞ」
失礼この上ないことを言う男である。しかも心底安心した様子で言っている。
「こっちのセリフだ……なんでお前なんかと……うわぁぁぁ、冗談でも嫌だ!」
ユイはユイで鳥肌を立てている。しかし二人とも足を止めないのはさすがだろう。
「どこから出たその話っ!? どこのどいつが企んだっ!?」
「企んだのは両方の国だと言ってるだろ。で、話が始まったのはこの間の一件からだ」
ケイが指した『この間の一件』というのは先日の護衛の話だろう。本来ならユイが行く必要もない仕事だったアレだ。高司祭と軍人の護衛は名ばかりで、実際はケイの護衛だったのだと思っていたあの一件。
「アレがすでに見合いの一環だったらしい。変だとは思ったんだよな……やたら簡単に俺を置いていったし、護衛のお前を連れて行かないで別室に移っていったりして」
言われてみればおかしいことだった。護衛として連れてきたユイをあっさりと置いていったことも、体を動かすのが苦手なケイに少し鍛えてもらえなどと言うのも変だった。
あの時はどうでも良かったのでいい加減に受け流していたが、こんなことだと知っていたら断固として拒否したものを。
「そういうわけで、俺は世界を滅ぼそうと思い立ったわけだ。世界が滅びるかどっちかが死なない限り結婚の話は消えないだろ。お前が死ぬのを待つよりは世界を滅ぼそうとしたほうが早い。どっちも駄目なら最後に自殺を考える。イグザイオにもいい加減うんざりしてたしな、ちょうどいいきっかけだった」
人から見ればいい加減極まりない理由だ。本質はそれだけではないのだろう。だが、きっかけの一つになったのは間違いない。
「恐ろしいこと考えるよな、俺の頭とお前の身体能力をかけあわせようと企んだんだろうが、逆だったらどうすんだ? 頭ぱーで体も鈍いなんて最悪だろ」
「ヤメロ。想像させるな。おぞましい」
ユイの拒絶にケイは乾いた笑い声で答えた。
「はっはっはっ、俺だって知りたくもなかったわこんな話! だが一人で鳥肌立てるのも嫌なんでな!おまえも味わえこの悪寒を!」
「い、いらんことを言いやがって……! ほんとうに嫌な男だなお前は!」
ざかざかと乱暴に進みながらユイは自分の腕をさすった。本気で鳥肌をたてている。
おそらくは背後のケイも似たような状態なのだろう、足音が乱れている。
こんなことをきいた以上、後戻りはできない。絶対にしない。帰れば待っているのは心底嫌な奴との結婚だ。彼女の意思も彼の意思も関係ない、政略結婚というのも生易しいほどの強制だ。ただ優秀な兵士を作り出すためだけの道具。
五皇国は簡単にユイ達を切り捨てるうえに、簡単に左右するのだ。
人生も、生き死にも、何もかもを全て。
「……しかし、どうやって知ったんだ? わたしはまだそんな話かけらも――」
言いかけて、ユイは言葉を飲み込んだ。
そういえば、と思い当たることがあったのだ。
今朝方、ラニと交わした彼女との最後の会話。
彼女はユイの異性観を訊いて来た。
その前の晩、送迎をした運転手も彼氏がどうこうと言ってきた。
ラニは個人的興味と言い、運転手もそうだろうと思っていたが、実は上層部からの命令だったのではないか?
ラニの態度はあからさまにおかしかったし、運転手も今考えるとあんな態度は変だ。
どうやらユイ本人の知らないところで国はちゃくちゃくと準備を進めてきたようだ。
「……アレがそうだったのか……」
「? なんかあったのか?」
「なにかというか……調査はされていたらしい。今朝方同僚に異性観を訊かれたばかりだ」
ゲンナリと答える。ケイも似たような心境らしい。脱力したような声で言ってくる。
「うわ。直球か」
「本人は個人的興味とか言っていたが……」
「なわけないな、このタイミングで」
断言された。ユイもそう思う。
「ちなみに俺は日課のハッキングでその情報を拾った。ガセじゃないぞ。信じられなくていいだけ調べたからな」
嘘や冗談ならどれだけ良かったか、などとも呟いている。全く同感だった。冗談にしては質が悪すぎる。訊いた本人たちが死にたくなるようなことを企むとは。
おそらく互いの恋人の有無を調べていたのだろう。素行調査もかねていたはずだ。ふさわしくない相手とつきあっていないかどうか、いわゆる不純異性交遊というやつ。
そんなヒマなどないような生活をしているということくらい分かっていそうなものだが。
「……ラニは知っていたのかな?」
ふとそう思った。あれだけケイさんケイさんと騒いでいたのに、ユイとケイの結婚話のためにユイの異性観を訊いてくるなどおかしいではないか。
「ラニ?」
「ああ……同僚だ。午前中に事件に巻き込まれて犠牲になったとTVで見た」
お前に惚れていた奇特な娘だよと言ってのける。今はもういない彼女。ケイに連絡してほしいと願っていた彼女。
「……ラニ・ソルトか?」
「? 知っているのか」
「いや、直接は知らん。ただ、今朝のハッキングで見た名前だった」
セイリオス国内の情報を探っていた時に見た、とケイは言った。
「……『処分』の筆頭にあげられてたぞ」
「?!」
本当に仲悪いな、この主人公たち、と作者でも思います(笑)