第4話 フォーチュンクッキー
今日もまだ電話は一度も鳴っていない。
「暇です、テバサキさん。」
暇を持て余したクオンはテバサキに話しかけてみる。
「自分で何とかしろ。ここで生きていくには暇な時間とどう向き合うかしっかり考えられるようにならないといけないぞ。」
「かっこいい風にダサいこと言ってるんだよな、この窓際族。」
「何を言っているんだ、クオンのほうが窓に近い席に座っているだろ。窓際族って言う奴のほうが窓際族なんだよ!」
「うわ、小学生みたいなこと言ってるアラサーがいる。」
いつからかクオンはテバサキに対して、張り詰めるほどの緊張感は抱かなくなっていた。大出校でのマスラオーやカラマリの態度から、テバサキがとても信頼の置ける存在であることは微かに感知したものの、クオン自身はまだテバサキに助けられたような実感はつゆほどもなかった。そのため、ちょっとヌケサクな言動があるだけの、愉快な近所のお兄ちゃん程度の接し方に無意識に変わりつつあったのだ。
「お二人ともお暇なら、お茶でも淹れましょうか。母が友人からキーマンの茶葉を頂いたらしく、私にもおすそ分けに、といくらかもらったので。」
「キーマン!?」
クオンは目を丸くして言った。
「キーマンって何だ?重要人物?」
テバサキがきょとんとした顔で言った。
「それ冗談で言ってるなら面白くないし、本気で言ってるならあまりにも日本語能力が低すぎてドン引きします。」
「うるさいな窓際族は。」
クオンを一睨みしたテバサキはルリイに言った。
「どうせ良い紅茶ならティーポットに入れて本格的に嗜もうじゃないか。ルリイは以前、自分用にティーポットをこの校舎の休憩室に持ってきていたよな。」
ルリイが一瞬動揺したように目を泳がせて言った。
「なぜそれを…?」
「休憩中にお茶していたじゃないか。普段からは考えられないようなとろけ顔で。」
「休憩室を覗いていたんですか。」
「ノックして普通に入ったぞ。ルリイが気づかなかっただけなんじゃないのか。」
「校舎長………セクハラです。」
「気づかなかったのそっちだよ!?」
クオンはルリイが表情を変える瞬間を見たことがなかったので、テバサキを少し羨ましく思った。
「と、とりあえず、お湯を沸かしてきます。少し待っていてください。」
ルリイは無表情ながらも、そそくさと休憩室に引っ込んでいった。
「ルリイって、ずっと無表情を貫くつもりなんですかね。仮にも同じ校舎で働く仲間なのに、分厚い壁を作られているみたいですし、少し寂しいです。」
クオンがルリイの消えた方向をぼんやり見つめながら言った。
「ルリイはルリイなりにいろいろ考えていることはあるんじゃないのか。少なくとも一人で紅茶を飲んでいるときは、いつもみたいに氷の女王のような冷たい無表情ではなかった。だから笑顔を知らない子ではないんだろう。」
「そうですね。ちょっとずつ仲良くなる努力をするしかありませんね。」
そう言ってクオンは大あくびをした。先ほどからずっとダラダラとしていたので、睡魔が襲ってきていた。
黒野校の扉が開いた。
「おいっすー。黒野やってる?」
クオンが黒野校に配属されて初めて、客人が来た。その客人の顔を見て、クオンの大あくびは一瞬で引っ込んだ。
「部長!?」
「よおクオン、元気か?」
「え、はい、元気です。」
「大あくびしていたが寝不足じゃないのか?」
部長がいじわるな目つきでニヤリとしながらクオンを見た。部長は恐らく40代であるが、黒のスーツに黒いシャツ、濃い青のネクタイをして背が高く痩身であり、顔の皴も少なく見た目だけなら20代後半と言われてもうなずける見た目をしている。テバサキと同い年、でも問題ないレベルだ。
「いや、えっと、その…。すみません…。」
クオンのどぎまぎした反応を見て部長はくしゃっとした笑顔で言った。
「冗談だよ。黒野校は、曾倉塾のどこかがトラブったらどの校舎よりも忙しくなる可能性があるからな。何もないなら、それが一番さ。」
「それより部長、どうされたんですか。」
テバサキが真顔で部長に問いかけた。
「特に用事はないよ。ただ黒野校の職員の様子を見に来ただけ。あと、差し入れだ。」
そう言って部長は簡体字で書かれた胡散臭いビニールの菓子袋をカバンから取り出した。幸运饼干と書いてある。
「幸運の…何かですね。もち?」
いつの間にかデスクに戻って来ていたルリイがその文字を見ながら言った。
「お、ルリイ読めるのか」
テバサキが言った。
「大学の第二言語で中国語を勉強していたので。」
「ってか中国語で『幸運』と名の付くお菓子ってフォーチュンクッキーじゃないですか?」
クオンが続いた。
「二人とも教養があるな。その通り。嫁が中国に旅行に行ってて、そのお土産。」
部長はそう言いながら袋を開けた。そして個包装になっていたクッキーを2個ずつ、テバサキ、クオン、ルリイに手渡した。
「ありがとうございまーす。」
テバサキは受け取ったクッキーの包装を開け、颯爽と口に放り込んだ。
「なんか味うすいっすね。中国クオリティ。」
そう言いながらテバサキはボリボリとクッキーを咀嚼していた。その様子を見ていたクオンとルリイは絶句していた。部長は可笑しそうに肩を揺らしている。
「え、なに?」
テバサキはきょとんとした顔で3人をそれぞれ見た。キーマンの話をしていた時と同じ顔だったので、クオンはひょっとしたらテバサキは本当にキーマンを重要人物だと思ったのかもしれないという邪推がよぎり、それを必死に払拭した。
「フォーチュンクッキーっていうのはクッキーの中におみくじが入っていてですね。」
ルリイが少しばかり眉間にしわを寄せながら言った。
「え、おみくじ?クッキーでできたおみくじが入ってるのか?食べちゃったよ。」
「いや、クッキーではなく紙が入っているはずなのですが。」
「紙?入ってないぞ。」
そう言いながらテバサキは口をモゴモゴしていた。舌で紙を探っているようだ。部長はクックックと笑いが漏れていた。
「あ、あった。」
そう言ってテバサキは唾液で湿ったクッキーを口から取り出した。部長は耐えきれず噴き出していた。
「うわ、きったねー!」
クオンは飛びのきながら叫んだ。ルリイも無言でテバサキから距離を取る。
「紙が入ってるなら先に言えよ、クオン。」
テバサキがクオンに言った。
「普通の大人なら言わなくても知ってるんだけどな。あと、そのサイズのクッキーを一口で食べるやつも滅多にいないんだけどな。」
「普通の大人じゃない、まあまあなサイズのクッキーを一口で食べるというベン図の稀有な共通部分にテバサキさんが不幸にも当てはまってしまったんですね。アンフォーチュンクッキーですね…。」
クオンが言った。
「まって、お前クオンにテバサキって呼ばれてんの?」
またしても部長が肩を揺らしながら言った。
「はい、まあ。別にいいかなと。」
残ったクッキーを咀嚼しながらテバサキが言った。
「え~じゃあ俺も今度からそうやって呼ぶな。」
「お好きにどうぞ。」
「よし、じゃあテバサキ、おみくじの中身見ろよ!クオンとルリイも見ようぜ。」
部長は楽しそうに自分のクッキーも袋から取り出した。テバサキは少し湿った紙を広げた。
「英語でグッドラックって書いてあるな。でも説明書きは中国語だ。何でどっちかの言語で統一しないんだ。」
「中国クオリティですかね。」
とクオン。
「グッドラックって大吉なのか?そして中国語は読めないから何て書いてあるか分からないぞ。ルリイ読めるか?」
「スマホのカメラで翻訳したほうが早いです。」
靴下を左足だけ履いておくと運気が上がります。
「は?」
テバサキのおみくじに書いてある内容を翻訳し、ルリイ以外の3人が口をそろえた。
「え、このクッキーこんなふざけた占いなの?」
クオンがつぶやき、部長がクオンに言った。
「クオンのやつはどうなってるのか見てみろよ。」
クオンは紙を口に付けないように丁寧にクッキーを齧り中から紙を取り出した。
「アンサーテンラック…あんまりよくなさそう。不確かな運…。」
「説明書きには何て書いてあるんですか。」
ルリイがクオンの手元を覗き込んだ。クオンは自分のカメラで紙を映し、翻訳した結果を読み上げた。
「孵化前のアヒルの卵をゆでたものを今日の晩ご飯にしましょう。」
部長が声を上げて笑った。クオンも思わず言った。
「食えるかそんなもん!ってか中国の食文化すっご!!!」
「中国よりかはフィリピンみたいです。バロットと言うらしいです。」
ルリイがそそくさとキーボードを叩いていた。
「へぇー、本当にあるんだ。よかったなクオン。晩ご飯決定だ。」
部長が意地悪な目つきをしてクオンに言った。
「ルリイはどうなんだよ。早く開けて読んでみなよ。」
クオンが促し、ルリイは紙を取り出した。
「ミスフォーチュン…。」
ルリイがつぶやいた。
「俺でもわかる、それは凶だな。残念だ。」
テバサキがわざとらしく落ち込んだように言った。
「でも凶から挽回できることが書いてあるかもしれないですよ!」
そう言ってクオンがルリイのおみくじの説明書きを翻訳した。
「常に椅子からお尻を浮かして、座らないようにしましょう。」
「空気椅子ってことだな。」
部長が言った。
「ふざけすぎですねコレ。部長はどうなんですか。」
クオンが部長の方を見やった。
「そうだな。俺のを開けるか。」
部長がクッキーから中身を取り出し、読み上げた。
「うお、グレイトラックって書いてある!大吉なんじゃね!?」
「たしかにそうっぽいですね。説明書きを翻訳しますね。」
そしてクオンが翻訳結果を読み上げる。
「行く先々で色々なおばあちゃんに絆創膏を1枚もらえるでしょう。」
「いらねえ!ケガもしてないのに絆創膏を渡してくるおばあちゃんは何者なんだよ!ってか大吉ってそんなレベルなのか!?」
部長の言葉にクオンは噴き出した。
それからルリイの淹れてくれたキーマンを飲みながらフォーチュンクッキーの説明書きを読んで4人でしばらく盛り上がっていた。
逆立ちをしながらABCを逆の順番で言いましょう。10分ごとに歯磨きをしましょう。ペットショップのチワワのケージの前で「兄さん…。」と意味ありげにつぶやきましょう。人の家に招待されたときに飲み物は何がいいかと訊かれたらドレッシングと答えましょう。
どれも絶妙にスベっていて、それが逆に面白かった。
それぞれ数個ほどクッキーを開けたころ、テバサキが不意に何かに気づいたように立ち上がり、ルリイのもとへ歩いて行った。そしておもむろにルリイの座っていた椅子を蹴飛ばした。
一瞬、クオンは何が起こったか分からなかった。なぜならキャスターのついた椅子はテバサキに足蹴にされたことで壁まで滑っていったにも関わらず、ルリイはバランスひとつ崩さずに先ほどまでと同じ体勢を保っていた。
「ルリイ、ずっと空気椅子してたのか?」
そのテバサキの言葉を聞いて部長とクオンは全てを理解して笑い転げた。
「え、ルリイってそういうの信じるタイプなのか!」
と部長。
「ルリイのキャラクター的にそういうのバカにしているタイプだと思ってた!意外な一面だ!」
とクオンも言った。ルリイは一瞬だけ頬をピンクに染めたものの、すぐにいつもの仏頂面に戻って言った。
「気の持ちようで変わることもあるじゃないですか。占いの助言を実行することで良いことがあるかも、と前向きな気持ちで過ごせるじゃないですか。」
「たしかにな。じゃあさっきルリイが開けた『全ての移動をスキップでしましょう。』とか『腕時計を両足首にもつけましょう。』とかやるのか?」
テバサキが聞いた。
「や、やりません。」
ルリイの顔に微かに動揺が走った。
「ふーん?」
テバサキが右の眉を上げて口角も上げた。
「とりあえず残りの紅茶も校舎長にあげますね。」
ルリイはそう言ってぶっきらぼうにテバサキのカップに紅茶を注いだ。茶葉がたくさんカップに入った。
一時間ほど談笑したころ、部長が立ち上がった。
「それじゃあ、俺はもう行くな。また助けてもらうこともあると思うから、そのときはよろしく。」
そして部長は軽やかにガラスの扉を開け、校舎を出て行った。
「なんだかんだ良い人ですよね。若々しい見た目だし。」
クオンが二人に言った。
「私もそう思います。仕事もできる方なんだろうな、と。しかし校舎長は少し部長に対して緊張というか、彼に対して距離を取っているように感じます。」
ルリイの指摘を聞いてクオンはさっきまでのやりとりを思い返した。たしかに、テバサキは部長に対して、自分たちに向けるような笑顔は見せていないように感じた。そもそもテバサキから部長に話しかけていた覚えはない。
「まぁ、君らがこの会社に入るまでにいろいろあって、俺も未だに整理はついていないんだけどな。」
テバサキが気持ちばかりいつもより覇気の無さそうな声で言った。
「2年前の年度末、俺が責任者をしていたこの校舎を、生徒が来ない、授業をしない校舎にするような最終決定を上層部に促したのは、あの人だ。」
To be continued.




