第3話 塾講師は小説家
黒野校の電話が鳴った。テバサキはトイレで席を立っており、ルリイは昼食休憩を取りに休憩室に引っ込んでいたので、クオンがどぎまぎしながら電話に出た。
「曾倉塾黒野校、クオンです。」
すると電話口からミュージカルの舞台の上でセリフをしゃべっているかのような男性の美声が聞こえてきた。
「あ、クオン君?こんにちは。カツキです。」
「カツキさん!こんにちは。」
クオンは少し戸惑いながら返事をした。カツキという人物の存在は認知していた。
高校入試を目指す中学生をメインターゲットとした曾倉塾では、国語・数学・理科・社会・英語それぞれに「課」が設けられており、曾倉塾の社員はいずれかの課に配属され、授業の方針やカリキュラムなどを検討・作成する業務を負うのだ。そしてカツキはその英語課の課長である。クオンは国語課に属しているので直接の関わりはなく、この電話で初めてカツキと話した。
「お願いしたいことがあるんだ、クオン君に。」
「僕にですか!?何でしょう…?」
「事故に遭っちゃったらしくってさー、テスト作成をお願いしていたギギ君が。」
「ギギさん…?」
「あ、知らないか、まだ。英語課にギギ君っていう社員がいてね。その人が事故でしばらく入院しなくてはいけなくなったらしいんだ。」
「ほ、ほう。」
「しかも、まだほとんど完成していないらしいんだよ、今日提出締め切りの小学6年生向けの模試の原稿を今日仕上げるつもりだったらしくって。」
「は、はい。」
「僕が代わりにやることもできなくってさ、僕も忙しくて。」
なんだかこの人の話し方は頭に入ってこないな。クオンは相槌を打ちながら思った。
「締め切り最終日まで模試原稿に手を付けないなんて、さすがに僕も立ったね。」
立った?
「腹が。」
うわ、この人、倒置法を乱用しているから何言っているか分かりにくいんだ!
「だから思って。黒野校にいるクオン君に任せようと。」
「なるほど、わかりました。」
「引き受けてくれるのか!嬉しいよ!メールで送っておくから、詳しい作り方は!」
とりあえず早く電話を終わらせたかったクオンは二つ返事で引き受けた。
「せたよ、まか。」
そう言ってカツキは電話を切った。まか…?
「そしてお前はテストを作ったこともないのにテスト作成を引き受けたのか。」
それぞれの用事を終わらせて黒野校のデスクに戻ってきたテバサキとルリイがクオンから事情を聴き、テバサキが半ば呆れ顔でクオンに言った。
「だってカツキさんの喋り方が信じられないくらい特徴的で、ほぼ何も考えずにOKしちゃったんですもん!」
「ちなみに締め切りはいつですか、クオンさん。」
クオンは口をへの字にしてルリイに言った。
「今日…。」
「ふはは。じゃあもう3人で力を合わせて作ろうぜ。英語のテストとか作ったことないし楽しそうだ。」
テバサキは呆れて乾いた笑いを出しながら二人に提案した。
「ありがとうございます。カツキさんから作り方の指示書がメールで送られてきたので。うわ、この人文面でも倒置法乱発してら。」
「恐れ入ります、お忙しいところ…。」
ルリイがクオンのパソコンに映るカツキの文面を見てつぶやいた。
「ビジネスメールのテンプレートもひっくり返るんですね。」
「どうやら問題の構成は去年のやつと同じで問題ないみたいだな。」
テバサキが送られてきた指示書を手早く読みながら言った。
「そうなると大問1は英単語の空欄補充ですね。小学6年生が書けそうで書けない英単語をいくらかピックアップしましょう。」
とルリイがテキパキ言った。
「大問1は10問構成なんだろ?じゃあもう数字を1から10まで書かせる問題でいいんじゃないか。」
テバサキが提案したがクオンがそれを制止する。
「そんな適当なことしていいわけないでしょ。幅広い分野から単語を選出しないと。」
「小学生なんてな、1から10まで書ければ花丸100点なんだよ。ってことで…。」
次の数字を表す英単語の空欄に適切なアルファベットを入れなさい。o_e、t_o、_ _ree、f_ _r、f_ _e、s_x、se_ _n、ei_ _t、_ _ne、t_ _。
「これでどうだ。大問1完成だ。この調子でやれば案外すぐ終わりそうだな。ちょろいな英語のテスト作成なんて。」
テバサキが得意げに言った。
「理系だがポイントはわきまえているつもりだぞ。ほら、3とか見てみろよ。tとhで舌を嚙みながら発音するんだろ、それを問う問題にしてみたんだ。こだわりポイントだ。」
ルリイもテバサキの作問に目を通しながら言う。
「たしかに随所にこだわりが見られますね。eightのghを空欄にするのはかなりのやり手です。小学生からすれば重箱の隅をつつかれている気分でしょうね。」
「そうだろうそうだろう。」
クオンも問題をよく見て、とあることに気づいた。
「いや、待ってください。もしこのテストのやり直しを教室でやることを想定してみてください。」
「なんだクオン。問題あるのか。」
「いいから想像してみてください。『どのアルファベットを入れればよいか発表してください。』なんて問いかけを恐らく講師がしますよね。そして万が一、『6』を誤答した生徒に運悪く指名してしまったら…。しかもその生徒が『e』なんて言ったら…」
「あ~。」
テバサキが何かに気づいて白目をむいた。
「たしかに、小学生にはまだ早いテストになってしまうな…。」
「気づきませんでした。これを私に読ませるなんて、テバサキさん、セクハラです。」
「『6』って書かせたいだけなのに!?じゃあ、アンダーバー、e、xにすればいいじゃないか。」
「いや、それはもう『6』ですらなくなります。」
クオンも白目をむきそうになりながら指摘した。
「テバサキさん、セクハラです。」
「あ、本当だ。間違えた、ごめん。」
結局、大問1は校舎にあった在庫の中から中学生向けの単語帳を見つけ出してきて、その序盤のページに書いてある単語をいくらかピックアップして問題にした。他の文法問題なども同じように中学生向けのテキストにある問題を少し改変してテストに記載していった。
そして最終局面。最後の大問である、大問8は長文読解の問題だ。
「小学生にもわかる英語で長文を書くのか。どうすればそんな芸当が実現するんだ。」
テバサキがつぶやく。ルリイが言った。
「まずは日本語で大まかな内容を考えましょう。それを英語に訳すんです。」
「その流れが一番いいね。じゃあまず内容を考えよう。」
クオンはそう言って、思いを巡らせた。
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わたしは先週の土曜日、友だちとショッピングモールに行きました。午前中はそこで映画を見ました。午後は買い物をして、文房具やアクセサリーを買いました。3時にカフェに行き、わたしはコーヒーとチーズケーキを注文しました。楽しかったです。
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「これでどうでしょう。無難だし問題も作れそうですよ!」
クオンが意気揚々と文書作成ソフトに書いた文章を二人に見せた。
「たしかに無難ですね。何も面白くないというか。」
ルリイがクオンのパソコンを覗き込みながら言った。
「テストに面白さは求められないんだからいいだろ!作問のしやすさが大事なんだよ!」
とクオン。
「いいや、面白い且つ作問もできる内容に変えるべきだ。」
と言ってテバサキはソフトに文章を打ち込み始めた。
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わたしは先週の土曜日、ショッピングモールに行きました。彼と合流してから、まずは映画を見ました。午後は買い物をして、服やジュエリーを買いました。6時にレストランに行き、そこで夕食を食べました。少し酔ったわたしたちは次にバーに行きました。何杯飲んだか分からなくなった頃、彼は私の太ももに左手を這わせてきました。私は潤んだ目をして彼と目を合わせ、彼の言わんとしていることに無言で応じました。午前1時、私たちはネオンの輝く街の奥深くへと迷い込んでいきました。家に置いてきた、指輪のことなど忘れて。
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「小学生が解くんだよ!!!!!!」
クオンがテバサキのパソコンを奪い取ってバックスペースキーを力強く長押しした。
「テバサキさん、セクハラです。」
「ちがうぞルリイ、こいつらがやっていることはセクハラではなく不倫だ。」
「あなたのやっていることがセクハラです。」
「不倫と分かった上でこんな文章を読ませようとすな!」
とクオン。
「こっちの方が面白いだろ。読み応えがある。ただの日記かと思えば大人の恋愛の様子を描いている、と見せかけて最後の最後にどんでん返しの一文よ。」
テバサキが自慢げに言った。
「公開テストをテバサキさんの官能表現力を見せつける場にしたらダメです!」
「クオンさん、私に任せてください。」
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わたしは先週の土曜日、友だちとショッピングモールに行きました。その日は雨が降っていました。わたしは家に上着を置いてきたので、とても寒く感じました。親切な友だちが彼女の上着をわたしに貸してくれました。午前中はショッピングモールで映画を見ました。午後は買い物をして、文房具やアクセサリーを買いました。3時にカフェに行き、わたしはコーヒーとチーズケーキを注文しました。わたしたちは6時に家に帰り始めました。家までの道の途中、わたしの友だちとは分かれ道でさようならをし、彼女は横断歩道を渡っていきました。そこで、わたしは上着を借りっぱなしであることに気づきました。焦って友だちに声をかけると、友だちは横断歩道の真ん中で振り向いて、こちらに駆け戻って来ようとしました。そのとき、信号無視をしたトラックが彼女に突っ込んでいきました。
あの日、わたしが家に上着を忘れていなければ。あの日、友だちが上着を貸そうとしてくれるのをわたしが断っていれば。そんな後悔に心を蝕まれながら、わたしは彼女の遺体の前で泣きながら手を合わせました。
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「重すぎるわ!」
再びクオンがバックスペースキーを長押しした。
「国語で問われるような読解力も試せます。それに2段落を見てください。仮定法の問題ができます。」
「中学生でもこんな重たい英文読まないよ!」
「いいじゃないかルリイ。俺のよりも読みごたえがある。こんなテストだったら俺も小学生の時に本気で勉強できたんだけどな。」
テバサキが顎を撫でながらルリイに言った。
「ダメに決まってるでしょ!っていうか小学生は仮定法とか知らないし!」
「ダメダメダメダメって、じゃあクオンも何か案出せよ。」
テバサキがイライラした口調で言った。
「出しましたけど!?!?しれっとあなたたちがテンプレートにしているショッピングモールの案はもともと僕のですけど!?!?」
「だったらもうアンタの好きなようにしなさい!お母さんどうなっても知らないからね!」
テバサキのわざとらしい甲高い声が校舎の受付に響いた。
「お母さん…?」
ルリイがつぶやいた。
夜9時30分。ようやく、クオンはキーボードを打つ手を止めた。二人は早々に作問に飽きて、それぞれ別のことをしていた。
「できたー!」
達成感に酔いしれながらクオンは電話をとった。
「お、クオン君。どうだい、進捗は?」
カツキが言った。
「できました!今からメールに添付して送ります!」
「本当か!助かるう~。本当に難い。あり。」
そう言ってカツキは電話を切った。
ありー!クオンも心の中で叫んだ。今まで経験したことのない業務を完遂し、少し強くなったような気がした。
To be continued.




