6話
歩く。
歩く。
歩く。
「はぁ、はぁ、はぁ」
何日間歩いているだろうか。
いつの間にか周囲は砂が多くなっており、変わった形の木がぽつぽつ見えるだけだった。
西の果てに辿り着こうとしているのだと、異世界人のサクラでも分かった。
「う、くっ……」
体が重い。
気を抜けば意識ごとなくなってしまいそうだ。心臓はずっと暴れてて、痛みに体と精神が悲鳴をあげている。
「うう、う」
痛い。苦しい。誰か助けてほしい。
そう思ってしまいそうな自身を叱咤しながら、サクラは剣を支えにして歩く。
『桜、あなたまたテストの点が悪かったのね。頭の出来の悪さは、お父さんにでも似たのかしら。これじゃ、海はなしね』
——母の言葉を思い出す。
『桜ちゃんってさ、ちょっと付き合い辛いよね』
『分かる。愚痴とか話すと向こうの肩持つし』
『もうちょっと空気読んでほしいよねー』
『この間もプール行く話してたのに、海行きたいって言いだしてさぁ』
——友の言葉を思い出す。
「っ……」
いつもそうだった。
“桜”の人生はいつも上手くいかない。勉強も、運動も、人間関係も。
『——かわいい』
『え?』
『あ! こ、こほん。失礼しました。僕はヒース、宮廷魔術師をしています。突然異世界に召喚され魔王討伐なんて大変だと思いますが……これからどうぞよろしくお願いしますね。勇者サクラ様』
異世界に召喚された時、歓喜した。
勇者と呼ばれる度に、嬉しかった。
ありがとうと礼を言われると、自分を誇らしく感じた。
「……」
砂混じりの風が吹く。乾いた唇に砂が張り付き、不快感から指で払う。
ふいに、唇に触れた感触を思い出す。
(……嫌じゃなかったな)
その時だった。
「あぐっ……!?」
尋常ではない痛みが体を襲う。
三回目となると、もう分かる。失神するほどの痛みだと。
「もう、少し」
立っていられず、サクラはその場に倒れこむ。
もう時間がない。意識を失っている場合じゃないのだ。少しでも、少しでも距離を取らないと。
「進まな、い、と」
這いつくばるように進む。
少しでも前へ。
前に進んで。
前へ。
「——」
意識が閉じる。
砂だけの世界が、最後にサクラが見た世界だった。
「……」
ため息が、聞こえた。
規則的な振動。桜は最初、電車だと思った。しかしすぐに違うとサクラは分かった。
「……ヒー、ス?」
「起きましたか」
目の前にあるのは、見慣れた色の髪。ヒースの髪色だ、とサクラは思った。故に。
「いでででで!? なんで髪引っ張るんですか!?」
「……本物のヒースだ。幻じゃない」
「そこは自分のほっぺつねってください! 僕の髪引っ張らないで!」
どうやら自分は、ヒースにおぶられているらしい。
二、三度瞬きを繰り返し、サクラは現状を正しく理解する。ヒースはサクラをおぶって、砂漠を横断している。——西へと。
「ヒース、なんで……!?」
サクラはハッとした。気絶させたヒースが何故かいる。
追って来たのか。そう理解し、焦りが体中を駆け巡る。
(やばい、もう時間がないのに。早くヒースに離れてもらわないと……)
サクラの心情を正確に読み取ったのだろう。ヒースが呆れたように言う。
「今更遅いですよ。僕の足じゃ、貴方の魔力暴走から逃げるなんて出来ません」
「っ、なんで来たの。私、死んでほしくないって、言った。ヒースなんてただの友人で、一緒に死ぬとか心中みたいな真似はごめんなんだから!」
「僕も死ぬのはごめんですよ」
「じゃあなんで」
「思いついたんです」
こちらの責めるような口調を気にした風もなく、ヒースは言葉を紡ぐ。
「魔力の暴走で貴方が死ぬのは、暴走した魔力に貴方の体が持たないからです」
まるでこの世界に来た時みたいに、ヒースは説明していく。
「暴走を抑え込むことは不可能です。器から溢れる水を止められないのと同じようなもの」
「……」
「だから、溢れた水を正しくしてやればいい」
サクラは顔を顰めた。
ヒースの言っている意味が分からなかったからだ。困惑するサクラを予想していたのだろう。ヒースは「つまり」と言葉を続けた。
「僕が暴走した魔力を、外から操作します。そして貴方が死なないようにします」
「——そ、んなこと、出来るの?」
「ええ、出来ますよ」
ヒースは頷く。
だがすぐに違和感が沸き上がる。あまりにも簡単にヒースが肯定したからだ。
「それ、絶対に成功するの。ヒースに被害はないの」
「……ありませんよ」
「嘘」
「嘘じゃないですよ」
「ヒース」
しばらくの沈黙。それから、
「正直なところ、成功率はほぼゼロですね」
拗ねた子どものような口調でヒースは言った。
「外側から暴走した魔力を、正確には僕の魔力で覆って操作するんですが……そんな作業やったことはないですし前例もないですし、そもそも勇者としての貴方の魔力は規格外ですから僕の手におえるかも怪しいです」
あっけからんと言うヒースに、サクラは言葉を失った。
そんなの。
「命をドブに投げ捨てるようなものじゃん……」
「ですね。気が狂った頭のおかしい所業と言われてもまあ、否定は出来ません」
「ヒース、やっぱり王都に帰って。今からでも遅くない。ヒースは防御魔術も上手いし、少しでも距離を稼げば……」
「聞いてください」
ヒースがこちらを振り返った。
疲労を帯びた瞳が、強い意思を持ってサクラを射抜く。
「——好きな人のためなら、命くらい張りますよ!」
それは、砂漠を震わすような告白だった。
「友人じゃなくてすみませんね! あといきなりキスしたのは本当にすみません!! でもですね、こちらは初めて会った時から好きなんです! 一目惚れなんですよ!」
「ひ、ヒース」
「旅を始めたらもっと好きになりました! 一生懸命ですし、見慣れない食物に困惑してるし、困った人は見捨てられないし、あとお礼を言われた時にちょっと照れたように笑うの凄く可愛いですし!」
「ヒース、ヒース、もう分かったから」
恥ずかしくて、別の意味で死んでしまいそうだ。
ヒースは荒い呼吸を繰り返しつつ、サクラを背負い直しつつ歩みを再開させる。耳が真っ赤だ。
「そんな好きな人が、世界から用済みと言わんばかりに死ぬのを諦めることなんて出来ません。勇者様、諦めることを諦めてください」
「……」
「勇者様、貴方のおかげで僕たちは救われました。なら次は、僕たちが救う番です!」
ヒースの背中に触れた指が震える。
「——いいの?」
視界が滲む。抑えきれず、零れた雫がヒースの背中に水玉を作る。
「生きたいって思って、いいの?」
ヒースが微笑むのが、分かった。
「はい、生きててください。生きて、たくさん泣いて、怒って。笑って、色んな人に優しくしてください。勇者様」
ぼろぼろと涙が零れて落ちていく。
背中を汚しているというのに、ヒースは何も言わなかった。
体が痛い。四肢に力が入らない。心臓が暴れている。
「ヒース、ヒース、ごめん。ごめんね。殴ってごめんね。生きたいって思って、ごめんね」
「はいはい。これ以上、僕に貴方を好きにさせてどうするんですか」
けれど、心はとても温かかった。
◇◇◇
「……ここら辺まで来れば、良いですかね」
日が暮れかける頃。周囲どこを見回しても生命の息吹を感じられない。
ヒースがサクラを下ろしてくれた。最初、サクラはその場に座り込もうとしたが、体が動かなかった。ヒースが支えてくれることで、なんとか上半身を起こしている状態だ。
「勇者様、魔力が暴走したら僕が外側から操作します。器の水全てを操作する感覚で行うので、貴方の中にある魔力を全て出してください」
痛みで視界が点滅する中、サクラは小さく頷いた。
心配そうなヒースの顔が見える。無意識に、サクラは微笑んでいた。
「? どうしました? なにかありましたか?」
「ヒース、私のこと好きって顔、してるなあって……」
「そっ、それはそうですよ……好きなんですから……」
一気に顔を真っ赤にした青年は、キスした時の勢いも砂漠中に聞こえるような告白の時の勢いも失くしたらしい。
「告白の返事、した方が良い?」
「うぐっ。そうですね……あ、いやでもその、ええと、無事に事が終わってからで……今断られたら、絶対失敗する気がして」
「メンタルよわ……」
「当たり前でしょ!」
「キスしてきたくせに」
「それは本当にすみませんでした!!」
ヒースは額を砂に擦りつけ謝罪をした。
サクラは小さく笑った。魔王討伐の最中のようなやり取りだった。これから死ぬとは思えないような。
やがて、痛みが激しくなる。風も吹いていないのに、周囲の砂がぶわりと舞った。
「っ……きましたか」
「ヒース」
「そんな顔しないでください。勇者様。僕は大丈夫ですから」
ヒースは杖を手にする。
これが最後に目にする光景かもしれない。そう思って、サクラはふと小さな疑問を口にした。
「ヒース、いつも私のこと、勇者様呼び、だよね」
「え?」
虚をつかれたのか、ヒースが目を丸くする。
「名前」
「それは……名前で呼んでほしいってことですか」
「うん」
「……。…………。さ」
「……」
「サクラ……ちゃん」
「……」
「……」
「成人男性のちゃん付けってちょっと気持ち悪いね」
「貴方今この状況分かってます!? 今から僕、人類初の試みするんですけど!」
竜巻のように砂が舞い上がっていく。
天高く登っていく砂嵐は、王都からでも見えるかもしれない。
「う、ぐ」
痛みに顔を顰める。痛みが激しくなればなるほど、溢れだした魔力の奔流が辺りを襲う。
「——っこれは、予想以上に」
ヒースが顔を顰める。
魔力の風が彼の肌を傷つける。たらりと彼の頬に血が伝い、風に吹き飛ばされてはまた新しい傷を作っていく。
自分のせいだと思うと胸が苦しくなる。どうしようも出来ない無力感に苛まれる。
「ああもう、大丈夫です。大丈夫」
明らかに虚勢だと分かる笑みを浮かべ、ヒースは杖をかざす。
魔法陣が展開していくのが見えた。優しい海のような色が、いくつもいくつも広がっていく。
「あぐっ、あ、ああああああああああああああああ」
魔力の暴走が始まった。
これまでが優しかったと思うほど、眩しい光が辺りを襲う。目に見えない膨大な力が大地と空を呑み込まんと暴れ狂う。
(——痛い)
血管が切れる音がする。
内臓がめちゃくちゃになる音がする。
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い)
狂ってしまいそうだった。
まともな思考を紡げない。体の中で暴れ狂うそれが、抑えきれずに溢れだしては外からサクラの体を傷つける。
(これじゃ、ヒースが)
頭の片隅が、すぐ傍にいる青年を思う。
彼の姿は見えない。砂のせいか、魔力のせいか。無事なのかどうかも分からない。
「——だい、じょうぶ」
ふと、手を握られた。
誰の声か分からない。分かる余裕もなかった。苦しそうだなという感想すらも、痛みにかき消される。
「安心してください。僕が絶対に——なんとかしますから」
その言葉を最後に。
サクラの意識は、完全に閉じた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




