4話
「魔力の、暴走」
サクラが目を覚ましたのは、とうに日が暮れた夜更けであった。
倒れたサクラは、王城の自室に寝かされていたらしい。
豪華絢爛なベッドの傍に、治癒魔術師が今にも泣きだしそうな顔で立っていた。
「この世界の人間には、魔力を生成し循環させる器官があるの。それのおかげで、魔力を暴走させることはなく、生きていくための力として巡らせ、魔術として行使が出来る」
その説明は、異世界に召喚された時も聞いた内容だ。
「異世界人であるきみは、体の構造があたしたちと違う。魔力器官がない。そのおかげで、勇者として強大な魔力という力を使えているんだけど」
この世界に召喚されてすぐ、力がみなぎっていることをサクラは自覚していた。
それが魔力なのだと、旅を始めてからすぐにヒースが教えてくれた。この世界で生きるもの全てに巡る不思議な力。
「今のきみは、魔力が上手く巡っていない。一つの器に水が溜まっている状況」
「それで、痛みが?」
「水は水でも、きみにとっては毒なの。それが今、悪さをしている」
「でも私、こっちの世界に来て一年は経つけど」
毒を貯め込んでいるといわれても、そんなことは今まで一度もなかった。一年も魔王討伐をしていたのに、だ。
「今までは魔王討伐の旅をしてた。きみは魔獣退治を率先して引き受けてた。それが理由よ」
「えっと?」
「魔力を使っていた。だからきみの体は上手くいっていた。でも魔王討伐をしてから、きみの体は魔力を放出出来ず貯め込んでしまっている状態よ」
「……本来は、毒を貯めないようめっちゃ力を使わなきゃいけないってこと?」
「本来、魔力は人間の生を助けるもの。でもきみの体からすると毒だった。厄介なのは、空気中の魔力がきみに集まっているせいで、どんどん毒を貯め込んでいる状況ね」
なるほど、とサクラは頷いた。なら話は簡単だ、とこの国一番の治癒魔術師である彼女が暗い顔をしている理由を考えず、未来に希望を抱く。
「なら魔獣討伐をいっぱいすれば良いね。発散させないと駄目ってことなんだもんね」
「——。魔獣は、魔王を討伐してから勢いは弱くなってる。いなくなることはないけど、魔王討伐の最中のような強い魔獣が生まれることはない」
彼女の小さな手が、血が滲むほど強く握られるのが見えた。
「つまり、魔王ほどの強大な存在がなければ、きみは力を発散できるほど魔力を使えない。せめてそうならないよう、上手く魔力を巡らせればいのだけど」
「……」
「このままじゃ、魔力がきみという器から溢れ出す」
サクラは、からからの喉を震わせた。
次になんと言われるのか、分かった。
「——勇者、このままじゃ死んじゃう」
それまで毅然としていた彼女の表情が、初めてはっきりと歪んだ。
魔王討伐の旅の最中、どんな傷でも一瞬で癒していた彼女が、そう言う訳をサクラは正しく理解する。
(治らないんだ。私)
死ぬのだ。サクラという人間は。
「っ、このままじゃ魔力が暴走する。きみの膨大な魔力は特殊で、この国まるまる吹き飛ばす恐れもある」
「……そん、な」
勇者様、ありがとう。そう口にした人々の姿を思い出す。
「私、どうしたら」
このまま一人死ぬ。それだけではなく、大勢の人も巻き込んで死ぬ。
魔力とはそういった力があるのだと、魔王討伐の旅で嫌というほど分かっている。魔獣を、魔王を倒せたのは、自身が持つ強大な魔力のおかげなのだから。
「あたしはっ、あたしは今から治療方法を探す! ヒースにも言えば、なにか方法が見つかるかもしれないから、だから」
「——どのくらい?」
「え?」
「私の体、どのくらい持つ?」
掛け布団の皺を見下ろしながら、サクラは尋ねた。
治癒魔術師は、治癒魔術師として答える。
「一か月」
「——」
「それは、単純に生きていられると考えた時間よ。体は徐々に魔力を抑え込みきれず、今回みたいに痛みが走る」
「また気絶しちゃうってこと」
「きみの体を調べる限り、今回は突然の痛みに体がびっくりしちゃった……と見るのが妥当よ。でも痛みは徐々にひどくなり、耐えられなくなる瞬間はある」
「……そう」
「っ……とにかく、あたしは今からどうにか出来ないか探してみる。大丈夫よ、きみにこの世界は助けられた。なら次は、あたしたちが助ける番よ!」
治癒魔術師はそう言って、部屋を出て行く。
一人きりの部屋。サクラは静寂の中、布団に顔を埋める。
(——死)
怖い。無意識に掛け布団を強く握って、握りしめて、その手が震えていることに気が付く。
手だけではない。体が震えている。死という恐怖に、さきほどの痛みに、心が怯えているのだ。
(死ぬかもしれない戦いは、今までもあった。でも心のどこかで私は、異世界ものなら死なないって安心感があったんだ)
自分の力が強い自覚があった。
仲間が優しく助けてくれる自信があった。
でも今は違う。本物の死が、今目の前にあった。サクラが助けた人たちも死ぬかもしれない、という事実付きで。
「——そんなのだめ」
勇者様、ありがとう。
そう言った彼らの姿を思い出す。異世界に召喚されたから、優しい人としかサクラは会っていない。
『突然異世界に召喚され魔王討伐なんて大変だと思いますが……これからどうぞよろしくお願いしますね。勇者サクラ様』
そう言って、手を差し出してくれた彼の顔を思い出して。
「行かなきゃ」
サクラは部屋の隅にある荷物を手に取る。最低限の着替えと、食料と、お金。そして剣。魔王討伐の時よりも貧相な旅道具を積めて、深夜誰もいない廊下に出る。
(誰もいない所へ行こう。そこなら、私しか死なずに済むかもしれない)
衛兵になるべく会わないように。誰にも見つからないように。足音を殺して。
(そうだ、西へ行こう。西は砂漠で、なんの生命もいないって前にヒースが言っていた。そこなら誰にも迷惑を掛けずに済むかもしれない)
一か月。その間に辿り着けば良い。辿り着いてみせる。
そして、サクラはそこで死ぬのだ。最後まで、勇者として——
「——勇者様?」
王都を出ようとした寸前、赤信号。
そういえば、今日は王都から離れた土地にて行われたる催しものに出席すると言っていた。
丁度、帰ってきたところなのだろう。荷物を手にした青年が、海のような目を怪訝そうに細めた。
「ヒース」
一番会いたくない人物に会ってしまった。
そう、サクラは悟った。
◇◇◇
「勇者様、一晩お部屋貸してもらえるようですよ」
サクラの誤魔化しや嘘を見破り、半ば強引に旅についてきた魔王討伐のメンバー。
魔術師ヒースは、木の傍に座り込んでいたサクラの元へやってくると、安堵した表情で家主の老人を指した。
「良かった。そろそろベッドに横になりたかったんだよね」
「魔獣の姿が見えないとはいえ、野営は心が休まりませんからね」
日もすっかり暮れた頃。サクラとヒースが辿り着いたのは、小さな村だった。
村といっても、家が三軒ほどしかない。地図によると、ここから西に村はなく、それどころか生命と会うかも怪しいとのこと。
つまり、正真正銘最後の安息の場ということだ。
(ヒースとはここまで)
サクラは倦怠感を主張する体を引きずり、ヒースと共に案内された家の中に入る。
中は質素ながらも、暖かな雰囲気が漂う家だった。老人一人で住んでいるのだという。
(これ以上一緒に旅を続けたら、ヒースも巻き込んじゃう)
だから、ヒースとは、ここで別れなければいけない。
「二階をどうぞ使ってくだされ。掃除が行き届いておらず申し訳ないですが」
「構いません。お部屋を貸していただけるだけで十分ですし……ね、勇者様」
「あ、うん」
「……」
「勇者様の話はこの辺境まで届いております。そのような方に使っていただけるなぞありがたきことです。どうぞごゆるりと寛ぎください」
ヒースはじっとこちらを見たかと思うと、サクラの荷物を代わりに持ってくれる。
礼を言う暇もなく、ヒースは二階へ上がっていく。サクラは一瞬呆気に取られたが、老人に改めて礼を述べヒースを追った。
夜。夕飯を済ませたサクラは、借りた部屋にて荷物の確認を始めた。
(食料だけあれば十分かな)
テーブルの上に広げた地図を見つつ、保存食の残りを確認する。
夜中の内にここを発つからだ。
普通に話しても、ヒースはついてくるのを止めないだろう。となると、強硬手段を取るしかない。
(ヒースには悪いけど、これ以上頼れない)
先日立ち寄った街で倒れて以来、サクラの体は明らかな不調に悩まされていた。
魔力を発散出来ていないせいで、抑え込んだ魔力が四肢に悪影響を及ぼしているのだ。
幸いにも痛みを我慢出来ている。表向きは、以前と変わらない態度を貫けているはず。しかしこれ以上は無理だと、頭の片隅が冷静に告げていた。
「あとは……手紙か」
途中、街で買った紙とペンを持つ。この世界の文字はヒースに教わった。完璧ではないが、最低限のことは伝えられるはずだ。
サクラは少し悩んで、感謝の気持ちとこれ以上ついてこない旨を書く。インクが乾いたのを確認し、手紙を丁寧に折りたたみ机の上に置いた。
「よし」
正面から出れば気付かれるかもしれない。そうなると、選択肢は。
サクラは闇夜を映す窓を見る。荷物を持って、窓を開けて。
「どこへ行く気ですか」
静かな憤怒に塗られた声に、外へ出ようとした体を止めた。
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