2話
「あ、起きましたか?」
目を覚ますと、ホッとした顔のヒース。
「和むなぁ」
「人の顔を見た感想として喜ぶべきか切なくなるべきか複雑ですが、目を覚ましたのなら何よりです。体調は?」
サクラはのっそりと上半身を起こす。
見慣れない部屋だ。自分はベッドに寝かされていたらしい、と理解する。
「ここは?」
「宿です。街の人がどうぞと」
椅子に腰かけたヒースが説明してくれる。
「吐き気はありますか? どこか痛む箇所は?」
「大丈夫」
ヒースは水の入ったコップを差し出してくれた。礼を言って受け取ると、彼が観察するような目つきでサクラを見ていることに気が付いた。
「医者の見立てだと、魔力の使い過ぎじゃないかって話ですけど……魔力って使い過ぎると、頭痛やらなんやらを引き起こして最悪頭に影響が出ますから」
「え、怖。初めて知った」
「勇者様はこの世界の人間ではないですから、ちょっと色々違うかもしれませんが」
探るような目つきに、サクラは肩をすくめた。
魔力、というものがこの世界には存在する。人間の体には魔力が巡って、それを魔術として扱うのだという。
異世界人であるサクラからすると、どっかのラノベにありそう、という感想しか出てこない。
「勇者様」
なに、とサクラは言葉を零そうとして、紡げなかった。
温かな掌がサクラの片頬を覆う。真剣味を帯びたヒースの瞳に映る己を見て、サクラは落ち着かない気持ちになった。
「……ヒース?」
戸惑いつつ彼を見ると、ヒースが緩く瞬きを繰り返す。
そして、
「あ!?」
頬に触れていた自身の手に、飛び上がった。
「すっ、すみません! 別にやましい気持ちで触れた訳ではなくてですね!」
「大丈夫。ヒースがそういうことしない人だって分かってるから」
「それはそれで複雑ですが!」
ヒースは渋い顔をして唸った。
その隙にサクラはベッドから飛び出る。あ! という咎めるような声は無視し、部屋の壁に掛かった外套へ手を伸ばし羽織る。
「勇者様、待ってください」
「十分休んだ。体は問題なし。という訳で出発」
振り返って宣言する。ヒースは反対といった表情で見上げてきた。
「勇者様、やっぱり王都へ戻りませんか?」
それは、旅を始めた頃に何度も言われたものだ。
しかし今の言葉は、その時よりも重く感じる。きっとヒースも本気で言っているのだろう。
「勇者様に事情があるのは察します。ですが魔力の使い過ぎで倒れるなんてこれまでありませんでしたし、ここから先はまともな医者に会えない」
ヒースの手に力が入る。
「西の果ては死の砂漠。生が死に塗り替えられ、どんな生き物も生きていけない場所。知ってますよね? 貴方が今から行く場所ですよ」
「——うん」
サクラは頷いた。
異世界召喚され一年。元の世界の地図すら自信のないサクラにとって、異世界の地理はもっと未知だ。
そんなサクラが知っている、数少ない場所。かつて魔王討伐の旅の最中に聞いた、生命が誕生出来ない地が西の果てだった。
「……だから、行かなきゃ」
ヒースは視線を逸らした。やがて盛大なため息を吐くと、
「食料、調達してきます。せめてその間は寝ててください」
「ついてこなくてもいいんだよ」
立ち上がったヒースは、むっとした顔で見てくる。
ころころ表情が変わるなぁ、と感情の起伏が小さい自覚のあるサクラは思った。
「行きますよ。僕は貴方の……友人、ですから」
——しばらくして。サクラとヒースは、街の人たちに見送られつつ出発した。
「良い人たちだね」
「ですね。魔王を討伐したとはいえ、魔獣の被害に合う街はまだあります。その中の一つを救えたのは、とても良いことだと思います」
サクラは振り返って、小さくなりつつある街を見下ろした。
「勇者様?」
「ああごめん。この世界の人たちって、良い人ばかりだなって思って」
「?」
「異世界ってもっと、追放されたり処刑されたり社会的に居場所がなかったりするイメージだったから……」
「なんですか、その異世界に対する偏ったイメージ」
木々が立ち並ぶ道を歩く。
ヒースが言った通り、ここから先に街と呼べる場所はないのだろう。整備されていない道は少々歩きにくいが、魔王城へ行った時よりはマシだとサクラは前向きに捉える。
「わあーー!!」
派手に転んだヒースは、前向きにはなれなさそうだなとサクラは思った。
「大丈夫?」
「体は無事ですが精神が無事じゃないです……」
「大丈夫そうだね」
サクラは小さく笑い声を零し、ヒースに手を差し出す。
ヒースは恥ずかしそうにサクラの手を借り、立ち上がる。見たところ怪我はなさそうだ。
「うう、魔王城近くの道よりは歩きやすいと思ったばかりなんですが」
「あの時もヒース、たくさん転んでいたもんね」
「魔術師ってのは内向的なんです。本来は文官みたいなもんなんですよ」
ヒースは唇を尖らせた。
「でも魔王討伐の旅に推薦されたんだよね」
サクラは首を捻った。
異世界から召喚されたサクラは、事情を説明された後、すぐに魔王討伐のメンバーと対面した。戦士、治癒魔術師、そして魔術師のヒースの三名。全員、指折りの実力者だと紹介された覚えがある。
ヒースは気まずそうに目を逸らし、
「……今だから言いますけど、僕が選ばれたのはその、他の人が拒否したからなんです」
ぼそっと、真実を口にした。
「他の老人共はみーんな忙しいだの研究があるだので断って、結果、宮廷魔術師の中で一番若く、拒否が出来ない僕が魔王討伐の旅に参加することとなって……」
「異動に文句言えない社員みたいなこと言ってる……」
「うう。僕だって魔術の研究したかったですよ! 魔王討伐の旅だって、皆さんの足を引っ張らないかどうかいつもひやひやで」
「でも、私はヒースに助けられたよ」
サクラは魔王討伐の旅を始めた頃を思い出す。
異世界召喚され、魔王討伐の旅を半ば強制的に始める羽目となり、慣れない異世界に困惑する日々。そんな中、率先して助けてくれたのはヒースだった。
「異世界の知識とか、あと魔力の扱い方とか。ヒースがいなかったら、もっとたくさんの所を更地にしてたと思う」
さきほどのように街中で使用するのなら、ヒースの防御魔術が必須だ。
「魔力って難しいよね。魔術師はこういうの操るプロなんでしょ? ヒースは凄いよ」
「……。僕からすれば貴方だって凄いですけど」
ヒースは照れたように視線を逸らした。
「異世界に召喚されたばかりで、不安で仕方がなかったでしょう。でも貴方は、一生懸命頑張った。魔王を倒すだけじゃない、道中で困った人を見たら助けて」
ふと。小さな風が吹き、木ノ葉が揺れる音が耳を撫でていく。
正午の穏やかな日差しが、ヒースの海のような瞳を照らした。柔らかな色が、サクラを優しく見つめる。
「凄いなって思ったんです。そんな貴方だから、魔王討伐の旅は怖くて嫌でしたけど、頑張ろうって思えたんです」
サクラは一瞬だけ、息を呑んだ。
ヒースの言葉は心からの言葉であると、そう理解して。思わず笑みが零れる。
「じゃ、お互い凄いってことで」
「ええ、そうですね。だから、なにかあったら頼ってくださいね」
真剣な瞳に、サクラは眉を下げた。
答えないサクラを、ヒースは分かっていたようだ。「……すみません、行きましょう」と歩みを再開させる。
(——ごめん)
この世界に来て、ヒースには何度も助けられた。
今だってそうだ。
だからこそ、
(これ以上、ヒースには頼れない)
サクラは、痛む心臓の上に掌を置いた。
呼吸する度に体が悲鳴をあげている。名前も分からないような内臓が、鼓動する心臓が痛みを常に訴える。
(大丈夫。問題ない。まだ歩ける)
ここで立ち止まれば、ゲームオーバーになってしまう。
その前に。なんとしてでも。
『——勇者、このままじゃ死んじゃう』
泣きそうな、治癒魔術師の言葉を、サクラは思い出していた。
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