第7話:静かに待つ信仰(しんこう)
誰かの心に寄り添いたいと願うとき、
本当に必要なのは、“言葉”よりも、“沈黙”かもしれない。
有馬はそう思いながら、
千紗の隣にそっと立っていた。
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春の雨の夜。
一緒に傘をさしたあの日の帰り道が、
今も彼の胸の中に静かに残っている。
あのとき千紗は、震えるような声で言った。
「こういう瞬間かも。……触れた、って思えるの」
その言葉は、有馬にとって、祈りのようだった。
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彼は牧師の家庭で育ったわけでも、
特別に聖書に導かれたわけでもない。
ただ、自分がかつて“救われた”と感じた日があった。
心が疲れ果てて、誰にも頼れなかった学生時代。
見知らぬ教会で、何も言わずに差し出された一冊の聖書と、
「あなたのために祈っています」という言葉。
誰かの祈りが、自分をつないでくれた――
その日から、彼は“誰かのために祈る人”になりたいと思った。
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千紗に初めて会ったとき、
彼女の中にある静かな孤独に、どこか見覚えがあった。
明るくふるまいながらも、どこか自分の居場所を探しているような目。
彼女が教会に足を踏み入れてくれたとき、
ただ嬉しかった。それ以上でも、それ以下でもなく。
「無理に信じてほしいわけじゃない。
でも、もし――この世界のどこかに、
“変わらない愛”があるとしたら、
君にも、それを知ってほしい」
そう願うのは、ただの自己満足かもしれない。
それでも。
彼は、祈りをやめなかった。
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今も、ときどき怖くなる。
自分の存在が、彼女の信仰の重荷になっていないか。
誰かを好きになることと、神を信じること。
その二つが、矛盾しないように思える日は、まだ少ない。
それでも――
“待つこと”だけは、信仰と同じように、彼の中に根づいていた。
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「焦らなくていいよ。
信じるって、急ぐものじゃないから」
そう言ったとき、千紗がほっと息をついたのを、有馬は忘れていない。
それは、答えの代わりに受け取った、
“信じ始めてくれている”という、静かな奇跡だった。
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夜の祈りの中で、
彼は今日も、彼女の名前をそっと心に浮かべた。
言葉にすることのない想いも、
祈りならきっと届く。そう信じて。