第6話:その手にふれたとき
金曜日の帰り道。
街はすっかり夜の顔に変わり、オフィス街の灯りが雨ににじんでいた。
千紗は傘を持たずに出てしまったことを、少し後悔していた。
「……濡れるしかないか」
足元に広がる水たまりをよけながら歩いていると、
ふいに、傘の影が彼女の上に差し込んだ。
「大丈夫?」
振り返ると、そこには有馬がいた。
「……どうして?」
「同じ方向だし、送っていくよ」
自然な言い方に、千紗は小さく笑って、
「ありがとう」と傘の中に入った。
ふたりで並んで歩くと、傘は少し狭くて、肩が触れそうになる。
でも、有馬はそっと千紗の方に傘を傾けていた。
自分の方が濡れてしまうのに。
――変わらない人だ。優しくて、まっすぐで。
それだけで、胸の奥があたたかくなる。
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「この道、静かですね」
「教会の帰り道に似てるかも」
千紗がそう言うと、有馬は「うん」とうなずいた。
「信仰って、不思議だよね。目に見えないのに、
ときどき、ちゃんと“触れた”って思える瞬間がある」
「触れた……?」
「うん。たとえば、人の手とか、言葉とか、
そういうものを通して、神さまの優しさを感じる瞬間ってあるんだ」
千紗は、その言葉を聞いて、ふと自分の胸に手をあてた。
あの日、教会で流れた静かな涙。
祈りのあとに感じた、不思議なあたたかさ。
そして――いま、隣にいる有馬の静かなまなざし。
「……それって、今みたいなこと?」
千紗が小さくたずねると、有馬は微笑んで、
ふと立ち止まった。
そして、少し迷うようにしながらも、
そっと、彼女の手にふれた。
冷えた指先が、少し震えていた。
でも、その手を包む彼の手は、
どこまでもあたたかかった。
「……こういう瞬間かも。
祈ってなくても、
ちゃんと“愛されてる”って感じることがある。
それが神さまだって、信じてるんだ」
千紗は、言葉もなく、その手を見つめた。
“ただ、手をつないでいるだけ”
でも、それはたしかに――
心が救われていくような感覚だった。
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その夜、千紗は日記にこう書いた。
『信仰は、誰かとつながっていることを思い出す道のようだ。
今日、私はその手に、
ただのぬくもり以上の“優しさ”を感じた。』