表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/8

第4話「やさしい奇跡」

春の風が、ようやく冷たさを手放した午後。

千紗は、駅前のカフェの窓側で、有馬を待っていた。


本の打ち合わせ――という名目ではあったけれど、

心のどこかでは、ただ彼に会いたかったのだと思う。


「ごめん、待った?」

柔らかな声とともに現れた有馬は、いつも通り落ち着いた表情で、

でもどこか、千紗の頬を見て微笑んだ。


「……何かいいことあった?」

「……うん。たぶん、少しだけ」


彼女はカップを両手で包みながら、小さく笑った。



先週の日曜、教会を訪れたあと。

千紗は、夜になってもあの静けさを思い出していた。


祈りという行為は、まだぎこちなくて、

信仰はどこか遠くのもののようだった。


だけど――

あの場所で、自分が「否定されなかった」ことが、ただ嬉しかった。


「ありのままで、ここにいていい」


それを教えてくれたのは、有馬であり、教会であり、

そしてあの静かな午後の空気だった。



「有馬さん、ありがとう。……この前、祈ってくれて」

「ううん。こちらこそ、教会に足を運んでくれて嬉しかったよ」


その言葉に、また胸の奥がふわっとした。


「祈るって、不思議だね。何も変わらないのに、

気持ちだけは、少し変われる気がする」

「祈りは“何かを願う”っていうより、

“今ここに神がいる”って思い出すこと、なのかもね」


彼の言葉は、いつもやわらかく、深い。


まるで、何も咎めずに、ただ寄り添ってくれるような、

優しい奇跡のようだった。



その日、カフェを出た帰り道。

夕焼けが街を染めていた。


赤く染まった空に、ふたりの影が伸びる。


ふと、有馬が立ち止まり、

ポケットから小さな紙を差し出した。


「これ、教会で配ってたものだけど……よかったら」

それは、“あなたのために祈っています” と書かれた、短いメッセージカードだった。


「こんなカード、あるんだ……」

千紗はそっとそれを受け取り、胸のポケットにしまった。


「誰かが祈ってくれてるって、不思議だね」

「うん。でも、きっと誰かの祈りが、

千紗さんをここまで連れてきてくれたんだと思う」


それは――

運命とか偶然とか、そういう言葉では足りないもの。


名もないやさしさが、

静かに誰かを導いていく。


きっとそれを、“奇跡”と呼ぶのだろう。



その夜。

千紗は小さくつぶやいた。


「……神さま、もし本当にあなたがいるなら、

私は、もう少しだけ信じてみたいです」


それはまだ、小さな声だったけれど、

誰かに届くと信じて――

空に、やさしく祈りを浮かべた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ