第3話「私は、まだ知らない」
教会という場所を、私は遠い世界のことだと思っていた。
静まり返った空間、祈る人々、見たことのないステンドグラス。
きっと、どこか別の次元にあるような、そんな神聖な場所。
――私には、似合わない。
でも、有馬の祈りを受け取ったあの日から、心のどこかがずっとざわついていた。
誰かに「祈ってもらう」なんて、人生で初めてだった。
ただの言葉だったのに、
それは私の中で、温かい灯のように残り続けている。
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その週の日曜。
私は、有馬に言われた通り、何気なく近所の小さな教会を訪れた。
誰にも言わずに、そっと。
白い壁の古い建物。
扉を開けると、ふわっと花の香りがした。
中には、10人ほどの人たちが静かに座っていた。
私は最後列の隅に腰を下ろす。
讃美歌がはじまり、言葉が、歌が、
どこか懐かしいような、遠い空に吸い込まれていくような気がした。
何も知らないのに。
どの歌詞も、どの祈りも、私には馴染みがないのに。
それでも――
なぜか、涙が出そうだった。
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「あなたは、すでに愛されている」
説教者のその一言が、胸の奥に届く。
“すでに”…?
私の何を知っていて、そんなことを言うの?
でも、有馬も言っていた。
信じるとは、愛されている自分を受け入れることだと。
私は、まだ信じきれていない。
神様のことも、自分のことも。
でも、それでも――
この場所に来て、感じたものは確かにあった。
あたたかさ。
守られているような静けさ。
私の欠けた部分を、そっと包むような何か。
私は、まだ知らない。
でも、知りたいと思った。
この光の正体を。
そして、有馬が信じているものを。
⸻
翌日。
私は編集部で、有馬の隣の席に腰を下ろした。
「……昨日、教会、行ってみた」
「……そっか」
彼は驚いたように目を丸くして、それから少し笑った。
嬉しそうな、安心したような笑顔だった。
「何か、感じた?」
「うん。……たぶん、まだ全部はわからないけど」
「大丈夫。それでいい。少しずつで」
「ねえ……信じるって、どうすればできるんだろう」
彼は、少し黙ってから言った。
「祈ってみること、かな。たった一言でもいい。
“私はここにいます”って、それだけでも」
私は、小さくうなずいた。
信じることは、たぶん“わかる”ことじゃない。
ただ“応える”ことから始まるんだ。
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静かに開かれた心。
やがてその中に、光が差し込む。
まだ知らないことばかりだけど――
私は、歩き出したいと思った。