第2話「あなたの信じるもの」
それからというもの、千紗は有馬の言葉が、ずっと胸の奥に残っていた。
――「ひとりじゃないって、知ること。
自分がどれだけ愛されてるかを、信じることかな」
それはまるで、子どもの頃に失くした宝物の在りかを、突然誰かに教えられたような感覚だった。
千紗は、ずっと「誰かに必要とされること」がすべてだと思っていた。
誰かの役に立たないと、自分には意味がない気がしていた。
でも、有馬の言葉はそれとは逆だった。
“すでに愛されている”という前提。
「……そんなの、本当に信じられるのかな」
思わず独り言をもらすと、有馬が横から静かに言った。
「信じてなくても、愛されてるよ。
ただ、それに気づけたとき、人は自由になれるんだと思う」
自由。
その言葉が、不思議なほど心に刺さった。
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週末、有馬と一緒に新刊の打ち合わせで外回りに出た帰り。
ぽつりぽつりと、彼は自分のことを語ってくれた。
「中学のとき、家族のことで少し……荒れてたんだ」
「うん」
「そのとき、教会にいた年配の人が、何も聞かずにただ“祈ってくれた”んだよね」
「……祈って?」
「そう。祈りって、不思議なもので。
何も変わらないようで、でも心が少し軽くなる。
“今ここにある痛みは、永遠じゃない”って感じられたのは、あのときが初めてだった」
その横顔は、どこか昔の痛みを知っている人の顔だった。
でも、同時に、誰かを包み込める強さも持っていた。
千紗は、有馬がただの“優しい人”じゃないことを、
その瞬間、はっきりと理解した。
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「私にも……その、“祈り”ってやつ、してくれる?」
ふと口から出た言葉に、自分でも驚いた。
でも、有馬は穏やかに笑って、
「もちろん」と小さくうなずいた。
「……神さま、千紗さんを守ってください。
たとえ今がどんな場所でも、
どうか彼女が、自分を愛していいと信じられますように」
それは、やさしくも力強い祈りだった。
千紗は涙がこぼれそうになるのを、必死でこらえながら思った。
――ああ、この人が信じるものに、私は触れはじめている。
それは、恋よりも少し深くて、
信仰よりも少し近い――“光”だった。